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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第一幕:宰相の小姓
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026 蘇る彩色を欲す

 「これは」

 執務用の卓に積み上げられた、幾百もあろうかという書物に埋もれて、ウズは思わず目を(みは)った。

 四方が擦り切れた一本の古い絵巻。長年の保存に耐えかねて茶色く変色してしまったそれに描かれるのは、遠い遠い時代の人物画だった。

 ウズはそれを、食い入るようにじっと見つめる。


「…面白いものを」

 ――確かにこれは、面白い。

 見開きに描かれる若き英雄タントルアス。長年の保存にずいぶんと色褪せ、霞んでしまっていたが、それでも描かれた人物はその彩色まで判別できた。


「見つけたか」

 驚きに目を丸くしていると、まるでこちらの頃合いを見計らったかのように執務室の入り口に人が立つ。

 ウズは必要最低限、使用人を自らにつけない。面倒だからというのもあるが、自分以外の人間がうろちょろと視界に映るのが耐えられないからだった。

 身の回りの世話も客人――もっとも宰相執務室を訪れることができるのは皇帝と四公王ぐらいしかいないのだが――の出迎えも、すべて彼自らが行う。


 皇帝陛下すら自らの手で捲らねばならぬその入り口の仕切り幕を、その本人は片手で持ち上げ立っていた。

「まさかご存知だったのですか?」

「ああ」

 これを探せと言った皇帝陛下(ほんにん)は、今更絵巻など見ずともいいぐらい、この人物を熟知しているのだろう。

 …ならばこれは、自分を納得させるためのものだったのか。

 一言言えばいいものを、わざわざこんなにも多量な書物を探させまでして。


「私の頭は、そんなに血の巡りが悪く見えますか」

 淡とした言葉に憤慨を乗せて、ウズは皇帝の鋭い眼光を見遣る。

 使用人を使わぬから、たかが絵巻ごときに一日がかりだ。常人なら一月とかかっただろうことは間違いない。

「口で言っただけでは信じぬだろうがお前は」

 呆れたと言わんばかりに、皇帝は肩を竦めた。

「…それは、」


 そうだった。ウズの本質は、どうも現実主義に傾いている。

 千年も前の英雄の名をあげられたところで、「なんだそれは」と鼻で笑うぐらいしてしまう自信はあった。

 深夜を迎え数本の燭台に火を灯しているだけの執務室は、ぼんやりと暗い。そのわずかな明かりに闇色の風体を一層濃く染め上げ、皇帝は隙無く笑う。


「もう許せ。どうだウズルダン。お前に昼間、あれを見に行かせた甲斐もあったろう」

 トスカルナの宮で死んだように眠っていた少女。

 その姿が、ウズの脳裏を過る。

 突然宮に現われて、寝台に眠る少女の顔だけ見にきたウズを、さぞかしエセルザは不審に思ったことだろう。

 銀色に近い金の巻き毛に、象牙の肌、そしてなによりその顔立ち。

 お前の宮に、面白いものがいる…そう彼に言われ向かったときには何も感じなかったことだが。今ならばわかる。


 もう一度、手元の肖像画へと目線を落とし、ウズは頷いた。

「――似ています」

 千年以上も前に、大陸の統治という偉業を為し得た、若き英雄タントルアスその人に。

 大陸の統治を為した〝若き〟英雄だなど。最初は首を傾げたが、なるほど探せば若い姿を描き取らせた肖像画ばかり。どれもが二十代の半ばか、それよりやや過ぎたぐらいの年齢だった。これでは「五百年も生きた」やら「歳をとらなかった」やら、云われるのも無理はない。話が伝わっていくうち、ねじ曲げが起こったのだろう。


 王族という極めて高い身分をもつタントルアスが、限られた肖像画しか残さなかった。その奇妙に興味を抱いた過去の誰かが、「彼は不死身だったのかもしれない」と説く。不死身伝説のできあがりだ。

「いいものを拾ったな」

「陛下のご推察が正しいなら、あの娘おそらく…」

「ああ」


 ――メルトロー王国第十三王女・サディアナ。

 ちょうど十六年ほど前だろうか、メルトロー王国に末の王女が誕生した。当時の祭り騒ぎはアルマ山脈を越えたこちら側にまで漏れ聴こえ、メルトローの人々は大いに祝杯をあげたらしい。

 タントルアスの生まれ変わり。そう持て囃された赤子は、庶子でありながら〝十三〟号まで与えられ、王女として記名を受けた。


 のちの消息は一切掴むことができないが、これは逆に喜ばしい。

 利用できる。確信を持って呟いて、ウズはバスクス帝を見やった。

「居るか居ないか判らぬ竜を求めるより、よほど建設的な話ですね」

 ようは人心の掌握が成されれば、それだけでよい。竜がもたらす効果もそれと同じこと。名前が「竜」であるか「タントルアスの生き写し」であるかの違いだけだ。


「本物だろうが偽物だろうが〝タントルアスの血を身の内に流す娘〟に、民は心を傾ける。大陸を統一した王の名を、イクパルの民とて忘れてはいまい」

 人民の心をよく掴んだ「善良な王」だったのだと、伝説は語る。嘘か真か、それはさして問題ではない。

「私が動くに越したことはないが、表立っては出来ぬ」

 サディアナ王女という確信はまだない。証明がなければ、利用価値は無に等しい。


「…では、私が確かめに」

 名前を操るだけならば、そこらの北生まれの娘を拾ってくればよいこと。あの娘が「使う」に相応しい、タントルアスとの類似をもっと多く持っているなら…。

「それにしても、よくお気づきになったものです」

 ウズは自分の宮に、どこぞの娘が運び込まれたことすら掌握できていなかったというのに。


 おそらくはどこかでちらと見かけて、娘の血筋を一目で見抜いた。タントルアスの顔をよく見知り、あまり話題に上らぬ隣国の情勢と王女の存在を熟知していなければ、これは到底不可能な話だ。


「各国の王家代々は、たいてい血筋を辿るのに容易い顔をしてる。あれは随分古い顔立ちをしているから、お前にもわからなかっただろうがな。使えると判断したら、あとは任せる。ジャーリヤに上げるも、お前の側につけて様子を見るも」

「御意に。…四公の方はどう致しますか」

「やはり、四公が来たか。竜狩りに感づいて諜報を寄越したぐらいだ。〝何か狩った〟と思せるのは容易いだろうが…」

「…では、本当に竜を狩ったと匂わせましょうか」


 真実などどうせ直ぐに知れる。「竜」は最も証明の難しい獣だ。そこら辺の蛇やらとかげやらを捕まえてきて、竜だと放ったところで、いったい誰が信じようか。

 目前にその姿を晒してやらぬ限り、四公とて容易く信じはしないはず。ならばそのかわり、精一杯慌てさせてやったほうがいい。

「テナン公に目をつけろ、あれはおそらく息子に行く。ワルターにも通しておけ」

「御意」

 バスクス二世帝陛下は、自嘲めいた笑みを口端に浮かべて鼻で笑った。

「そろそろだな」




 それから二日、ウズはアンジャハティを伴いトスカルナ宮へと向かう。ウズはすでに充分見知っていた少女を寝台の上に見止めて、無表情に言った。

「ウズ・トスカルナです」

「――ウズ…さん」

 アンジャハティが異母兄弟であることを隣で告げる。僅かに目を瞠って、娘はぽかんと口を開けた。


「あの、わたしは」

「フェイリット、と言いましたか」

 その小さな顎を掴み上げ、ウズは検分するように娘を眺める。

 ゆるやかに巻かれた銀に近い金髪と、水色の瞳、象牙の肌。

 たしかに今時、見かけぬ色の薄さだった。誕生の折、これらの「先祖還り」に感嘆して、タントルアスの幼名までその正式名の中に入れたと聞いたが、きっと当時は思いもよらなかっただろう。

 まさかその顔立ちにすら、王女がかの英雄の面影を映すことになろうとは。

 随分と不躾に接してやったつもりなのに、娘は怯えるどころか怪訝にこちらを見返している。

 王女というのが本当なら、さぞかし気の弱い、言いなりの教育を受けた娘なのだろうと思っていたのだが。


「…なにか」

 視線に屈したのだろう。伸ばされた喉元から嗄れた声をひねりだして、娘は顔をしかめた。

「生まれは」

 何と答えるだろう。幽閉されているはずのメルトローの王女。

 なぜ国外に出て村娘に身をやとし生活していたのかは知れないが、どちらにせよ何を答えるにも矛盾が生じる。


「リ、リマ」

「メルトローではなく?」

「はい」

 やはり。ウズは片眉を吊り上げて、可笑しいですね、と言った。

「フェイリットという名は確か、メルトロー王国第十三王女殿下がご生誕為された折につけられた、仮名ではありませんか? なぜリマ生まれの貴方が敵国の王女の名など」

「それは…」

 途端に娘の表情が固まる。だがさして考える間も持たずに返答が返ってきた。

「父がメルトローの出身でした。ちょうど王女のご生誕と時期が重なったので、祖国を懐かしんで付けたと聞いています」

「確かに、よくある名ではありますね」


 もともと用意していた答えなのか、咄嗟の機微で思いついたのか。どちらにせよ、この小振りな頭は空ではないらしい。ならば、

『リマの血が混じっていると言っていましたが…その完璧なメルトロー色の容姿で?』

 メルトロー宮廷の、教養にしか使われなくなった古語。ウズは完璧にそれを発音してみせ、娘の顔が隠しようもないほどに気色ばむのを確信を持って眺めた。


 ――決まりだ。メルトロー王国、第十三王女。

 胸中に広がる満足感に、思わず笑みを浮かべてしまう。

「…いいでしょう、本当に何も知らぬ村娘のようです」


 ウズは言うままに立ち上がって、その切れた眼差しを横に居たアンジャハティへと向ける。

「お前さっき、何て言ったんだ?」

 胡乱そうな眼差しで、視線を受けたアンジャハティが問うてくるが、彼女には無論関係の無いこと。


「アンジャハティ」

 問いには答えず、その冷たい声のままウズは繋げた。

「この娘を貰います」





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