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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第二幕:皇帝の妾妃
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096 結び目

 アンと別れてしばらく、コンツェは最初の城門をくぐった。

 フェイリットを捜すには、同僚であるトリノを見つけたほうが早い。彼なら行動が習慣化しているし、今のこの時間なら練兵場近くで見つけることができるはず。そうしてくぐった城門から、皇帝宮につながる中央の道は上らず、コンツェは左へと反れて軍轄の地区を目指していた。


 まばらに行き交う人は、軍衣を纏っている者も、そうでない者も入り混じる。元々が関係者の料理屋や宿が並ぶ区域なので、城下から仕入れを上げるために民の出入りの制限は緩やかなのだ。フェイリットと二人、テナンへ旅立つ前に酒を呑んだ赤い鳩(ティカ・ティク)亭も、この辺りの奥にある。


「イムタナか、しばらく食ってないな」

 島国テナンと本土のイクパルでは、海に隔てられるせいか食文化も大きく異なる。テナンの食事はまず手では食べず、香辛料も目立って使うことがない。

 イムはパンと呼び、タナはスープと呼ぶ。味も内容もまったく違うが、領土にされた歴史のあるメルトロー王国に、どこか似ているのは確かだ。


 香辛料の効いたタナの匂いが、夕時の食欲を刺激する。アシュの具合がよくなっていたら、一緒に食いにこよう。そんなことを考えながら、コンツェは練兵場へとたどり着いた。

 その厩舎のある区画を前にして、まばらな人波のあいだから見覚えのある背中を見つける。


「……あ、」

 ターバンを巻き、乳色の短い衣装を覆うその姿は、けれどトリノではありえなかった。

 健康的に日焼けをしているが、肌は明らかに白く北方の色。ほんのりと赤く色づいた手で、どこで転んだのか全身についた土埃を払っている最中だ。

 トリノではない。……あれは間違いなく〝彼女〟。

 立ち止まって、コンツェは惚けたように目を開く。


「フェイリット……」

 言うや否や、駆け出すほうが早かった。近づく気配に振り返る彼女が、即座に目を丸くする。

「わっ!?」

 手を延ばし肩を引き込んで、コンツェはその小さな身体を抱き締めた。

 逢えるとは思わなかった。こんな道すがら、しかも彼女の仕事とする小姓の動きは宮殿が主なのだ。そんな立場にいるはずの彼女に、偶然歩いていて出くわすことはまずない。

「コン……ツェ?」

 胸板で押しつぶされそうなくぐもった声が名を呼ぶ。


 コンツェは慌てて腕を弛めて、しばらくぶりの透き通った瞳を見つめた。空よりも薄く、水のように透明な輝きは、向こう側の透ける色硝子の純色に、どこか似ている。

「元気だったか」

「うん、コンツェも。よかったね、戻ってきたんだね」

 はにかむように笑うその頬を、なんとなく摘んでみる。土まみれのやわらかい頬を延ばされて、フェイリットは眉をひそめた。



 ――だめだ……、可愛い。



 しばらく離れていたせいなのか、なんだか前より可愛く見える。伏せがちな濃金の睫毛がゆれるたび、吸い込まれるような感覚に襲われる。そこへ向けて思わす唇を這わせそうになり、摘んだ頰をそっと離した。

 滲み出る雰囲気が、不思議に色づいて感じられるのは何故だろう。剥げ落ちそうな理性を必死に抑えて、コンツェはゆっくりと微笑んで見せた。

「……ただいま」


 不本意そうな彼女の顔は、この一言で笑みに変わった。

 帰ってきたわけではない。お前を連れゆくために戻ってきた。

 ……そして、シアゼリタを殺したのは帝国なのかを確かめるために。

「おかえり」

 フェイリットは伏せていた目をこちらに向け、にっと歯を見せた。後ろ手に手を組む彼女を、笑いながらもう一度腕の中におさめる。

「はうっ! ちょっと」

「ああ、潰れたら責任とるよ」


 ひとしきり笑い、じゃれ合いながら、そこで初めてコンツェは首を傾げる。

「なんかお前……背、のびた?」

 変わった変わったと感じていたものは、身長のせいだろうか。

 違和感の根源は、アシュケナシシムとの差だ。彼よりひと回りも小さいはずのフェイリットの頭が、胸板を過ぎるまで届いている。年頃とはいえ、あまりにも伸びるのが早い気もする。

「本当? みんな大きいから気づかないの」

 嬉しそうに声を張ると、フェイリットは二三歩下がって自分の頭に手を乗せた。


 空中でその手がこちら側に突き出されているところを見ると、どうやら背くらべをしているらしい。懸命な眼差しでしかめっ面をつくり、その手を動かす様は、見ていて愛らしい仕草だった。

「そんなんじゃ余計わかんないだろ」

 こちらから近づいて、ほら、と身体を引き寄せる。こつん、と胸にあたる彼女の額の上を指して、コンツェは笑った。

「前はこの辺だった。やっぱり伸びたな、あんまりアシュと変わ……」

「アシュ?」

「……あ、ええと……、アシュケナシシム」


 思わず挙げてしまった彼女の〝弟〟の名。けれどそれを聞いてなお深く考えるそぶりもなく、フェイリットは笑って首を傾げたのだった。

 ――まさか弟のことを、知らないのだろうか。


「いや、なんでもない」

「テナンの人? あ、これからアンの所に行こうと思ってたんだよ。一緒にいかない?」

「アン?」

 そう、と頷いてフェイリットは笑顔になる。

「わたしもね、しばらくアデプにいなかったんだ。黙って出ちゃったから、心配かけてるかもでしょ。やっぱりアンにはお世話になってて、会いたいし」


 ほんのり頬を赤らめて話す彼女を見て、少しだけアンが羨ましく思える。

 自分の話題を口にするとき、彼女はこんなに嬉しそうな顔をしてくれるだろうか。

 どこに行ってたんだ? や、何をしに行ってたんだ? などという質問が、コンツェの頭を占めることはなかった。この時聞いていたなら――何かが。


 いいや、きっとどちらにせよ、何も変わらなかった。

 なぜ彼女を傷つけることになったか。

 なぜ彼女を追い詰めることになったのか。

 なぜ、

 ……その分かれ道は、思い返せばきりがなかったと、後になってコンツェは気づく。


「実はさっき、アンにはばったり行き逢ったんだ」

「そうなの? じゃあ、行かない?」

 コンツェが頷くと、フェイリットは残念そうに首をすくめて笑った。

「残念、またイムタナ食べにいこうね! 今度はわたしがごちそう……」

「おいそこのチビッコ!」

 彼女が言い終わるのを待たず、盛大な怒鳴り声が路地裏から聞こえてくる。

「てめぇが奢んのは今日! 今だ! おせえ、どこで油売ってやがる」

 うわっと肩をすくめ、フェイリットは思い切り顔をしかめて見せた。


 肩で風を切るようにして路地裏の店から男が出てくる。

 薄い蜜色の肌に、見るからに悪そうな目つきが余計にぎらぎらしていた。ターバンを巻き着衣も民草の出で立ちだが、軍衣を着ていなくとも彼が兵であることは間違いない。

「馬上から跳び蹴りなんて卑怯だ!」

 土まみれの小姓衣を、男の前でばたばた煽りながらフェイリットは毒づく。

「けむい、煽んじゃねぇよ。きまりなんて誰が作った?」

「きまりじゃなく常識ってものが、」

「戦場じゃ卑怯もなにも勝った方が偉いんだぜ。敗者は黙って搾取されるもんだ。だろ? エトワルト王子様」


 矛先が唐突に向けられて、コンツェは目を瞬く。

「王子様?」

 首を傾げるフェイリットを見やり、ようやく伝えていないことを思い出す。自分がテナン公国の第五公子であるという素性を。

 何度か周りに言われたはずだが、そのたびに彼女は何らかの怪我で朦朧としていた。おそらく今になっても、把握はできていないだろう。


「あ、ええとフェイリット」

「と、言うわけでだ。王子様、連帯責任だお前も搾取されろ。酒盛りすんぜ。フェイリット、てめぇは軍医んとこに逃げんじゃねえぞ」

 断る、という選択肢はなかった。人質さながら、引きずり込まれるようにして店に追いやられ、あれよという間に酒を酌まれる。

 後ろからついてきたフェイリットが、「あーあ、」と額に手を当てるのが見えた。


「よう、フェイリット……と、まあ、今日は弔い酒だ、あんたも存分に祝ってけ」

 顔を半分だけ包帯で覆う男が、近づいてきて酒を足す。

 弔いなのに祝う? 言っていることの矛盾を指摘するべきか迷って、コンツェは困ったように苦笑した。


 こんなに賑やかな時間を過ごしたのは、暫くぶりのことだった。見知らぬ男たちと酒を交わしながら、コンツェとフェイリットは、いつの間にか大仰に笑っていた。





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