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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第一幕:宰相の小姓
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024 タブラ=ラサ

「………それは一体何です?」

 男とフェイリットが部屋に入るなり、ウズは明らかに眉を吊り上げて言った。いつもの不機嫌な視線は、もちろん男の腕に抱えられるフェイリットに向けられている。


「届け物だ」

「…違います、その血の方です」

 遮るように言って、ウズがフェイリットの足首へ伝う赤い雫に目線を寄越す。そしてそのまま、眉間の皺をいっそう深く寄せて男を見やった。


「…言っておくが違うぞ。私ではない」

「信じられたものではありませんね」

 何の話をしているのか、フェイリットには理解できない。自分の足を伝う血が、どうしたらこの男の所為(せい)になるのだろう。

 月のものは、怪我でも何でもないのだから。会話の内容に疑問を残しながらも、フェイリットはウズの視線からおずおずと顔を俯けた。「専門」だか何だか知らないが、やはり異性に見られることには抵抗を感じるもの。


「あの、」

 早く床に降ろしてくれないだろうか。男の顔をちらと仰いで、フェイリットは声をあげる。

「ひゃっ!」

「…私の〝所為〟なら今頃自分で何とかしている」

 見せつけるようにフェイリットの太ももを優しく撫ぜながら、男が嗤った。太ももを這う手を、がっちりと掴んで男を睨み上げるが、相変わらず男は知らぬ顔だ。


「ええ、お慣れでしょうからね」

「ふん、きついことを言う」

 ウズの(ひょう)とした言葉をうけて、男が苦笑する。

「たまには冗談くらい言わせて戴きたいものです。毎日誰のせいで隈を作っているのか、忘れそうになりますので」

「…これでも感謝しているんだがな」


 二人の会話を聞きながら、どのあたりが〝冗談〟であったのかと首を傾げていると、すとんと床に降ろされた。

「養生しておくことだ。三日後にはバッソスだぞ」

「バッソス…?」


 問い返すが、男の方を見やるとすでに去りぎわの背中だった。何も掴めぬままその背中が仕切りの幕を抜けていくのを呆然と見つめる。

 バッソスといったらイクパル帝国の領土、バッソス公国のことだ。

 バッソスは、砂漠の中の公国。大きな河川のないイクパル領土内で、もっとも水の問題に貧窮している国でもある。国民の殆どが遊牧の民で、それ以外の民も小さなオアシスにぽつぽつと集落をつくって生活しているらしい。


 遊牧民もオアシスも時期がくれば移動する。国民が定住しないということは、さぞかし「治めにくい」土地になっていることだろう…情勢やら地図やらの書類を垣間見て、そう思ったのを覚えている。

「ウズさま。バッソスって、」


「こちらにおいでなさい」

 いつもの淡とした声で言われて、フェイリットは素直に従う。

「腹痛は?」

「ええと、少し」

 ウズの前に立つと、裾の短い衣裳を太ももの辺りまで捲られる。

「ひゃっ」

 驚きに声を上げて、捲られた衣裳をウズの手ごと掴んでしまった。

「…あの方が私について、何か言っていたはずです」

「あの方?」

 と言うなら、さっきの男のことだろう。


「…〝専門〟とか、ですか?」

 頭の中をひっくり返しながら答えると、ウズが頷く。

「ハレムに居たのです。ここに来る前のことですが」

「ハレムって…男の人は入れないんじゃ、」

「ええ、理由は何故だか分りますか」


 ハレムは皇帝の〝世継ぎ〟をもうけるため集められた、女たちが暮らす場所。

 そこが男子禁制なのは、皇帝の他に子を作れる存在の危険を、完全に排除するためだ。

 言葉に頷いて、フェイリットは首を傾げる。ウズはどう見ても青年の男。女装をしたところで、その肩幅の広さからどうやったって「女」には見えない。男子禁制のハレムに居られるはずがないのに。


「なぜと問われたら、私は子を成す機能を持たぬからという答えになるでしょうね。と言うより自分で取り払ったと言うべきですが」

「それは…」

 ひとつの可能性が思い浮かんで、フェイリットは言葉を濁す。

「宦官なのですよ」


 聞いたことがあった。宮廷に出仕するために、身分の低い者が自ら宦官となって貴人の側へ仕えるという話。だがそれは、もっと東のほうの国でのことだと思っていた。

 まさかイクパルでもあるなんて。

 銀色の頭髪と、紺碧の瞳、そしてイクパル人より遥かに薄い肌の色。見た目でわかるが、ウズは北方系の容姿をしている。

 アンと、そしてエセルザ――赤毛が目立つあの宮で、「異母兄妹なのだ」と言われて紹介されたことを思い出す。


 皇族という極めて高い身分に居ながら、宦官にならねばならなかった理由は…その辺りにあるのだろうか。

 宮廷への出仕の為、自らそういった道を選ぶとは。そこまでの執心を、フェイリットは未だ知らない。どんな気持ちだったのだろう…そう考えて、想像もつかないことに恐ろしくなった。


 ふと見やると、部屋の隅の戸棚を開けて、小さな布袋を取り出すウズの背中に気付く。

「もう使うことも無いと思っていたのですが」

 こちらに向き直り、ウズはその袋の中から手のひらに乗るほどの包み紙を取出し見せる。

「宦官の仕事は女たちの身体の管理でした。専門というのもそのことでしょう。…これもそのひとつです」

「薬、ですか?」

 小さな白い紙の中に、茶褐色の粉末が包まれているのを見つけて、フェイリットが問う。

「腹痛が辛くなったら飲みなさい。それ用の下穿きをいくつか手配しておきますから、その間にハマムへ行って身体を清めるように」

「はい…ハマム?」

大浴場(ハマム)です。 後宮(ハレム)のハマムを使えるよう、言い渡しておきます」

「…ハレム、ってあの、わたしは」

 あくまで小姓である自分が、後宮(ハレム)のハマムなど使えるはずもない。

 何より性別を偽っているというのに。


「ちょうどいい。三日後にバッソスへ行くというのは聞いていましたね」

「はい」

「貴女はそこで妾妃(ギョズデ・ジャーリヤ)になるのです」

 一瞬、フェイリットはぽかんと口を開けて固まった。

 ここで暮らし始めて一週間も経つ。まさか自分の耳が、イクパル語を聞き違ったのだろうか。そんなことを考えながらも、

「ギョズデ…」

 口に出して青ざめる。


  ギョズデ・ジャーリヤ。メルトロー語で言うなら「側室」の意味も持つこの称号は、ハレムにいる愛妾たちが「皇帝陛下」と関係を持った後に、気に入られて階級を上げるもの。

 どうしてそんなものが、自分につけられることになるのかさっぱりわからない。皇帝と関係を持つどころか、その顔すら未だ見たことがないのに。

 ――それに。

「わたしはハレムは嫌です」

 ここに来た時、ウズ自ら「嫌だろう」と問うてきたのを覚えている。

 ハレムでの出世など望まぬところだろう、と。

 それを今更、 愛妾(ジャーリヤ)だなんて。


「ハレムに入れとは言っていません。宰相命令です、タブラ・ラサ。お前はギョズデ・ジャーリヤになるのです」

「そんな、」

 顔の血が、どんどん冷えていくのが感じられた。

 敵国皇帝の愛妾になる。それは、素性が知れる危険が増すということ――サディアナ王女という「表向き」の顔が。


 フェイリットは呆然としながら、自分の小部屋の蒼い仕切り幕を捲った。

 タブラ=ラサ。〝真っ白な紙〟という古い言葉が、まさか自分の名前となろうとは、フェイリットは未だ気づいてはいなかった。





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