005 山賊に監禁されています
(こんにちは、名も無き幼女です。
僕は今、山賊に監禁されています――)
エルは、未だにエミリィとガウルの事を奴隷商&山賊のコンビだと思っていた。
当然、自分が「エル」と名付けられて呼ばれている事にも気付いていない。
(うーん、待遇は良いんだけどずっとこのままって事は無いだろうし。そのうちスキを見つけて逃げ出さなきゃな……。でも、この砦の構造も分からない間は無理だろうな。ちらっと覗いた感じ、廊下の先にも扉があるみたいだし……。僕の部屋と似たような扉もたくさんあるから、他にも僕みたいに監禁されている人がいるのかな)
エルが宵闇亭のことを山賊の砦だと勘違いしているのには理由がある。
夕方になると宵闇亭は俄に騒がしくなる。食堂が開き、客が入ってくるからだ。
本来であればそれくらいの時間から、エルの居る宿の区画にも客が入り始めて多少賑やかになるのだが、エルの事を慮ったガウルは宿を臨時休業としており、灯りも落としていた。
結果として、エルは薄暗い区画(当然、部屋の中は明るくしてくれている)の中に取り残され、遠くから聞こえる食事客たちの喧騒を耳にすることとなる。
(あっちに広間があって、山賊が酒盛りをしているんだな。……こっち側は袋小路で、脱出にはどうやってもあの場所を抜けなきゃいけないのか。厳しいな)
エルは、ある程度自由に動くことを許されていた。当たり前だ。エミリィとガウルは、エルを監禁などしていないからだ。
けれど、エルは自室とトイレを往復するくらいで広間――食堂に近づいたり、他の部屋に入ろうとはしなかった。
(酒盛りをしている山賊に近づくなんて、何が起こるかわからないからなあ……。今の僕は幼気な幼女だし、何をされても抵抗なんてできないんだから。君子危うきに近寄らず、ってね)
そんな訳で、エルは自主的に引きこもっていたのだ。
監禁生活は、意外と快適だった。
足元に簡素な棚が据え付けられた、低くて狭いベッド――しかし、100cmにも満たない身長のエルにとってはキングサイズにも等しい――と小さな棚、小さなテーブルがあるだけの簡素な部屋。
窓は部屋の高い位置に横長の穴が開いているだけで、小柄なエルとは言えどもとても抜けられそうにない。そもそも、その高さまで手すら届かないのだが。
テーブルの高さはエルの目線とほぼ同じくらいで、物を置くくらいにしか使えない。せめて椅子があればよじ登ることもできたのかもしれないが、生憎とこの部屋の椅子はベッドと兼用だった。
奴隷商の綺麗な女性は、色々と世話を焼いてくれた。
毎晩、薬草? 入りのお湯が入った桶を持ってきてくれて、身体を丁寧に拭いてくれる。
女性の前で裸になるのは恥ずかしいし、その……アレな所までしっかりとお手入れしてくるので、エルは自分でやらせてほしいと何度もアピールしたが、頑として譲ってくれない。
まあ、商品である僕の状態を自分の手で確認しなければ気がすまないのだろう。そう思ってからは、なすがままにされる事にした。
暴力を振るわれることもないし、どちらかというととても良くしてくれる。エルフの幼女奴隷という物に価値があるからなのかもしれないが、それをさておいてもきっと彼女はいい奴隷商なのだ。
(うーん、捨てられないようにしなきゃ)
愛想よく見えるように、飲食店バイトで培った営業用スマイルを浮かべて対応する。
料理人志望だったとはいえ、シフト次第でホールに入る事もしばしばあったエルは、それなりに場数も踏んでいる。
頭がおかしいとしか思えないクレーマー達に比べれば、基本的に優しく扱ってくれる奴隷商の女性や山賊の頭は神様のような存在だった。
ただ、愛想よくしているのに、時々複雑な表情を向けられるのはどういう事だろうか。
媚び過ぎも良くないのかもしれない。
差し入れなのだろうか、女性は色々な物を部屋に置いていってくれる。
いくつかの棒が中に通された紐でつながっていて、それに布が巻かれている謎の物体……よく観察してみると人間のように手足がついている。
(これは人形、かな?)
頭にあたる部分には、目鼻のようなディティールが彫られて入るが……ちょっと怖い。背中を向けるようにして棚に飾り、存在を忘れることにした。
他にも積み木のような木片や謎の素材でできたゴムボールのような物が渡されている。
しかし、見た目が幼女とは言え、前世のエルは翌年に成人を控えた立派な専門学生だ。さすがに積み木やゴムボールではしゃぐ事はできない。
結局、それらは棚やテーブルの上にインテリアとして飾られることになった。
雑誌の表紙を見えるように棚に並べたり、本棚の一区画にお気に入りのCDを飾ったりと、オシャレっぽく物を配置するのが好きだったエル。
積み木やボールと言ったオブジェが棚やテーブルに配置されている”それっぽい感じ”を、意外と気に入っていたようではあった。
他に差し入れられた物といえば、絵本だ。
手にしてみたが、全く内容が理解できなかった。
おそらく子供が文字を覚えるための簡単な内容なのだろう。絵だけ見れば、騎士が悪いドラゴンからお姫様と宝物を取り返す英雄譚のように見える。
それでも全く内容が理解できない原因としては、まず文字が識別できない。
この世界には活版印刷など無いので、絵本に書かれている文字はある程度崩されているものだ。
一般的な日本人が、いきなりアラビア語の崩し文字で書かれた文章を見せられて「この言語を習得しろ」と言われても、無理な話だろう。
さらに言えば、エルにはこの世界の言語の「音」も分からない。
文字と音の関連付けもできず、前世を含めても言語学者でもないエルには、音のパターンから汎用的な単語を推察する……なんていった真似ができるはずもない。
そもそも、前世のエルは英語すらまともに喋れないのだ。
(無理無理! なんかこう、翻訳の魔道具みたいな便利アイテムの登場を待とう!)
エルは、諦めて絵本をベッド足元の棚に戻した。
ちなみに、翻訳の魔道具などという便利アイテムはこの世界に存在しない。
エミリィから見たエルの姿が、与えられたおもちゃを棚にしまい込み、遊ぶこともしない抑圧された子供のように見えたのは、全くの偶然であった。
監禁生活が意外と快適な事については、もう一つ理由がある。
山賊の頭が持ってきてくれる飯が、旨いのだ。
初日こそお粥のような物しか出されず、
「やはり異世界にはドロドロのお粥とクズ野菜のスープ、酸っぱい黒パンしかないのかな……現代知識を活かしておいしい料理屋でも開いたらイケるんじゃないか?」
なんてことを思ったエルだが、翌日に出された豚野菜炒め? は絶品だった。しかも日本のものとは違ったとは言え、麦飯のような主食まで付いてきたのだ。
豚? の甘い脂が葉物野菜――ほとんどキャベツなので、キャベツと呼ぶことにする――や根菜――ほとんど人参、以下略――にしっとりと染み込んで、それでいて野菜類はシャキシャキとした歯ごたえを残している。
余計な味付けが一切ないのに素材の豊かな味をいっぱいに感じるのは、絶妙な塩加減のおかげだ。香草や香辛料で一切誤魔化していない、単純かつ奥深い料理。
思わず「おいしい!」と声を上げてしまい、山賊の頭をぽかーんとさせてしまったが、それくらい美味しかったのだ。
それから出て来る料理も全て同じようなクオリティで、エルは「山賊の砦で出てくる料理がこのレベルとか、料理に関する現代知識なんて殆ど役立たずじゃん……プリンとかマヨネーズみたいな定番食材も普通にありそう……」と、人知れず落ち込んでいたりしたのだが、食事が不味い世界よりは随分とマシだと気付いたので立ち直ることが出来た。
ただ一つだけ勘弁してほしかったのは、奴隷商の女性や山賊の頭が、エルにベッドの上で食事を摂らせたがった事だ。
テーブルには手が届かないし、ベッドの上でものを食べると、食べかすがベッドに落ちそうで嫌だった。大体、汁物をこぼしたりしたら目も当てられない。
幸い、食事はトレーに乗っていたのでエルは床で食事を摂ることにした。
座敷でお膳に乗った料理を食べていると思えば別に気にならないし、そもそも一人暮らしの不精な若者であったエルは、ちゃぶ台の上が雑誌やゲーム機、作りかけのプラモデルに占拠されていた事がしばしばあり……そんな時はフローリングの上にトレーを置いて、あぐらを掻いて食事を摂っていたのだ。
さすがに女の子の身体であぐらを掻くのは憚られたので、正座をしてお行儀よく食べていたのだが……何度か、泣きそうな顔をした奴隷商の女性にやんわりとベッドで食べるように仕向けられたのだ。
(この世界だと、ベッドで食べるのが普通なのかな? でもなぁ……なんか、個人的に嫌なんだよなあ)
とはいえ、あんな顔をされたのだ。これはよっぽどはしたない行為なのかもしれない。
優遇してやっている奴隷があまりにも品のない行動をとるせいで、悲しくなってしまったのだろう。
その後は機嫌を損ねないためにもある程度はベッドで食べるようにして、それでもやっぱり落ち着かなかったので、監視の目がなくなってから床で食べるようにした。
それでも時々見つかっては悲しそうな顔をされるので、なるべくベッドで食べるようにしよう、とエルは思った。
(せっかくおいしい料理なんだから、気兼ねなく食べたい……)
汁物の入った器が傾かないように、膝に載せたトレーに気を遣いながら、エルは今日もごはんを平らげた。
可能であれば次話は4/6 12:00に予約投稿予定です。(未定)