015 この世界の言語はどうなってるんだろう
長いです。設定解説薀蓄回。後書きに簡単なまとめがあるので、目が滑る方は本文を斜め読みしてからそちらを御覧ください。
「だから、古代種の言語を解析できれば、ハクタマヤの遺跡にある魔導陣の調査がかなり進むと思うのよ。だって、彼らの言語は魔導の詠唱そのものなんでしょう? 遺跡にある魔導陣以外の標識もね、多分失伝してる魔力文字だと思うのよ。それと彼らの言語を比較できれば――」
「……無理だよ。……古代種と、コンタクトを取れるはずが……ない。……普通に、死ぬ。それ以前に……彼らを、神と崇めている人々が、会わせてくれないでしょ」
「そこを何とかしてさぁ」
「……そんな夢物語より、もっと現実的な方法を……考えるべきだと思う、よ」
「ううっ……私が生まれるのが、あと200年早ければ……!」
宵闇亭の奥にあるテーブル席。
その机の上は、大量の本で埋まっていた。
僅かに見えるスペースを通じて面を突き合わせ、議論しているのはエミリィと常連客のテトだ。
「……言っても、仕方がない事だよ」
「そんな事言っても、手詰まりなんだからしょうがないでしょーう。はぁ、特性も発音も分からなければ”イントネーション”すら分からないものを、どうやって解析すればいいのよ」
「……だから、調べてるんじゃない。それらしい研究書とか、古代種との会話記録とか……」
「取り寄せた本は、全部目を通したわよ。かろうじて記録と重複したのは、二文字だけ! それも、文字が確認できただけで、結局他の情報がなにも無いんじゃ、意味ないわ」
「むう……」
既に宵闇亭の昼営業は終わり、ガウルは厨房で料理の仕込みに入っている。エルは魔力修行という名のお昼寝の真っ最中だ。
テトと調べ物をするので場所を借りたい、とエミリィに言われたガウルは、即座に店内のテーブルを提供した。エルの面倒を見るのに、エミリィには色々と世話を掛けているのだ。この程度、何でもない。
店内に客を放置する事になるが、エミリィとテトならば大丈夫だ。二人は冒険者時代からよく知っているし、宵闇亭が出来た頃からの常連客なのだ。今更、おかしな事をする筈もない。
そんな訳であっさりと許可が降りたのを喜んだエミリィ達は、資料をいっぱいに広げて早速議論を始めたのだが、その進捗は思わしくなかった。
エミリィは、優秀な魔導師でもあり、魔導研究者でもある。
元々魔力操作が緻密で、なおかつ魔力収集にも長けていたエミリィは、一流の魔導師として名を馳せていた。一時は王国の権力者の元に士官していた事もあるくらいだ。
しかし、今のエミリィは研究者としての名声の方が高い。
若干180歳で発表した「魔力調律概論」は、それまでの魔導師の常識を覆したのだ。
魔導を行使するには、「魔力言語」を適切な形で構築――すなわち、詠唱を行い、それに魔力操作で意味を与える。そうして完成した術式に、今度はエネルギーとなる魔力を注ぎ込む――行使することで効果が発動する……という仕組みになっている。詠唱して魔力を注ぎ込むだけでは、魔導は発動しない。
厄介なのは、”魔力操作で意味を与える”という部分だ。魔力文字は現代で使われている言葉と同じで、文字や音だけでは意味をなさない。
例えば、エミリィがエルに使った「ヒーリング」の魔導。
その詠唱は「Karl Mas Halms」という3節の魔力言語からなる。
ただ、この詠唱だけではただの魔力文字の羅列であり、何の意味もない。
これに魔力を特定の形で注ぎ込む――魔力操作によって意味を与える事で、初めて力ある言葉……魔導の詠唱として成立するのだ。
魔力操作は、表現が難しいが……例えるならば、色だろうか。
“Karl”という文字に青の魔力を10、”Mas”に赤の魔力を50、”Halms”に緑の魔力を20注ぎ込むことで初めてこの詠唱は「ヒーリング」としての意味を持つ。量の多寡は魔導の成功率に影響する程度で済むが、色を間違えるとそもそも術式は成立しない。
例えるならば、機械を部品から組み立てるのが詠唱、その電子回路を繋いで機械が動作する状態にするのが魔力操作、そこに電力を流し込むことで機械を動作させる事が行使だ。
組み立てた機械にただ電力を流し込んでも動かないし、電子回路を繋げ間違えていても動かない、といった感じだろうか。
その肝心な魔力操作だが、かつては全て魔導師本人の感覚で行われていた。魔導師の才能は魔力操作の感覚が優れているかどうかで決まり、術式を上手く構築できない魔導師は落ちこぼれの烙印を押された時代もあったのだ。
そこに新風を吹き込んだのが、エミリィだ。
エミリィは、既存の魔力を計測する魔道具を組み合わせて、それ専用の精密な計測器を作った。
そして、魔力操作を数値化した。先述の色に例えた表現を流用するなら、それまで
「赤ー少なめ」「青ーかなり強く」「白ーふわっとした感じで」
と表現されていた魔力操作が、
「#FF0050(やや紫に寄った鮮やかな赤)ー10」「#320796(暗めの青紫)ー50」「#C4CCC1(やや緑がかったグレー)ー22」
というような、誰にでも分かる形になったのだ。
この、「文字に意味を与える魔力」の事をイントネーションと呼ぶのだが、これはまさに「イントネーションの数値化」に他ならなかった。
同時に、総当りで術式が最も上手く動作する数値を見つける方法も確立したエミリィは、はじめて「優れた術式」というあやふやな物を誰にでも分かる形で定義する事に成功した。
この魔力操作法を、エミリィは「魔力調律」と名付けて広めたのだ。
それからの魔導師は、計測器を付けた状態で適切な数値の魔力を操作している感覚を習得し、よっぽどの魔力音痴でもない限り術式を構築する事ができるようになった。
今や、魔導の研究と言えば古来からある「新たな魔力文字の解析」に加え、「既存の術式を最大効率で構築するための数値を発見すること」だ。その礎を築いたのが、エミリィだった。
その功績から、1000年に一度の天才だと褒めそやされたエミリィが、今や背もたれに身体を預けてぐでーんとしている。
「前から言ってるけどね、私は天才って呼ばれる事もあるけど、そうじゃないのよ。1を100にする事はできるけど、0を1にできるタイプじゃないの。魔力調律だって先人たちの下地があったわけで……こういう閃き重視の解析は、柄じゃないのよ〜」
「……もう、うるさいよエミリィ。手伝ってあげてるのに……」
「それは、ありがたいと思ってるわよ」
「……じゃあ、手を動かして」
「無〜〜〜理〜〜〜〜」
そう言って机に突っ伏してしまったエミリィを見て、テトは苦笑いを浮かべる。
エミリィが今行っている研究は、古代遺跡にある魔導陣の解析だ。
伝記によれば、この遺跡はかつて世界のあちこちを繋いでいた転移の魔導設備らしい。これが復元されれば、世紀の大発見どころの騒ぎではない。
この世界の流通、移動手段の常識が覆るレベルの功績だ。
ところが、古代種が使っていたとされる魔導陣という物は謎だらけだ。
数万年経っても劣化していない塗料や、傷ついても数ヶ月ほどで復元する素材。どれも現代には存在しない物だ。
陣そのものの解析も全く進んでいない。詠唱を陣に置き換えて、術式を構築していたのだという事は分かる。
問題は、それを発動するため必要な「どの文字にどのようなイントネーションが与えられていたのか」という情報が全くない上に、未知の魔力言語まで大量に書かれている事だ。
陣が起動するパターンに当たるまで、様々なイントネーションを試して総当りで確認していけば良い、と思うかもしれない。威力や精度は落ちるが、だいたい色と出力が合っていれば――起動するだけであればという注釈が付くものの――、魔導は発動するのだ。総当りでの解析は、それなりに効果的な手段の一つでもある。
人数と年月さえ掛けることができれば、いずれ解析はできるのではないか。実際、そうやって復元された魔導はいくつかある。
しかし、それが通じるのはごく短い文節で構築された魔導だけだ。現代の魔導は、多くても7節程度の魔力文字によって構成されている。
しかし、魔導陣に描かれている魔力文字はそれどころではない。
現在確認されている物の中で、最も小さい魔導陣の外周に刻まれている魔力文字は32節だ。更に、その内側に4重の円がある。
現代で用いられている魔導を復元する際にも、莫大な人数と予算、時間がかかっているのだ。
大量の魔力文字で構成された魔導陣が、起動するパターンを総当りで解析しろというのは……いくらなんでも無理な話だろう。
その手段を諦めたエミリィは、こういった物を解析するには、失伝魔導を復元する際に用いられる、ある方法論を使う事ができるはずだと考えた。
失伝魔導とは、詠唱そのものと発動時の効果だけは伝えられているものの、肝心のイントネーションが失われてしまっているものだ。
その解析方法は基本的に「起動できる術式が出来るまで闇雲に総当り」なのだが、モノによってはもっと単純に済む場合がある。
それが、魔力文字の癖を使ってアタリを付ける方法だ。
いくつかの魔導の詠唱に共通して現れる魔力文字、その一部には、ある特性がある。
例えば、ヒーリングの魔導にも登場する”Halms”というもの。
この文字は、ヒーリング以外の様々な回復魔導にも頻繁に登場するのだが、だいたいの場合において「緑ー20」というイントネーションが割り当てられている。
こういう癖のある魔力文字は、アタリを付けやすい。とりあえずこの文字は「緑ー20」で固定すればよいので、実質解析する文字が一つ減ったようなものだ。極稀に例外があって期待を外される事もあるが。
逆に、同様に様々な魔法に登場する”Karl”のイントネーションはモノによって全然違う。「青ー10」だったり「赤ー10」だったり、「白ー100」だったりする場合もある。
こういう法則性の無い文字は、諦めて総当りするしかないのだ。
エミリィは、僅かでも解析する文字数を減らせないかと考え、文献などから未知の魔力言語を発掘し、そのイントネーションを流用できないかと考えた。レシピがそのまま乗っているような資料は殆どないが、文献や伝記などの記述から一部のイントネーションが推察できるような物も少なくはないのだ。
専門は生物学だが、言語関係にも詳しいテトを巻き込んで調べる日々は、既に十数年にも及ぶ。
その結果が、今のエミリィだ。
机に突っ伏してイヤイヤをしている。
つまり……全然駄目だったという事だ。
「もー無理。全然無理。絶対無理よぉ〜……。古代種に会って直接見てもらって、起動してもらったら一発じゃない。なんでそうしないのかしら? いいじゃない、是非そうしましょうよ」
完全に集中が切れてしまったエミリィを見て、持っていた本をパタンと閉じるテト。
「……ないない……、それよりは、エミリィが急に、夢の中でお告げを受けて……古代文字が突然、読めるようになる可能性のほうが……高いよ」
「あ〜〜ッ、明日目が覚めたら古代種に生まれ変わってないかな〜ッ」
子供のような事を言うエミリィを見て、テトはため息を付いて、他の資料を手に取った。
「……古代種。世界に3体しか確認されていない、遥か古代から生き続けている生物。彼らの種は、現代の生物の祖先でもある。
現在確認されている古代種の内訳は古代魔族が一人、古代竜が二匹。かつては古代エルフも存在していたが、400年前に最後の一人が亡くなってしまい、絶滅してしまった。
彼らは現存する生物の祖先にあたる種族である。
古代魔族からは人間、獣人、魔族などが生まれ、古代竜からは竜人、ドラゴン、爬虫類系の亜人などが生まれ、古代エルフからは現代のエルフやダークエルフなどが生まれたとされている。驚くことに、ドワーフも古代エルフがルーツとされているが、一部からは強く否定されており、今もなお議論が交わされている。
現存する古代種たちは、生物がそれだけ変化する程の永い時間を生きている存在である。一番若いとされる古代竜の一匹でさえ、数十万歳だと言われているのだ。……か」
テトが手に取ったのは、古代種に関する資料だ。彼らの普遍的な情報について、よくまとめられている。
エミリィは身を起こし、テトが持っている資料のページを勝手にめくる。
「それは重要じゃないわ。そんな事よりも重要なのは、彼らの言語よ。ほらこれ」
「……『彼らは言語の代わりに魔導を行使している』ってとこ、でしょ?」
「そうそう」
資料内でそう断言されているのは、現存する古代種が実際に魔導を行使してコミュニケーションを取っている場面が目撃されており、その時の公式な記録も残っているからだ。
彼らは現在判明している魔力文字よりも数十倍多くの文字を扱い、豊かなイントネーションを乗せた魔導を行使してコミュニケーションを行うのだ。
「古代種は、言葉の代わりに『今日の晩御飯は何?』って尋ねる魔導を行使するのよ」
「……古代種が、そんな可愛いお話、するのかなあ」
「現代では考えられないけどね。大昔は、そんな話もしてたんじゃないかしら」
「……まあ。現代の生物が空気の振動である「音」と、発声器官から発せられる魔力波である「韻」の組み合わせによって言葉を操っているのは、古代種がある意味詠唱とイントネーションで会話していた名残で、それが進化した……退化したのかもしれないけど、その結果と、言われているから。……私達がこうして話しているのと、変わらないのなら……そういう事も、あったのかもね」
「生物学者らしい見解ね」
テトの薀蓄に、ハァ……と溜息をつくエミリィ。
「だからね、彼らの言語を解析できれば……未知の魔力文字のパターンを解析する事が出来ると思うのよ。そうしたら失伝魔法の解析みたいに、全体に大まかなアタリをつけて解析する事ができる。ねっ? まさに妙案、全てを解決するナイスアイディアでしょう」
嬉しそうに語るエミリィを見て、今度はテトが溜息をつく。
「……そもそも、古代種は他の生物と、滅多にコンタクトを取ろうとしない、よ? 万が一、怒りにでも触れたら……まあ、死んじゃうだろうし。 そもそも、どうやって会話……するの?」
「まあ……そうなんだけどね……。うう、いいじゃない。都合のいい妄想に浸るくらい……」
「……妄想って、認めるんだ……」
再び机に突っ伏すエミリィを見て、笑うテト。
それに気付いたエミリィは、拗ねたように頬を膨らませた。
テトと話している時のエミリィは、どうにも子供っぽい面が多くなるようだ。いつもは世話焼きなお姉さんのような雰囲気なのに、こういう時はまるで我儘な妹のようだ……とテトは思う。
エミリィ達が話している通り、現代の生物と古代種の間にはコミュニケーションが成立しない。
まず、エミリィ達現代の生物には彼らの「意志を伝える魔導」は理解できない。彼らのコミュニケーションは、お互いに同じレベルの「語彙」を持った魔導を扱える事が前提だ。
エミリィ達も魔導を扱えるとは言え、その知識は魔導をネイティブの言語として扱っている古代種には遠く及ばない。アルファベットだけはかろうじて分かっている程度の相手に、流暢な英語で語りかけるような物だ。
逆もまた然り。彼ら古代種には、声帯から出る音波である「音」を捉える感覚器官はあっても、発声器官から出る魔力波である「韻」を捉える感覚器官がないのだ。
「韻」のない「音」はイントネーションのない魔力文字と同じで、殆ど意味をなさない。
古代種が自由に操る魔力言語を、十全に扱えない現代の種族。
現代の種族が発する韻を聞き取ることが出来ず、意味のない音にしか聞こえない古代種。
この種族間でコミュニケーションを成立させるのは、ほぼ確実に不可能なのだ。
「あ〜〜、もうどうすればいいのよ〜〜!!」
「……気長にやるしか、ないんじゃない? ……あと500年くらいコツコツやれば、きっかけくらいは、掴めるはず」
「500年もしたら、私、おばさんになっちゃうわよ〜〜!!」
「……私は、死んでるけど……」
仕込みの最中で微妙に手持ち無沙汰になり、食堂の机を磨きに来たガウルは、すっかりやる気を無くしてぐでぐでになっている二人を見て呆れ顔を浮かべた。
(……うーん、しかし、この世界の言語はどうなってるんだろう。頷いている時も、首振ってる時も、同じ発音で何かを言っているんだよなあ。Yes・Noの発音が同じなんてことあるのか? もしかしてジェスチャーの方が、僕の考えている物とは意味が違うのかも……だとしたら、色々気をつけないといけないな……)
お昼寝から目覚めたエルは、この世界の言語の難しさに頭を悩ませながら、お手伝いをするために食堂へと向かっていくのだった。
簡単なまとめ
・エミリィは、魔導研究の第一人者。今は、古代の魔導を研究している。お友達の学者であるテトに手伝ってもらっている。
・魔導は、「詠唱」+「イントネーション(魔力で詠唱に色を付けるようなもの)」で術式を構築する。詠唱が合っていても、適切な「イントネーション」がついていないと魔導は発動しない。
・古代魔法を解析しようにも、未知の魔力文字(詠唱を構成している文字)だらけでイントネーションも全く判らない上に、文字数がエグくて総当りで解くのも無理。
・古代種という種族が存在している。彼らは言葉の代わりに魔導を操っていて、コミュニケーション自体も魔導で行っていた。今の生物の祖先で現存している3体は大体数十万歳〜数百万歳。彼らのコミュニケーションを解析できれば古代の魔導も解析できそう! だけど、神みたいな存在だし、そもそもコミュニケーションが取れないから無理。
・エミリィ達現代人は、声帯から発する空気の振動である「音」に、発声器官から発する魔力波である「韻」を乗せて言葉を紡いでいる。これは進化の過程でそうなったものなので、古代種には「韻」を受け取る感覚器官がない。なので現代人の言葉は古代種には届かない。
・魔導に関する語彙のようなものが少ないため、現代人も古代種の「意志を伝える魔導」を理解できない。
「韻」が聞こえていない場合のこの世界の言葉は、何もかもが「ちゃうちゃう、ちゃうちゃうちゃうんちゃう?」「すもももももももも」みたいに聞こえる感じだと思って頂ければ分かりやすいかもしれません。もしくは、関西で「なんや!」だけで会話が成立するコピペみたいな感じ。
そんなとこです。
次話「016 またやっちゃったよ」は4/13(金)12:00に更新予定です。




