004 おいしい!
宵闇亭は、街一番の繁盛店……とまでは行かないものの、根強い人気がある店だ。
食事時にもなれば、10席にも満たないテーブルは半数近くは埋まる。
カウンターには常連客の誰かしらが常に座っていて、ガウルや他の客と他愛ない会話を繰り広げている。
特にここ3日は、ガウルが大猪を仕留めた事が客の間で広まっていた事もあり、順番待ちが出る程の大盛況だ。
そんな客もさすがに夜が深まってくると一人減り、二人減り、三々五々帰路についていく。
最後までダラダラと酒を飲んでいた常連客が店を出ると、ガウルは表の看板を裏返して鍵をかけ、店内の灯りを落とした。
清掃や洗い物は、常連客が居る間に済ませている。本来なら失礼にあたる対応だが、今更ガウルも客も気にしないだろう。
カウンター脇のランプだけがついている薄暗い店内を眺めながら、麦酒を一杯だけジョッキに注ぐ。
ガウルは、この時間がたまらなく好きだった。
いつもなら、客の笑顔と旨いものを出せた満足感から、最高の気分で味わえる仕事終わりの一杯。
しかし、その日のガウルは浮かない顔で、溜息を付きながらチビチビと麦酒を飲んでいた。
チリン。
食堂の奥にある扉が開き、そこから出てきたのはエルフの魔導師、エミリィだ。併設されている宿屋につながるその扉には、臨時休業の札が掛かっていた。
エルを必要以上に怯えさせないために、ガウルが採った措置の一つである。
「エルの様子はどうだ?」
「悪くはない……と、思う。でも、やっぱりまだ壁を感じるわ……」
「まあ、そうだろうな。まだ、外にゃ出さないほうが良さそうだ」
「そうね。エルちゃんも外に出たがるような様子は見せないし……もう少し、落ち着いてからのほうが良いと思う」
もう一杯麦酒をジョッキに注ぎ、無言でカウンターに置くとエミリィは「ありがと」と言って飲み始めた。
「エルちゃんはね、部屋は汚さないし、渡したおもちゃや絵本も綺麗に並べて置いているの。本には少し興味を示していたけど、おもちゃには全然反応もしなくて。多分、あの子は奴隷として躾けられていたんだと思う……」
「……いたたまれねえな」
徹底的に「ご主人様」の手を煩わせないようにしている、という事なのだろう。
奴隷は、身の回りの世話を自分で行うように教育されるのが普通だ。
とは言え、この国には奴隷を無碍に扱ってはいけないというルールがあるし、奴隷となる年齢にも制限がある。
遊びたい盛りの子供を暴力で無理やり躾けて奴隷として仕立て上げるなど、まともな相手ではない。間違いなく違法な闇商人の仕業だろう。
「それに、ずっと笑ってるの。……ううん、媚びた笑顔を張り付かせているって言うか。あんな歳の子供がしていい顔じゃ、ない」
ジョッキを握る手に力が入る。
あんな幼子がわがままも言わず、泣きもせず、こちらの機嫌を伺うような態度を取ってくるのだ。
エルの過ごした環境は、どれほど酷いものだったのだろう。想像するだけでも吐き気を催してくる。
「せめて言葉が伝われば、もう少し安心させてあげられるんだけど」
「そうだな……」
あれから、エミリィとガウルは知っている言語をすべて使ってエルに話しかけてみた。
エミリィの故郷ではまだ使われているエルフ語、ドワーフ訛りの王国語から「こんにちは」と「おいしい」の二語しか知らない蛇族の言葉まで。
様々な物を試してみたが……結果は、きょとんとした顔でこちらを見つめるエルを見れば言うまでもないだろう。
そもそも、エルは殆ど喋らない。
何度か言葉らしきものを口にしてはいるものの、エミリィにもガウルにも理解の出来ない言葉がほとんどだ。
あの後、念のためにと一度だけ回復をかけた時に
「Karl…… Mas Halms……」
と、エミリィの詠唱を真似して呟いたのが、エルの放った唯一の「理解できる言語」だったくらいだ。
当初、喉を潰されていて喋れないのではないかと心配していたエミリィ達はほっとした。が、唯一口にしたのが呪文の詠唱だけという事実にまた気分が暗くなる。
多分、これも「教育」の一環だったのだろう。言葉も分からない少女に無理やり詠唱だけ詰め込むだなんて……本当に反吐が出る。
「ごはんだけはちゃんと食べてくれるのが、不幸中の幸いってとこね」
「ああ。……そういや、”あの癖”は……治ったのか?」
「ううん、まだ……」
エルが抱えている問題は他にもあった。
ガウルが気にしている、エルの”あの癖”。
エルは、食事を床で摂るのだ。
食事はトレーに乗せて渡しているので、ベッドの上で食べればいい。
しかし、エルはトレーを床に置いて、その前に正座して食事を摂る。
そんな事をしなくても良い、とトレーをベッドの上に置いて座らせても、エルは自分から料理を床に置こうとするのだ。
そのうち涙目になってしまったエルを見て、エルが落ち着くなら……と思って無理に正すことはやめたが、今でも硬い床で食事を摂るエルの姿は痛々しくて直視できない。
今では少しずつベッドの上で食事を摂ってくれるようになっていたが……それでも時々、目を離すと床に座っている事がある。
「怖い大人が急に現れて、見つかってしまったらひどい目に合わされるって思ってるんだわ。私たちはそんな事をしないって分かってくれたようだけど……エルちゃんは、見えない”怖い大人”に怯えてる」
「チッ……マジで胸糞の悪い話だ」
「本当にね」
「……何とか、エルが安心して暮らせるようにできりゃいいんだが」
そのガウルの呟きに、意外なものを感じたエミリィ。
「珍しいわね。落ち着いたらどこかに預けるつもりでいる、と思っていたけど。エルちゃんのこと、引き取るつもりなの?」
「……まあな」
本人曰く、ガウルは特に子供が好きという訳ではない。嫌いでもないが、人並みに微笑ましく思う程度だそうだ。
かつての冒険者稼業で、ひどい目に合わされた子供達を見たことも何度かある。その時もガウルはある程度の支援をしたが、引き取って育てるような事はしていなかった。
しかし、自ら森の中で拾ってエルと名付けた哀れな少女を、ガウルは引き取るつもりだという。
「どういう風の吹き回し?」
「大した事はねえよ。あいつには言葉が通じない。でも、俺の飯を食って笑った。じゃあ、面倒見てやらなきゃな……って、何となく思っただけだ」
エルを拾った初日、身体を心配したガウルは粥のような消化に良い食事を与えていた。
だが、エルはそれらをすべて平らげていた。吐いたり具合が悪そうだったりする事がない事を確認したガウルは、そこで始めてちゃんとした食事を出してやった。
上等な食事に戸惑いながら、恐る恐るそれを口にしたエル。
その瞬間にエルが固まったのを見て、「何かヤバい物を食わせちまったか!?」と焦ったガウルだったが……直後、エルは花の咲いたような笑顔を浮かべたのだ。
「■■■■!」
相変わらず言葉は分からなかったし、その後は照れくさそうに俯いていつもの表情に戻ってしまったが。
言葉なんてわからなくても、エルが何を言ったかくらいはガウルにも伝わった。
(……何だよ。簡単な事じゃねえか)
エルが、どれほどひどい目に合ったのかは分からない。
言葉の全く通じない環境で、知らない人間に囲まれて、どれほど不安なのかも分からない。
でも、自分の作った飯で喜んでくれるのなら。
(旨い飯、沢山食わせてやるか)
ガウルは、そう決めたのだ。
ガウルの決意を聞いて、優しげな笑顔を浮かべたエミリィは「そっか」と、一言だけ嬉しそうに呟いた。
次話
005 山賊に監禁されています
18/04/05 18:00 予約投稿予定です。