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003 なんて可哀想な子

「Karl Mas Halms……」


 エミリィが呪文を詠唱しながら手をかざすと、少女に刻まれていた数々の傷が少しずつ消えていき、それまで傷だらけだったのが嘘のようにすべすべの肌になった。

 傷跡すら残っていない。


「ふう、これでよし。さすがガウルね、手当が完璧だったから傷も残さずに治せたわよ」

「そうか、良かった。……子供(ガキ)のうちから傷が残るなんて可哀想だからな」

「ふふっ、そうね」


 ガウルは、見た目こそ蛮族の頭だが実際にはとても紳士的な男だ。

 傷に泥や汚れが入りこんだままだったり、手当をせずに膿んだりしてしまっている場合は、魔導を以ってしても傷跡が残ってしまう場合がある。

 元々エミリィに診せるつもりではあったが、その事を考えてしっかりと手当をしていたのだ。


「ホント、ガウルは優しいんだから」

「うるさい。これくらい当然の事だろうが」


 照れたようにそっぽを向くガウル見て、優しい笑みを浮かべるエミリィ。

 それから改めて少女を見てみると、少女はぽかんとした顔でエミリィを見つめていた。


「……ところで、この子の事、なんて呼べばいいのかしら」

「言葉分かってねえからな……とりあえず、俺は暫定でエルって呼びかけてる。エルフだから」

「はぁ……まあ、可愛いからいいけど」


 一瞬、適当な名前を付けたら可哀想だと抗議しようと思ったが、単純に見えて意外と考えられている名前だとエミリィは気付く。

 発音が単純で、短い。その上で女の子らしい名前でもある。これなら言葉が通じない少女でも、しばらく呼び続ければ自分を呼んでいる事に気づけるだろう。

 確かに安易ではあるが、変な名前をつけるよりはよっぽどいい。


「エルちゃん」


 早速呼びかけてみるが、やはりというか当然というか、さすがにまだ反応はない。

 それどころか、小刻みに震えてさえいるように見える。


(無理もない、か。なんで傷が治ったのかも分からないのかもしれないし。何とかして、安心させてあげたいけど……)


 言葉の通じない相手に、心を伝えることがこれほど難しい事だとは思っても見なかった。

 エルは、怯えている。もしかしたら、さっきのヒール(回復魔法)が怖かったのかもしれない。もう一度触れようとしたら、泣かれてしまうかもしれない。

 それでも、この可哀想な少女を安心させてあげたい。もう怖くないよ、って教えてあげたい。

 自分の心を伝えるため、エミリィは一歩踏み出す勇気を出した。


「エルちゃん……おいで?」


 再び手を差し伸べると、少女――エルは何を思ったのか……その手をちょこん、と握ってくいくいと引っ張るような仕草をした。

 やはり、こちらの言っている言葉が分かっていないのだ。

 それでも手を握ってくれたという事は、少しはこちらの事を信頼してくれたのだ……と考えてもいいのだろう。

 ゆっくりと手を引き、優しく抱きしめる。


「怖かったね、辛かったね……痛かったね……。もう、大丈夫だよ。エルちゃんをひどい目にあわせるモノは、どこにもいないの」


 そうして背中を優しくぽんぽんと叩いてやると、しばらくしてから胸の中のエルはぽろぽろと涙を流して泣き始めた。


「うぅ……ふぇっ……」


 静かに、声を殺して涙を流す少女を見て、エミリィは何かを堪えるような顔でエルを強く抱きしめ、ガウルは遣る瀬無いような表情で天井を見つめていた。


 エルはエミリィの胸の中でしばらく泣き続けた後、泣き疲れて眠ってしまった。




ーーーーーー


彼の者の(Karl)傷を(Mas)癒せ(Halms)……」


 エミリィのつぶやきを聞いた瞬間、エルは仰天した。


(こ、言葉が分かる!? 日本語……いや、明らかに日本語じゃなかったけど、今の言葉は理解できたぞ……なんだ!?)


 それまで、全く理解できない言語しか耳にしていなかったのに、唐突に理解できる言葉をエミリィが口にしたのだ。

 それだけではない。

 傷を負った場所が光ったかと思うと、たちどころに癒えていったのだ。


(ま……魔法だ! すごい! ファンタジーだ……!)


 ドキドキする。狼に襲われたり、山賊に拐われたりとなんやかんやあったけど、魔法を直に見れたのには感動しかない。


(すっ……ごい! 傷ひとつ残ってない! この人はなんなんだ……? とても山賊には見えないけど……はっ、もしかして、奴隷商? うーん、こんな綺麗な人がそんな事をしているのか……)


 大変失礼な勘違いを未だ続行中のエル。

 そんなエルを前に話し合っている二人は、きっと治療費や売値について話し合っているのだろう。


(まあ、いいや。もうどうにでもなれって感じ。これだけ丁寧な扱いしてくれるって事は、割と待遇が悪くなかったりするかもしれないし。少なくとも、ここまで治した商品を傷つけたりはしないだろうから、この人達は怖くない……かな。とりあえず、もうしばらくは……生きて……いられる……)


 ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。

 目の前に迫った恐怖。生臭い獣の臭い。水に落ちた後も、何度も何度も呼吸ができずに苦しんで、最後にはとうとう水面が遠ざかっていった。そして、腹に突き刺さった鉄骨――


 今日一日で、何度も何度も恐ろしい目にあった。

 ずっと極限状態だったから麻痺していたけれど、エルのこれまでの累計人生で、本気で「死にたくない」と思った事なんて殆どなかった。

 漠然と生きてきて、「そうそう死ぬことはない」とずっと思っていた。


 ガス爆発、狼、川……

 濃密な「死」に何度も晒された事を思い出したエルは、今更になって震えが来たのだ。


(怖……怖かった……本当に死ぬかと思った……)


 エルが死の感触を思い出しながら震えていると、エミリィの手が目の前に差し出されてきた。

 怖くて震えていたエルは、差し伸べられた手を反射的に握ってしまった。


(……あ、そっか、握手かコレ)


 我に返ったエルは、握った手を上下に軽く揺さぶる。

 その瞬間、エルはエミリィに抱き締められた。


(えっ……)

「ーーーーー、ーーーーー……ーーーーー……。ーー、ーーーーー。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー、ーーーーーーーー」


 優しく背中を叩かれ、優しい声色で囁かれる。

 柔らかい双丘が押し付けられるが、エルはどぎまぎするよりも前に深い安らぎを感じていた。


 生きている人の肌、「生」の感触だ。


 あれだけ恐ろしい思いをして、何度も「死」に晒されたエル。

 けれど、今、自分はここで生きて、人の体温を感じられている。


 ずっと張り詰めていた緊張の糸が、切れた気がした。

 いつのまにか瞳から溢れた涙が、頬を伝って流れ落ちている。


「うぅ……ふぇっ……」


 ――この身体は感情を揺さぶられやすい。

 今、エルを襲っている感情に身を任せたら、号泣……いわゆる「ギャン泣き」レベルで泣いてしまうだろう。


(うぅう……っ、僕、生きてるんだ……ううう〜、怖かった、怖かったよぉ……ふぐっ、くそぉ、なんだよぉ……くぅ、泣かないからな……っ、僕は泣かないからなっ……! 男は涙を……見せないんだよっ……っ、うえぇ……うえぇん……)


 必死で涙を堪えるエル。

 そこに理由はない。だってエルは男の子(TS幼女)なのだ。

 綺麗なお姉さんの前でギャン泣きする所を見られたくない。

 唇を噛んで、嗚咽を必死に押さえ込む。

 エルの、最後の矜持(男泣き)であった。


 暴風雨のような感情の波が通り過ぎた後、泣き疲れたからか、緊張の糸が途切れたからなのか……エルは落ちるように眠りについた。




ーーーーーー




「……見たかよ」

「……ええ」


 すやすやと寝息を立てるエルに布団をかけ、ガウルとエミリィは部屋から出た。

 お互いにやりきれないといった表情をしている。


「なんて可哀想な子。あんなに小さな子が、声をあげて泣かないのよ……。」

「ああ。怪我の手当をした時もそうだったよ。……ずいぶん傷に滲みただろうに、声を上げねえんだ。痛覚が飛んじまってる訳でもない。一度悲鳴を上げかけたが、すぐに押し殺すどころか……笑ったんだよ、あいつは。ありゃあ声を殺すのに慣れてる。……殴られて、泣いて、うるせえってまた殴られて……そんな目にあった子供(ガキ)は、泣いても声を出さなくなる。辛かっただろうな……」

「あんな小さな子に、どうしてそんな事ができるの……ッ!!」


 エミリィは震える拳を壁に叩きつけようとし……直前で止めた。

 エルが驚いて目をさましてしまうかもしれないからだ。

 ガウルは、エミリィのその優しい気遣いが嬉しかった。

 ただ、もしエミリィが壁を殴っていたとしても、ただ泣き疲れてぐっすり寝ているだけのエルは目を覚まさなかっただろう。


「なあエミリィ、悪いんだけどよ……しばらく、エルの面倒見てやっちゃくれねえか。俺はほら……こんな姿形(ナリ)だしよ。言葉も分かんねえのにこんなのがウロついてたから、怖がらせちまったかもしれねえ。いや、追い出すなんて事はしねえよ。ウチはいくらでも使ってくれていい。なんならお前の部屋も用意するよ。身の回りの世話とか、着替えとか、飯とか……そういうの、頼めねーか」

「いいに決まってるでしょ。すぐに荷物持ってくるから、エルちゃんの隣の部屋用意してくれる? 宿泊費はちゃんと出すわよ。10部屋しかないのに2部屋も埋まったら大変でしょう?」

「いや、宿泊費は要らん。それよりも――」


 言いかけたガウルの目前にスッと指を突きつける。……エミリィの目が据わっている。こういう時のエミリィに逆らってはいけないという事を、ガウルは経験で知っている。


「――払わせて。ガウルだけが負担する必要なんてないの。私も、エルちゃんのために何かしてあげたいから」

「……そうか。 じゃあ貰っとく」


 エミリィはいいヤツだ。本当に。

 ロビーから飛び出していくエミリィの背中を見送りながら、ガウルは微笑みを浮かべた。

 あいつなら、エルの心を少しずつ癒やしてやれるのかもしれない。





「んにゃ……ええっ……僕がオークションで金貨50000枚……? 最高記録……えへへぇ……そんな大層な者では……ふへへぇ……」


 一方その頃、エルは奴隷として高評価を得るという、良く分からない願望が満たされる類の夢を見ていた。







ネタバレですが魔導用の言語を聞いたり喋ったり出来るだけで魔導はほぼ使えません。

よって無双とかも無いです。

無双する時は周囲が無双してくれます。そういう方向性です。

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