013 何かできそうなことを探そう
『ごはん、おいしかったです!』
今日もまた、おいしいごはんを食べさせてくれた山賊の頭改め、食堂の主人。ぱくぱくとごはんを食べるエルを見て、満足そうに頷いている。
そんな主人さんに対し、エルは感謝を全身で表現するべく飛びついた。
激動の一日を終えようやく、自分が親切な人々に助けられたのだ……と理解したエル。
迷子になった挙句無銭飲食をやらかし、不安で大泣きしてしまった失態を思い出すと顔から火が出るほど恥ずかしくなる。
しかし、その後エミリィに抱きしめられガウルに抱きつき、撫でられて心から安らぎを感じていたエルは、開き直りにも似たある境地に達していた。
(言葉は通じないんだ、感謝の気持ちを伝えるには感情に任せて思いっきりアピールするしかない!)
その結果、エルは抱きつきマシーンと化した。
エミリィにも何度か抱きついてはいるが、彼女はいつも嬉しそうに抱き返してくれる。
何となくまだエルが怖がるのではないか、と怖れている節のある雰囲気のあるガウルには「もうぜんっっぜん怖いって思ってない」とアピールするため、積極的に近づく事にしている。
抱きつく度に、一瞬固まった後妙に嬉しそうな顔で頭を撫でてくれるので、エルの考えた作戦は大成功といえるだろう。
エルがガウルにまとわり付いているのは、それだけが理由ではない。
(これからの事、ちゃんと考えないとな。まずは主人さんの動きを今日一日しっかりと観察して、何かできそうなことを探そう)
エルは、宵闇亭で働く気なのだ。
(迷惑ばっかりかけてるんだ。僕もなにか恩返しがしたい! 幸いにも、ここは食堂だ。僕は元々料理人を目指していたわけだし、料理屋でのバイト経験もある。きっと何かできる事があるはずだ!)
そう思ったエルは、何か手伝えることがないか探そうと、ガウルの後をちょこちょことくっついて歩いていたのだった。
宵闇亭でのエルの一日は、ガウルが運んでくれる朝食を摂るところから始まる。
それまでならそのまま部屋に引きこもって、魔法修行という名のお昼寝を開始するエルだったが、今日からは違う。エルはガウルと共に部屋を出た。
エルの食事を片付けたガウルは、食堂へと戻った。その後をくっつくようにして歩いていくエル。
ガウルは少し驚いたような様子を見せたが、特に気にせずにそのままずんずんと奥へと入っていく。ただ、その顔はいつもより3割増しで緩んでいたが。
食堂にあるカウンターの奥には厨房があり、更にその奥にあるのはガウルが寝泊まりしている住居兼事務所だ。事務所には食堂から直接アクセスする事もできる。
事務所にあるもう一つの扉をくぐると、そこは裏庭だ。裏庭には水を生成する魔道具と排水口からなる水場と、冷蔵の魔石が設置してある倉庫――冷蔵倉庫があった。
ガウルは冷蔵倉庫へと入っていく。エルが覗き込むと、中には様々な野菜や乾物が並び、奥の方には棚に肉や魚が沢山備蓄されているのが見える。奥に行けば奥に行くほど冷える構造になっているようだ。
(うわあ、すごい量の食材があるなー。かぼちゃ、にんじん、たまねぎ、じゃがいも、白菜……この辺りは日本の物とあまり変わらないな。味も同じなのかな? これはなんだろ? 芋? 根菜? やたらと禍々しい形をしているけど……)
エルは異世界の食材に興味津々だ。料理人としての血が騒ぐのだ。
そんなエルが入り口の辺りで野菜を漁っている間に、ガウルは奥の方から頭の落とされた魚を担いで戻ってきた。
昨日、エルが号泣してしまった時に担いでいたクロッツォだ。あの時のことを思い出したのか、ガウルが一瞬硬直したのを見てエルはガウルに飛びついて、大丈夫だとアピールする。
『くしゅん!』
そんなエルの頭を撫でてくれていたガウルだったが、エルがくしゃみをしたのを見て、慌てて空いていた片手でエルを抱え上げて冷蔵倉庫から出た。
魚を水場に置いて、一旦厨房に戻ったガウルは……エルの方をやたらと気にしている。と思ったら宿泊施設まで行き、エミリィを呼び出した。エルを預けようとしていたようだが、エルが離れないのを見て溜息を付くガウル。
なにやら相談した後に結局、ガウルはエルとエミリィを連れて厨房に戻ってきた。
(なんだろ?)
理由はすぐに分かった。
ガウルは、エルの方を何度も見ながら鞘に入った大きな刃物……例の出刃包丁? を棚から取り出したのだ。
エルが大泣きした時に持っていた物なので、また同じような事が起こらないか心配だったようだ。ガウルとしては、できればエルのいない所で作業をしたいと思っていたのだが……エルがどうしても離れてくれないので、いざという時の為にエミリィを連れてきたのだ。
もちろん、大丈夫だというアピールを込めてエルはガウルに抱きつこうとした。刃物を持っていて危ないからという理由で、エミリィに止められはしてしまったが。
その後、エミリィと一緒に裏庭でガウルが魚を捌くのを見学する。
(なるほど、この世界でも魚は三枚に下ろすんだな。っていうか、すっごい切れ味と馬鹿力だな……どうやったらあんなデカくて中骨のゴツい魚を大名おろしにできるんだ)
中骨ごとズバズバと断ち切りながら、軽快なノリで魚を下ろしていくガウル。今更確認するまでもないが、やはり昨日の主人さんは魚を捌いていたのだとエルは改めて確信する。
食べる部分を切り出し、中骨などのアラを排水口らしき穴にポンポン放り込んでいくのを、エルは悲しそうな目で見ていた。
(あぁあ〜〜……なんてもったいない……あれで出汁を取ったら絶対おいしいのに……! ていうか、あれ排水口だよな。あんな量のゴミ流して大丈夫なのか? ……大丈夫なのか)
日本では考えられない大雑把な処理の仕方に驚いたエルだが、すぐに何かの処理設備があるのだろうと納得する。飲食店から出る生ゴミの量は一般家庭のそれとは比較にならないレベルだ。
この処理の仕方に問題があるのであれば、あっという間に排水口は使い物にならなくなっているだろうに、そんな気配はまったく感じられない。
であれば、これでいいのだ。
「落ちんなよ。生き物は溶かさねえが、スライム塗れにはなりたくねえだろ」
ガウルは笑いながらそう言ったが、内心は結構ハラハラして眺めていたのだった。
その後エミリィはどこかに出かけ、ガウルは厨房に戻って食材の下ごしらえをしていた。
エルも何か手伝えないかと虎視眈々と狙っていたが、そもそも厨房の設計上、作業スペースの高さは全てエルの目線とほぼ同じだ。
更に、食材を次から次へと捌いていくガウルの手捌きはまさに熟練のもので、前世のエルでも到底太刀打ちできない程の速さだった。
なので、残念ながらエルに手伝える事は何もなかった。
それが終わったら清掃。食堂の床を箒で掃き、モップで磨き、机や椅子を磨いていく。
(なるほど、机の上はあの布で、水はバケツで庭から持ってくる、と。これならできそうだなー、明日からお手伝いしてみるか)
ようやく一つ手伝えそうな事を見つけたエルは、嬉しくなってガウルに飛びついた。苦笑したガウルはしばらくエルを撫でた後、カウンターの一番奥の席にエルを座らせてくれる。
その席でエルは、開店準備をするガウルの姿をニコニコしながらずっと眺めていた。
真昼を告げる鐘がなると同時に、宵闇亭の昼営業が始まる。
宵闇亭は、その名の通り夜の営業がメインだ。しかし常連客達の要望で、お昼にも短時間ではあるが営業を行っている。
昼のメニューは軽食と喫茶だ。
「おーっす、いつものを頼む」
「こっちもいつものをお願いします」
「……」
常連客がぱらぱらと店に入って来た。宵闇亭では、客がカウンターに来てお金を払い、料理を注文するとガウルが料理を作る。客はそのままテーブルで待っていれば、ガウルがそこまで運んでくれる……というシステムになっていた。
だが、気分で注文を変えないタイプの常連は挨拶だけして素通りだ。それでも、ガウルがいつものメニューを持ってきてくれることを知っているからだ。極端な者になると、一言も声を発さずに黙ってお気に入りの席に座っていたりする。
常連客が入る前に昼食を出してもらっていたエルは、料理を味わいながらその様子を眺めていた。
(うーん……ワンオペなのに配膳まで主人さんがやってるのか。ここもなんとかしてお手伝いできないかなあ)
椅子から降り、背伸びしてカウンターの上にある自分のトレーを取った。もちろん、料理はスープの一滴すら残さずに平らげられている。
それを持ってとことこと歩いてみたり、片手で持ってみたり、曲げた腕の内側でキープしてみたりと色々試してみたが、問題はなさそうだ。
(んー、このあたりは問題ないなあ。身体がドジっ子で、それに引っ張られたらヤバいな、って思ったけどそんな事もないし。むしろ、前世の僕よりスペック高いんじゃない?)
「あらあら」
「ふふっ」
「ほほっ、これはまた可愛らしいもんじゃの」
つま先立ちしてみたり、くるっとターンしてみたり、頭の上に持ち上げてみたりと色々試してみるが、全くバランスを崩す気配がない。
これなら、配膳を手伝う事も問題なくできるだろう。エルはそう確信して上機嫌になり、にこにこと笑いながら食器をガウルの所まで持っていった。
ただ、食器を受け取ったガウルの顔がやけに嬉しそうだったのは、何でだろう?
エルは首を傾げたが、気を取り直すとガウルに抱きついて感謝の気持ちを表す事にした。
『ごちそうさまでした! おいしかったです!』
……そんなエルの姿が、周囲からはどう映っていたのか。
宵闇亭の主人が森の中でエルフの子供を保護したという話は、既にある程度広まっていた。それが理由で縮小営業を行っているため、昼は状況次第、夜は基本的にはオープンするがこれもまた状況次第、というように客には説明されている。
客は皆、ガウルの人柄を知っている。なので、「大丈夫かぁ? 顔見て逃げられたりしてんじゃないのか?」なんてからかいながらも、特に文句を言う事もなく宵闇亭に通い続けている。
子供を保護して以来、ガウルは目に見えて機嫌が良い。それはエルが毎日おいしそうに自分のごはんを食べてくれるからなのだが、傍目から見ても子供といい関係を築けているのだという事は分かった。
それだけに、昨晩の出来事を目撃した客達はガウルを心配していたのだが……すやすやと眠るエルを抱いて戻ってきたガウルを見て、安心したのだ。
その少女が、今日は食堂に居る。
人を怖がっていると聞いていたが、そんな様子はない。おいしそうに、時々蕩けるような笑顔を浮かべてごはんを食べるエルの様子は、宵闇亭を訪れた人々の心を和ませていた。
食べ終わってしばらくして、エルはカウンターの席から飛び降り、トレーを持ってぴょこぴょこと歩き出す。
よほどごはんがおいしかったのだろう、上機嫌でくるくると回ったり、妙なステップを踏んで踊るエルの姿は、とても可愛らしかった。
食器も綺麗に空っぽになっていたし、トレーに乗っている木製のコップや器は、落としても割れることはない。
居合わせた客はその様子を微笑ましく眺めていたが、最終的に食器をガウルに返してから抱きつくというエルの行動に、何かの感情が振り切れてしまい、揃って悶絶していた。
昼営業が終わってからは再び下拵えの時間で、エルには手伝えることがなくなる。邪魔をしてもいけないので、お昼寝……いや、魔力修行をエルは行う。
夜営業のざわめきで目を覚ましたエルは、夜の営業中も食堂に居座って店の事を観察した。注文システムは昼と変わらない。
エルの目から見ると、ガウルが役割の全てを担っているため、作業が滞ってしまっているシーンが多く見られた。しかし、この宵闇亭で少し料理が出るのが遅かったからと言って文句を言う客はいない。
ごく稀に新規の客がそういった問題を起こすことはあるが、そんな奴は問答無用でガウルに、時には他の客によってつまみだされる。お客様は神様、なんて言葉はこの世界にはないのだ。
エミリィもいつの間にやら戻ってきており、ガウルの作った料理を啄んでいた。そのまま特に問題もなく、閉店の時間を迎えた宵闇亭の灯りは落ちる。
片付け、清掃。仕事終わりの一杯をガウルが引っ掛け始めた頃には、エルは目をしょぼしょぼさせていた。
「エルちゃん、もう寝ましょ?」
そういって腕を回すエミリィの身体に自然にしがみつき、抱き上げられるエル。胸の中で目をこすっているエルを笑顔で眺めながら、エミリィはガウルに声をかけた。
「ふふっ、ガウル、良かったわね。エルちゃんも宵闇亭の事、気に入ってくれたみたいよ」
「あぁ、そうらしいな」
ぶっきらぼうに応えるガウルに、エミリィは苦笑を浮かべた。
「もう、嬉しかったくせに。素直になりなさいよ、エルちゃんに嫌われるわよ? じゃあ、おやすみ」
「……あぁ、おやすみ」
困ったようにぽりぽりと頬を掻くガウルを満足そうに見たエミリィは、エルを抱いて部屋へと戻っていった。
こうして、宵闇亭で過ごしたエルの一日は終わりを告げた。
エミリィにお湯で身体を綺麗にされ、ベッドに潜り込む。
(昼営業と併せて、店の雰囲気やシステム、あと仕事の内容はだいたい把握できた。今のところ僕にできそうなのは、掃除と配膳くらいかなー。あとは接客……かな? 思いついたアレ、試してみるか。
よし、明日から気合を入れてお手伝い……する……ぞ……)
微睡みの中決意を新たにしたエルは、穏やかな眠りに落ちていった。
次話「014 尻に敷かれてるんですか」は4/11 12:00更新予定です。




