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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第二幕:皇帝の妾妃
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091 瑠璃の海から

「ジル! 見て!」

 呼びかける声に、ジルヤンタータは覆面にしていたヴェールに指をかける。弛めたそこから、逆光で黒く影のついたフェイリットが馬をとめて振り返る姿が見えた。

「帝城だわ!」

 地平は一面をうつくしい橙色に染めて、沈む太陽を迎えていた。彼女の指し示すその先に、夕陽に照らされて燃えるような城と街が聳えている。


「……はあ、着きましたね」

 フェイリットの隣に馬を並べ、ジルヤンタータは頷く。自然と出るため息は、自分でもどこかほっとして感じられた。再び目にしたら、虫唾が走ると思っていた赤く猛々しい城。けれどなぜだか、不思議な安堵ばかりが胸を占めていた。


「おう、フェイリット! 先に着いた方がメシ奢ることにしようぜ」

 土煙りを豪快にたててシャルベーシャが追いついてくる。

 ここ何日かの道のりで、二人はすっかり意気投合して見えた。持ちかけられた勝負に、フェイリットはあからさまに顔をしかめて声をあげる。

「そんな、行かなきゃならないところがあるのに」

「じゃあお前が負けたら金だけ出せ。お前ら! こいつに勝ったら奢りだ!」

 シャルベーシャは振り返り、他のマムルークたちに大声をあげると、あっという間に馬の腹を蹴って行ってしまう。


「奢りって、わたしが出すのかなぁ」

 諦めたように息を吐き出すそのさまは、どう見ても焦っているようには見えない。ジルヤンタータの驚いた視線を受け止めて、フェイリットは肩をすくめた。

「大丈夫、見てて」

 歯を見せて笑ったかと思うと、そこにはもう風だけが残っている。ヴェールとローブをばたばたと泳がせて疾走する小柄な背中を見やり、ジルヤンタータは口を開けた。


「ああ見えてシャルベーシャは、マムルークで一番速い」

 落ち着いた声が背後から聞こえ、ジルヤンタータはたずなを引こうとして上げた腕を、そっと止めた。

「マムルークは身分こそ低い奴隷軍隊だが、実力猛者の集まりだ。あいつは闘わせても速いが、馬に乗ったら並べる者はまるで居ない」

 振り返ると、顔の半分を包帯で覆ったマムルークの男と目が合う。


 タァインに襲われた折に、馬の鐙に足をかけたままの姿勢で顔を引き摺られたのだという。骨折や脱臼はしていないから軽症といえるが、その包帯を取ったさまを見ては、きっと眉をひそめずにはいられない。

 生き残ったマムルークは、たったの二人。タァインの爪をかろうじて免れたシャルベーシャを含めても、戻ってきたのは三人にしかならない。出発時の人数を考えたなら、その数は半分以下だ。


「そんな化け物と並んでいるなど、あの娘はかなり貴重だぞ。せいぜい、シャルベーシャに引っこ抜かれんよう見張ってることだな」

「引っこ抜かれるなどと! あの子は女ですよ」

「そんなもん関係あるか。欲しいもんは奪い獲る、それが砂漠の民さ。さあさあ、久々に酒が飲めるぞ」


 よく日に焼けた顔で盗賊まがいのことを口走るくせ、楽しそうに笑う。男は馬の首を撫でてやってから、その場で軽く足踏みさせ、

「まだ飲んどらんからな。〝奴ら〟への弔い酒だ。自粛にうるさかった隊長さんも、そろそろ許す気になったのだろうよ」

 そう残して小さく笑うと、馬を駆けさせていった。


 あのままでは彼の奢りになってしまうのではないか――そんな考えが頭に浮かぶが、ジルヤンタータは苦笑して馬の腹を軽く蹴った。

 あの嬉しそうな顔。きっと奢るのさえ考慮のうちなのだろう。


 ふと見やると、しばし遅れてバスクス帝の馬が迫っていた。ヒーハヴァティ公女を相乗りさせて、この荒地をずいぶん押さえながら走っていたようだ。

 帝都を見つけて声を上げる公女の嬉しげな会話が、風にのって耳に届いた。




* * *



 「……へえ、ここが」

 溜め息をもらすような声を背中に聞いて、コンツェは桟橋にかけた片方の足を引っ込めた。

 横を見た途端、眉をしかめるアシュケナシシムを見つける。

「なにさ?」

「お前だけ帰ってもいいんだぞ」


 テナンへ発つ前には人気がちらほらと見えたはずの漁村も、今では干されていた魚や生活をにおわせる炉端の煙さえ、見当たらなくなってしまった。

 まるで災害を見極める鳥のように、人々はこの国の情勢を嗅ぎ取っている。テナン沖の町々では、このような光景が延々とつながっていることだろう。


 イクパル本土へ足をつけてしまった以上、身の振り方によっては命を狙われることもあり得る。いくらぼろ(、、)を纏い髪をターバンで覆っても、アシュケナシシムの容姿では、すぐにイクパル民族ではないとわかってしまう。

 本当にこの国の情勢が傾いたなら、彼はコンツェよりも危険な立ち位置にいるのだ。


「いいんだ、来てみたかったから。あっついなーって思っただけだよ。ほら、降りて」

 漁船を横づけにした桟橋に足を置くと、コンツェとアシュケナシシムは揃って船を見上げた。船の舳先には、荒波の中を導いてくれたギザサがしかめ面で立っている。


「……で。おれぁ待ってればいいのかね」

 航路の途中、幾隻かのイクパル側の監視船に指し当たった。漁船といつわりここまで辿りつけたが、何日も停泊していれば尚さら監視の目が届きやすい。これ以上の関わりは、それこそ彼の長年をかけて培った〝平穏〟を脅かすことだろう。

 コンツェは静かに首を横に振り、深々と頭を下げて答えた。


「いえ、突然の願いを聞いていただき、ありがとうございました。帰りはまたなんとかします。俺たちは大丈夫なので、どうかご無事にお帰り下さい」

 下げた頭の上で、野太い声が「殊勝なもんだな」と吐き出される。


「お前がワルターの秘蔵っ子じゃなかったら、話さえ聞かなかったろうよ」

「秘蔵っ子ですか」

 テナンを離れたのが十三歳に近い頃。それから五年の歳月を彼にくっついて過ごした。〝文〟に関してはからきしのワルターだが、〝武〟に関しては多くを学んだものだ。


 目をかけてもらっている自覚もあるが、近衛に入ってからは彼の直属を遠慮していた。理由を語ったことは無いが、それはきっとワルターにも察しがついている。



 近衛師団は―――バスクス帝にとても近い。



 ワルターの手の上から外れたことで、〝秘蔵っ子〟と――まるで自分の息子のように自慢されることは、もう長く聞かなくなってしまった話題だ。

「……まあ、どっちに転びたいのか分からんが、案じてくれてる奴がいることを忘れんじゃねえぞ」

 下げた頭をふと上げて、コンツェは困ったように微笑んだ。

「――はい」


 テナンを出てから、三日の日にちが経っていた。

 大荒れだった天候は徐々に回復を見せて、今では心地よい潮風が波をやさしく撫でつけている。

 少々弱い風向きだが、帰路のほうが安全なことに変わりはない。遠洋の豊かな海流をとらえれば、魚を充分に採って帰れるはずだ。


「いつかまた乗せてね、おじさん」

 アシュケナシシムが走り出し、船に向かって手を挙げる。

 広がる瑠璃色の海をすべりながら、梶から手を離したギザサが応えるように手を払って見せた。

「珍しいこと言うんだな」

 飛沫をあげて小さくなっていく漁船を見ながら、コンツェはアシュケナシシムに言いやる。からかったつもりだったが、小さく笑っただけで彼は何も返さなかった。


「さてと、ここから帝都までは半日だ。馬をどこかで調達しないとな」

 遠くの雲に薄茶けた白帆が溶け込んで、船の影が見えなくなるまで見送るとコンツェは海に背を向けた。

「……そうだね」

 応えると、ぱっとコンツェから視線をはずして、アシュケナシシムは空を見上げる。その瞳はしっかりと閉じられて、じっと何かを感じているようだ。

「どうかしたか」

「あぁ……ここにいる…」


 ――サディアナが。


 ターバンからこぼれた金色の長い髪がひと房、風に流されて宙に舞う。横顔を見つめてようやく、コンツェは彼らのつながりを思い出していた。

 上向いた小さな鼻や、桃色に色づく頬の丸みや、時おり見せるはにかんだ表情――やはり彼らは、双子なのだと思わざるを得ない。


 性別に違いはあるが、もともと中性的な雰囲気を持つフェイリットと、病がちのせいで年頃の男子より痩せたアシュケナシシムを並べたなら、それらの体格の差は身長くらいのものだ。


「にしても、さすがにこの格好はきついな……」

 そう呟いて、コンツェは片方の腕を目前に掲げる。乾いた風と肌の灼けるじりじりとした熱が、イクパルに戻ってきたのだと感じさせる。

「たしかに。漁民てのも面白いなって思ったけど、見てよ。日焼けでもう真っ赤だ」

 思いきり顔をしかめたあとで両腕を差し出され、コンツェは思わず笑っていた。フェイリットがこの場にいても、おそらくは彼と同じことをして見せただろうと思ってしまう。


「なに、失礼だね。早くいこうよ。……ここは人気がないけど、もう少し内陸に入ったら宿もあるんだろ?」

 顔を赤くして腕を引っ込めると、アシュケナシシムは風を切って歩きはじめた。

 可笑しさを引きずって動かないままでいると、


「早く来ないと、変なあだ名で呼ぶぞ! エトワルトって長いんだからな!」

 足を止めて、アシュケナシシムがこちらを顧みる。コンツェは笑って肩を竦めた。

「〝コンツェ〟でいいだろ、お前も」




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