036 シャルベーシャ=ザラナバル
小姓がシャルベーシャを〝落とした〟――瞬時に流れ来たその一報に、ウズは形のよい細眉を片方つり上げた。
予想はしていたことだが、それでも驚かずにいられない。
砂漠の民は時折、貧しさのために幼子――もっぱら男児を都に売っていた。女児は育ち、いずれ子を産む。砂漠では男も女も変わらず仕事をせねばならぬ為に、子を産み育て仕事も負える女のほうが必要とされた。
一人の男には三、四人の妻が宛がわれるのが普通で、男の数は圧倒的に少ない。生まれた子供も男であれば、部族の中に残すより外に「売った」ほうが、よい収入になる。こうして売られた子どもの多くが、 砂漠の民の特殊な血を重宝され買われていく道を辿る。
そうして買われてきた砂漠の民の殆どは、 奴隷軍人として兵役に就くのだ。
「よりによってシャルベーシャ=ザラナバルとは……厄介な男を」
せいぜい格の低い、話し合いでかたのつく末端の小隊でも連れて来ればと考えていたのに。
シャルベーシャとくれば、上流貴族でさえ知る名。
奴隷あがりのコディ・タイハーンがベシャハ男爵家に養子入りし、奴隷ながら「少佐」の階級を与えられたのが17年前。時を同じくしてそのタイハーンに買われたのがシャルベーシャである。
彼はタイハーンの率いる奴隷騎兵連隊の本隊を、代理とはいえ齢たったの十三で牽引し、公国の内乱をものの数日でおさめてしまった過去を持つ。内乱というよりは暴動の鎮圧に近かったが、七日とかかる行軍をものともしなかった十三歳というのは、当時稀有な存在として知れ渡った。
そんな少年が鼻を低くしていられるわけはなく、歳を経るにつれて上官の言うことさえ蔑ろにし始め、今となっては貴族相手に殴りかかるなど日常茶飯事となった。
砂漠の民なら、誰でもよいと言ったのは事実。しかしあの男だけは、シャルベーシャだけは抜かせと言いやるべきであった。宰相の権限を以ってしても、あの男に皇帝を「護衛させる」など無謀に等しい。
――一体、どうやって……。
〝小姓〟は武器の一切を断り、素手だけで十人の兵士相手に立ち回ったのだ――何事が起きたのかと呼び出したワルターが語ったのは、およそ信じられぬ話だった。
丸腰で打ち勝てるほど、マムルークが弱いはずがない。それも十六になったばかりの、少女に負けるなど。
相当な騒ぎを聞きつけて、鎮圧に向かったワルターが辿り着いた頃には、肉付きの良い大の男が十人、折り重なるようにして黄砂の上に突っ伏していた。
報告の後、慌てたようにまた戻って行く近衛師団長の背中には、それ以上の質問を受け付ける余裕がまったく無かった。
……やはりラジ・ハ・ヌフリムに一任した方が良かったか。
バスクス帝は、間違いなくあの娘を試した。英雄タントルアスが、どれだけあの容姿を持つ娘の血に流れているのか――。ジャーリヤの仮面を被せるには、いささか早まりすぎたかも知れぬ。そんなことを苦々しく思いながらも、ウズは卓の前から立ち上がった。
「トリノ」
程なくして声が返り、隣室に控えさせていた小姓が目前に現れる。音も立てずに拝礼するその様を見据えて、ウズはため息ながらに言い放った。
「小姓たちに先の一件が広まる前に、フェイリットをハレムに移します。要事の際はお前も同行するように」
「はい」