002 多分そいつ、言葉が分かってねえ
宵闇亭。
ガウルが営んでいる、宿屋兼料理屋の名前だ。
元冒険者で、腕のいいハンターであるガウル。
彼が集めてくる様々な食材を、旅の途中で学んだ様々な調理法で出してくれる宵闇亭は「高級ではないがとても美味しい料理を出してくれる店」として知られており、根強いファンである常連客を沢山抱えている。
エミリィもそんな常連客の一人だ。
ここ数日、ガウルが宵闇亭を閉めているのには気付いていた。
宵闇亭は年中無休で、よっぽどの事がない限りガウルがただ休むために宵闇亭を閉めることはない。
つまり、ガウルは食料の調達に向かったのだ。
猟のために彼が店を閉めるのはままある事で、猟がうまく行ってさえいれば、森から帰ってきた後に特別な限定メニューが店に並ぶのはまず間違いない。
今日は戻ってきているかなー、と、なんとなく習慣で宵闇亭の前を通りがかったエミリィは、CLOSEDの札こそかかっているものの……店の灯りがついている事に気付く。
(ガウル、もう帰ってきてる?)
となれば、確かめなくてはなるまい。
ガウルの事だ、何も成果が得られなかった……なんて事はないだろう。
(この時期だと、大猪かな? ふふっ、たのしみ〜)
エミリィは、ウキウキしながら店のドアをノックした。
「ガウルー? 居るんでしょう? 私よ、エミリィよ。獲ってきた獲物、見〜せ〜て〜」
本来ならば、開いていない店に乗り込もうとするのはマナー違反だ。
しかし、エミリィは宵闇亭の常連であり、ガウルの昔馴染みでもある。
開店前の店に押し入ってはお茶を強請って帰っていくなど、日常茶飯事なのだ。
「……おう」
扉に取り付けられていたベルが、チリンチリンと音を立てる。
開いた扉から出てきたのは、宵闇亭の店主、ガウルだった。
「あらら、帰ってきたばかりなの? 相変わらず山賊みたいな格好してるのね」
ガウルの格好を見て、エミリィは素直な感想を述べる。
短く刈り込まれた髪に無精髭、筋骨隆々の180cm超えといった風貌のガウルが、ぼろぼろの麻シャツと毛皮のベスト、革のパンツといった格好をしていれば当然の感想とも言える。
斧でも持たせれば、あっという間に山賊の親分が完成する。
「……ちょっと取り込んでてな。ちょうどよかった、入ってくれ」
ガウルからいつもとは違う雰囲気を感じ取ったエミリィが、「厄介事?」と尋ねると、ガウルは「ああ」と短く答えた。
「子供を、森のなかで拾ってな……」
「子供!? 大変じゃない!」
「空き部屋で寝かせてるんだが、どうにも……なぁ」
「どうにも……って、どういう事なのよ」
「まあ……とりあえず、見てくれ」
ガウルはエミリィを連れて、食堂の奥の宿として使われている一室に向かう。
「怪我してるの?」
「ああ、怪我もしてる……応急処置は済ませたが、できれば診てやってくれ」
「もちろんよ」
ノータイムで答えるエミリィを見て、ガウルは微笑んだ。
怪我の程度も診療代の事も何も聞かず、即答してくれるエミリィ。
コイツは、困っている相手を放っておけないのだ。
この国ではエリート扱いされる魔導師なのに、それを傘に着ないいいヤツなのだ。本当に。
そんなやり取りをしている間に、その部屋にたどり着く。
「入るぞ」
ノックをして、声をかけてからガウルが扉を開く。
エミリィが中に入ると、ベッドにはだぼだぼのシャツを着た幼いエルフの少女が、布団を抱きしめて隅の方に座ってこちらを見ていた。
愛らしい少女だった。流れるような銀髪は部屋の灯り程度の光をも反射してきらきらと輝いており、子供特有の細い髪は空気を孕んでさらさらと揺れている。
幼いながらに整った顔立ちをしており、行く行くは誰もが振り返る美人に育つだろう。
しかし、顔のあちこちに痛々しい擦り傷や打撲の跡があり、足には血の滲んだ包帯が巻かれている。
熱があるのか、それとも怯えているのか……ぶるぶると震えながら泣きそうな顔をこちらに向けている少女を見ると、心が痛む。
「……可哀想に」
エミリィは、少女を怯えさせないようにゆっくりと近づく。
そのままベッドの脇にしゃがみこみ、優しく声をかけた。
「大丈夫、心配しないで。ほら、私もあなたと同じエルフなのよ。おいで、傷を診てあげるから」
しかし、そっと差し伸べた手は、払われるでもなく握られるでもなく。
不思議なものを見つめるような表情で、少女はその手をじっと見つめていた。
「ああ……なんだ、その、多分なんだが……」
その様子を見て、ぽりぽりと頭を掻きながら言いづらそうに口を開くガウル。
「多分そいつ、言葉が分かってねえ」
「え……」
驚いたようにガウルを見つめ、再び少女を見る。
少女は不思議そうな顔をしたまま、エミリィの事を見つめていた。
ーーーーーーーー
(やばい、詰んだ。異世界言語、全くわからない)
目を覚まして、ベッドに寝かされている事が分かった。そこまでは良かった。
親切な人に助けられたか、奴隷狩りにでも捕まったか。
最悪どっちでもかまわない。ただちに死なずに済んだのだから。
生きてさえいればなんとかなる。
そう思っていたのだが、部屋のドアを開けて入ってきた男が明らかに山賊の頭のような風貌をしていたのを見て「あ、奴隷コースだこれ」と理解してしまってからは、この先に訪れる暗い未来を想像し、絶望してしくしくと泣いていた。
(今の僕はエルフの少女……高く売れるんだろうなあ。多分、これからの人生、ひどい目にばっかり合うんだろうな。奴隷かあ……働くだけならともかく……その、やっぱ、そういう事も……されるのかな。っていうか、言葉が分からない僕はまっとうに働けるとは思えないから……そっちがメインなのかな。……ううっ、ヤダ……そんなのいやだ……!! 男にそんな事されるくらいなら、死んだほうがマシなのかもしれない……うぅ、でも、死ぬのは怖い……あそこで、狼に食われていたほうがマシだったなんて、そんな事……ないよ……)
どうも様子がおかしいと思い始めたのは、山賊の頭が丁寧に傷の手当をしはじめてからだ。
(なんだろ、傷だらけだと商品にならないから……なのかな。それにしては、妙に優しいなあ……。何言ってるかわからないけど、意外と優しい声してるよな、この人……痛ッ!)
「んッ!」
足の傷に薬か何かを塗られた時、滲みてつい声が出てしまった。
それまでは何とか我慢できたが、傷の深い場所だったのかもしれない。
「ーーーーーーーーーーー!? ーーーーー、……ーーーー?」
声に驚いて慌てて手を話す山賊の頭。どうやら慌てているようだ。
何かを必死に語りかけているようだが、なんだろうか。
(もしかして、心配してくれてるのかな……?)
彼は心の優しい山賊なのかもしれない。
おとなしくしていれば、売られるまでは乱暴な事もされない……と、いいなあ。
そう願って、大丈夫だとアピールするためにニッコリと笑った。
山賊の頭はまた驚いたような顔をしたが、何に驚いたのかはわからなかった。
しばらくして、山賊の頭が綺麗な女性を連れてきた。
金髪のロングヘアーで、可愛らしいワンピースの上から白衣のような物を羽織っている。
深刻そうな顔をしたかと思ったら笑顔になって、手を差し伸べてくる。
「ーーー、ーーーーーー。ーー、ーーーーーーーーーーーーーー。ーーー、ーーーーーーーーー」
(なんだろ。握手?)
エミリィが「おいで」と言っているなんて全く気付けないので、何を言われているか全くわからずに、ぽかんとした顔で差し出された手を眺めてしまった。
「ーー、ーーー、ーーーーーーーーー」
「ー……」
深刻そうな顔で話す二人。
(や、やばい。ミスったか? なんか不機嫌にさせちゃったかな。やっぱ握手か? しなかったから怒ってるのか?)
二人の反応を見て冷や汗が流れる。
しばらく、山賊の頭と綺麗な女性は何事か話し合っていた。
暫くして、女性がベッドに腰掛け、包帯を巻いた足に触れる。
そして、目を閉じると一言、呟いた。
「彼の者の傷を癒せ……」