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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第二幕:皇帝の妾妃
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070 ぬくもりへの距離

 「ハレムを縮小する……か」

 がらりとした玉座を見上げて、ホスフォネトは呟いた。


 解毒薬の入った瓶を手中に転がしながら、ルクゾールが返す。

「――皇帝の手つきの愛妾(ジャーリヤ)ともなれば、それだけで血筋に勝る栄誉。金を支払ってでも、貰い受けたいと名乗り出る貴族が山のように現れるでしょうな」


 バスクス帝は妾妃(ギョズデ・ジャーリヤ)新たに(、、、)幾人か設けると言った。それは要するに、今までハレムに居た愛妾(ジャーリヤ)からは選ばないということ。

「まさかこの為に、陛下は二年ものあいだ子を成そうとしなかったのか?」


 子を産めば、ジャーリヤは国の母となる。下賜できるのは子を持たぬ妾妃(ギョズデ・ジャーリヤ)まで。そう定められている以上、子を成せばハレムの縮小を果たすことができなくなってしまう。おそらくはバスクス帝の考えの中に、ジャーリヤが大勢いては〝厄介だ〟とする何かがあるのだ。


「……死ぬ気なのでしょうか」

「古い皇帝は国と心中し、新しい皇帝を立て、新しい帝国の基盤を――か?」

 ホスフォネトは小さく笑いながら、しばらく後、深い溜め息を吐き出した。

「そんなことを本当に考えているとしたなら……」


 六百年生きたタントルアス王にさえできなかったことを?

 たかが二十数年しか生きぬ若造に、できるはずが無かろうに。



 ――ホスフォネト、この癖毛がおまえのように真っ直ぐだったら、どんなにか良かっただろうな。可愛らしいと言ってくれるのは、幼い頃からおまえだけだったよ。



「貴方に忠誠を誓い、気が触れるほどの永い時を……この国の玉座で過ごした。貴方の傭兵として、貴方の愛したあの方の国の行く末を、もう四百年も眺めていることになるのだな」


 玉座からのみ見上げることのできる天井は、他からは死角になり知れることは無い。その天井に描かれた、竜を誘う人物のレリーフは、まばゆいほどの金で塗られている。静かな目でそれを見上げ、ホスフォネトは語りかけた。


「貴方には二度と、会うことができないと知っていながら……私は未だ、貴方を待ち続けていたようだ」

 貴方を喰らった黄金の竜エレシンスの、心臓を口にしたときから。


「ホスフォネト王」

 絨毯を踏みしめる足音が、背後に止まる。ルクゾールが小さく息をつくのを聞きながら、ホスフォネトは振り返った。

「私は水脈の話を進めてきましょう」

「……そうしてくれ」


 バッソスを観続けて数百年。それでも自分は王であり、民を潤す責任があった。

 水に枯渇したこの国にとっては、水脈の話は喉から手が出るほどに魅力のある話なのだ。




* * *


 身体にどっと疲れが積もる。

 アルマの山奥にいた頃なら疲れ知らずだと思い込んでいたこの身体も、やはりああいう場(、、、、、)は不慣れなのだろう。

 音楽に合わせて、目まぐるしくまわっていく踊り子たちの残像。それを未だに眺めながら、フェイリットは音を立てずに息を吐いた。


 前を歩くバスクス帝の背中は、あれだけの毒をあおったにも関わらず平然としている。

 ――ハレムを縮小した財源の一部を、バッソスの兵力補充に。

 彼の告げた決断は、フェイリットを唖然とさせた。ハレムを縮小するのだと聞いていたが、それはあくまで次代の皇帝のためだけだと思っていた。


 帝都は、単独ではとても脆い。だから隣国いくつかの師団を皇帝直属の軍に組み入れる。そうしてはじめてまともな軍隊が成るのだった。

 確かに百人以上いる彼のジャーリヤを賄う費用は、並大抵ではないだろう。だからこそそれを削れば、明らかな〝浮き〟が生まれる。兵力さえ補充できるほどの。


 するすると部屋が過ぎていく。何となく目の前の背中を追ってはいるが、自分の部屋はもうそろそろ通り過ぎることに、フェイリットは気づいていた。


「毒だって、わかってたんですか」

 足を止めて、バスクス帝の背中から目を離して呟いた。きつい香りで騙したつもりだろうが、毒などすぐに気づく。慌てて吐き出して彼に飲まぬよう、合図までしたのに。


「ああいう賭けをしないために、わたしを使うんじゃなかったんですか?」

 バッソス公王がひと言「断る」と言っていたなら、今ごろこうして自らの足で歩いていなかったかもしれない。


 フェイリットは自分の手の平に浮かぶひと筋の赤い線が消えていくのを、じっと眺める。いざとなったら、自分の血を解毒に使うつもりだった。確信はないが、何もないよりはましだと思っていた。

「……タブラ=ラサ、」

 深みのある低い声が、ゆっくりと近づいてくる。フェイリットは振り返らずに、肩で息を吐き出した。どんな毒かは知らないが、血まみれになって死んでいく人の姿を、もう見たくは無い。


 肩にかけられた手が、無理やりフェイリットを振り向かせる。

「なん、……!!」

 肩を掴まれたまま壁際に追い立てられ、背中がタペストリーにとん、と付く。

 覆いかぶさる影に身体を仰け反らせて、フェイリットは目を見開いた。顔を隠していたヴェールを剥がされ、バスクス帝の唇が、無理やり口をこじ開けていく。


「んっ…、」

 くちづけとともに何かの液体が喉を落ちていった。

 驚きのまま、フェイリットは身を固める。苦しさに拳を目の前の胸板に叩きつけようとしたところで、覆いかぶさっていた彼の身体がすっと離れていく。

 振り上げた右の拳は、あてどなく空を彷徨った。


「いきなりな……げほっげほっ」

 壁に手をつき激しくむせ込んでいると、横でバスクス帝が笑っているのが目に入った。…からかわれている。良心で毒入りの酒を教えたことに、後悔すら感じてくる。あれだけ気前よく飲まれたのでは、誰だって心配しようというもの。

 フェイリットは呼吸を正すように、ゆっくりと息をついて顔を上げた。


「解毒薬だ。お前もあの毒を口に入れていただろう」

 腕を前で組んで、バスクス帝は口元を歪めて笑う。フェイリットは怒りに身体が震えていくのを感じながら、バスクス帝を睨み上げた。


「入れましたが、吐き出しましたよ! 陛下みたいにがぶがぶ飲んでないです!! それに解毒薬なら、どうして手で渡してくれないんですか!?」

 解毒薬だからお前も飲め、とひと言つけて、手渡してくれれば事は簡単だ。バスクス帝は面白がるように目を細めた。


「なぜだろうな」

 ……まただ。また、柔らかい笑みが浮かんでいる。

 フェイリットははっと目を開いて、バスクス帝から視線を外した。油断をすると、なぜだかじっと見つめそうになる。


「なっ! 納得できない! どんなに心配したか、」

「タブラ=ラサ」

「なんですか!」


 バスクス帝が近づいてくる。悲鳴を上げそうになって、フェイリットは息をつまらせた。――瞬間、ゆっくりと抱きしめられる。逃れようと思えば逃れられるほどの、緩慢な動作で。

「よく聞け。私は〝皇帝〟という肩書きを被せた、道具でしかない」


「どういう……」

 抱きしめられたまま頭のうしろをぽん、と押さえられる。

「私を心配する必要は無い、ということだ。あそこで死ぬつもりはなかった。お前が毒入りであることを、教えてくれねばな」

「え、」


 離れていく温かさに、ほんの少しだけ寂しさを感じてしまう。フェイリットはバスクス帝を見上げて、目を瞬いた。

「わたしが?」

 だとすれば、気づいていたということだ。彼の膝に触れ「毒だ」と警告した合図に。

 見上げたバスクス帝は、ただ口元を歪めて笑っただけだった。


「ああ、そうだ」

 突然思い出したように口を開いたバスクス帝を見て、フェイリットは首を傾げる。闇色の瞳をすっと向けてよこしながら、彼は続けた。

「暇か?」

 フェイリットは言葉の意味を理解しようと、しばらくぼんやり考えてみる。

「――……え!?」

「……暇かと聞いたんだが」


 部屋にもどっても、特別にすることはない。取りあえずはジルヤンタータに事の顛末を説明して。大浴場(ハマム)でのんびり汗を流すのも魅力的だ。そのあとはゆっくり眠って疲れを……だがそんなことは、忙しさには数えられないだろう。つまり自分は暇なのだ。


「少し砂漠へ出る。(とも)に来ないか」

「は……」

 顔色で悟られたのか、バスクス帝はフェイリットの返答も待たずに二の句をつなげる。

「ウズから聞いていた。お前は地図上の水脈がわかるそうだな? それを実際の地理で判別できるか」

 フェイリットは小さく息をのんだ。

「水……アルマ山脈からの地下水ですか?」

「そうだ。オフデ侯爵ルクゾールが、水脈の話を急いているようでな。正式に動くのは明日以降になるだろうが」


「や、やります!」

 意気込んで答えたフェイリットの顔をじっと見つめて、バスクス帝は目を細めた。

「嬉しそうだな」

「えっ、それは……嬉しそうですか? わたし。ここは水脈が豊富だし……そうですよね、ハレムの縮小で回せる財源があるなら、水の確保ができますから…」


 苦笑するように笑って、バスクス帝は再び背中を見せた。

 立ち止まったまま彼が歩き去るのをしばらく眺めていると、「どうした、来い」と歩きながら呼ばれる。


 ――来いとは、そのまま外に行くという意味でいいのだろうか。


 小走りにその背を追いかけていくと、ほんの一瞬、バスクス帝がこちらを向いて留まる。何事かとその顔を見上げてから、いつの間にか自分たちが横並びに歩いていることに気がついた。


 見上げたバスクス帝の横顔は、いつも通りの鋭さで代わり映えがなかったが、

「ありがとうございます」

 そう言うと、闇色の瞳がほんのわずかだけ、柔らかく細まったような気がした。





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