001 どうしてこうなった
息抜き+テンポ練習。サクサク話が進んでキャラが動くような作品を目指してみます。
本当は月が明るい夜なのだろう。
見上げると、処々に葉の隙間から夜空が覗いており……しかし、月光では光量が足りておらず、太陽のように木漏れ日で地面を照らしてはくれない。
見渡す限りの闇。どれだけ目を凝らしても薄っすらと木々の輪郭が見えるだけで、伸ばした自分の手の輪郭さえ曖昧だ。
暗い森の中、しかも裸足で動き回る事なんてできるはずもない。
仕方なく、手探りで探り当てた大きな樹の窪みに身体を滑り込ませて膝を抱え、うずくまる。
(……どうしてこうなった?)
彼女は泣きべそをかきながら、直近の記憶を掘り返していた。
ーーー
僕は、東京にある調理師専門学校に通う専門学生だった。
地方には父と母と姉が居て、高校を卒業した時に無理を言って上京を許してもらったのだ。
料理人になる。そんな夢を父は笑って応援してくれた。
母はずっと僕の一人暮らしの事や、将来やっていけるのかと心配して反対していたが……最終的には許してくれた。
姉は「弟が出ていってせいせいする」、と憎まれ口を叩きながら、引っ越しの手伝いを最初から最後までしてくれたっけ。父の運転するトラックに乗って帰っていった姉の横顔に、涙が浮かんでいたのは見間違いじゃなかったと思う。
そうして東京で一人暮らしを始めて、もう半年が経つ。
ようやく生活にも慣れ、先輩のツテで始めた料理屋のバイトも好調で……
そして、あの事故に巻き込まれた。
多分、ガス爆発か何かだろう。
吹き飛ばされた僕が見た最後の記憶は、ボロボロになった厨房と、自分の腹を貫いた棒状の金属。
僕の名前は――思い出せない。
ーーー
目覚めた時はまだ明るい時間だった。
(どこだここ?)
驚き、きょろきょろと周りを見回す。そこは薄暗い森の中だった。
富士の樹海を思わせる、管理されていない原生林。間伐もされているようには見えず、むき出しの岩場だらけに見える足場は悪い。
裸足では、とてもまともに歩けそうにない。
(……裸足? なんで裸足で僕はこんな所に? ……って、それより!)
バッと音を立てる勢いで自分の腹を見る。
(あれ? 傷がない?)
ついさっき、気を失う直前に貫かれていた腹には血の痕どころか、傷さえついていない。
ぷにぷにですべすべのやわらかいおなかが、そこにはあった。
「は?」
改めて自分の体を確認する。
傷は――ついていない。
骨も――折れていない。
まるで、爆発事故になんて合っていないみたいだ。
服は――襤褸の布切れ。ぼろぼろのロンTだけ着ているような感じ。サイドが縫い合わされていないので、これはもしかしなくても貫頭衣という奴だろうか。
髪は――チリチリにはなっていない。アフロにもなっていない。むしろ、さらっさらのつやっつやだ。明らかに普通の髪よりも繊維が細い。そして、長い。後ろ髪は腰よりも長く、木漏れ日を反射してキラキラと銀色に輝いている。
手――なんか、指が短い。全体的にぷにぷにしている。
足――なんか短い。全体的にぷにぷにしている。
顔――全体的にぷにぷにしている。あと、耳の形がなんかおかしい。長い。
そして股間――ブツが、ない。
「……はああああぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!?」
周りを見渡し、岩のくぼみに水が溜まっているのを見つけて映る姿を確認した結果、判明したのは――自らの姿が、まごうことなき幼女になっている事実だった。
そして、今に至る。
とっぷりと日が暮れた後、森の中は闇に支配されてしまった。
全く動けなくなってしまった彼――いや彼女は、膝を抱えてうずくまることしかできなくなってしまったのだ。
(なんで僕が幼女になってるんだ……? しかも、あの姿……まるで小説に出てくるエルフみたいだった。転生って奴なのか? そんなまさか……とは言えないよな。この状況じゃ……ぐすっ……。なんで……なんでこんな事になったんだ? うぅ……だめだ、泣きそうだ……こんな事で泣くような人間じゃなかった筈なのに……ううぅ……身体に引っ張られてるのかな……あうぅ……不安だよお……ふえぇ……)
抑えきれない感情の波に飲まれ、ぽろぽろと涙を流す。
声を上げて泣かないのは、ギリギリ残った大人としての理性が、獣やそれ以外の恐ろしい何かを呼び寄せないようにと警告しているからだ。
何とかして泣き止もうと努力していたが、しゃくりあげるような嗚咽は隠せない。
“それ”が彼女の存在に気づいたのは必然だった。
「グルルルルルル……」
「ひっ……」
両手で口を押さえたがもう遅い。
いつのまにか、彼女の目と鼻の先には一匹の狼が佇んでいた。
群れからはぐれた一匹狼。
一匹では狩りすらままならず飢えていた彼にとって、極上の餌がそこにあった。
「あ……わああああ!!」
弾かれたように走り出す。
裸足のままの足を岩の角や木の枝が傷つけていくが、そんな事を気にしている余裕はない。
「あぐっ! ぶえっ!」
ろくに視界もない中、方向もわからずがむしゃらに走るせいで様々な物に激突する。
木と正面衝突しておでこをぶつけ、枝に肩を引っ掛けて無様に転がり、倒木に足をぶつけて顔面から転がる。
それでも必死に逃げる彼女を、一定の間隔で狼は追っていた。
ゆっくりと追い詰めて、動けなくなってから確実に仕留めればいい。相手は子供だ、どうせすぐに動けなくなる。
狼はそう考えていた。
だが、そんな悠長な考えのせいで、彼はご馳走にありつけなくなった。
「……え?」
ふいに、地面の感覚がなくなる。
転がるように飛び出した先は崖になっていた。
「うひゃあああああああああああ!!!」
痛恨の表情で崖上に留まる狼。さすがに獲物を追って飛び降りるような事はしなかった。
「あああぁぁぁあああもうだめええええ」
悲鳴を上げながら落下していた彼女は、ザッパーン! と大きな水音を立てて派手に着水した。
崖下が川になっていたのは、彼女にとっては幸運だった……のかもしれない。
「……なんだ?」
その日、ガウルは川辺で野営をしていた。
森の深部で仕留めた大猪を川を利用して運搬し、街近くのこの場所で解体していたのだ。
この時期の大猪は木の実をたくさん食べており、脂が乗っていてとても美味い。例年、この時期の看板メニューは大猪のスライス焼きだ。
スライスした大猪肉をカリカリになるまで焼き上げ、たっぷりの塩を振る。そんな単純な料理だが、素材が良ければ極上の味に仕上るのだ。
木の実をたらふく食べた大猪の脂はとても甘い。その脂をパンに吸わせ、かじりながら飲むエールは最高だ。
今年もそんな時期がやってきた。常連客にまだかまだかと急かされ、久しぶりに森に入ることを決意したのは数日前の事だった。
手慣らしに野兎を数匹仕留めたガウルは、この水場で一泊してから森の奥に入り、見事に大猪を仕留めてみせた。
明日は街までこの獲物を運ばなくてはならない。
運搬用の荷車はここに置いてあるし、ここから先は街道を行くだけなので無理をすれば今晩中にでも運べないでもないが……急ぐ理由もない。
そんなガウルの耳に飛び込んできたのは、激しく水を叩く音。
「……魚でも暴れてんのか?」
それにしては音が妙だ。魔物でも流されてきているのかもしれない。
折角の獲物に手を出されても面倒だ。
そう思って川辺に降りてきたガウルが見つけたのは、ばしゃばしゃと水面を叩きながら流されてきた銀髪の子供。
「……っ、マジかよ!!」
ガウルが駆け出すと同時に、子供は流れに巻かれたのか、それとも力尽きたのか……とぽん、と音を立てて川に沈んでいった。
「くそッ!」
ざばん! と音を立てて水に飛び込むガウル。
明るい月夜だったのが幸いして、水中で銀髪がうっすらと輝いているのを見つけたガウルは、片手で子供をつかむ事に成功する。
「うおっっ……しゃ!」
流れに足をとられながらも、ガウルはそのまま子供を川辺に引きずりあげる事に成功したのだった。
今日は3話くらいまで投稿する予定です。