022 覇を称える王の側
「アン少尉……あの人たちの捜している人って」
来訪者の後ろ背を見送って、テギが呟く。
はて、彼はフェイリットを知っていたろうか。内心首を傾げながら、アンはテギへと視線を向けた。
「あの新しい小姓では?」
「小姓?!」
思わず裏返る声を咳払いで正して、アンは苦笑する。
「女の子だよ。その相手が、私の知っている子ならね」
小姓であるはずがない。ウズのところに仕えさせるとは言っていたが、まさか性別を欺かせてまで。
皇帝のハレムにでも入れるのかと焦ったが、エセルザの話を聞いている限りそれも無さそうだった。
ハレムに入ったなら、フェイリットは間違いなく潰される。
今の皇帝では、彼女は幸せにはなれない。まして、彼女が目覚めたその日に〝未遂〟を目撃しているからこそ。止めに入るのがあと少し遅れていたら、間違いなくフェイリットは泣き目をみていただろう。
まったく、コンツェの妻にしてやろうと連れてきた娘なのに、とんだ事態になったものだ。
ウズの企みが、てっきりトスカルナ家の存続に関わるのだと思っていた。フェイリットをハレムに入れて妾妃に、果ては子を産ませ皇后にでもできたなら、その籍をトスカルナ家に移して養子にしてしまうことは簡単だ。
サグエ・ジャーリヤは他国で言うなら共同統治者。―――このイクパルという国において、女が唯一頂点に立てる場所。その愛妾を排出した家は、皇帝の在位が続く限りでなく次代の在位にまで権勢を誇れることになる。
トスカルナを継ぐ者が一人も居ない今、一族は「宰相」の任にあるウズただひとりに支えられているといっても過言ではない。このままでは何人も皇帝を排してきたトスカルナの家名が、ここで終わってしまう。
ウズはトスカルナの出ではあるが、庶子ゆえ正式に家名を継いでいるわけではなかった。子を得られぬ彼のこと、養子をとるという案は考えてはいるはず。
矛先がフェイリットへ向けられるのなら、全力で阻止せねば。そう意気込んでいたところを、エセルザに宥められた。「それはない」と、どこから来るのかいつものおっとりとした姿勢で言われてしまっては、動くわけにはいかなくなる。
「女の子? じゃあ違いますね、小姓は男ですから」
納得したようにテギが頷いている。
「新しい小姓、入ったの?」
彼らは生家から離れて城の中に生活のすべてを置いている。その仕事のほとんどを皇帝宮でするものだから、食事は宮の厨房の隅で摂ることになるのだが、何せ飯時ともなれば皆時間が重なるもの。そこで知り合い、小姓同士で友情を得ることも少なくは無い。
テギも例にもれず皇帝宮で食事をさせているため、新しい顔などには敏感だ。
「綺麗な子が。ああ、確かに女の子っぽい感じはしますけど…、男の子にも見えるような」
「じゃあ、お前と変わらないんじゃないか」
小姓は皆、どっちつかずの子が多い。小姓の殆んどは引き抜きなので、その引き抜いた「主人」の好みにもよるのだが、並べてみれば女性的な雰囲気を持つほうが目立っているに違いない。
「そうですか? ああ、最近男らしくなれてきた気がしてたんですけどね…」
「やめてくれ。急に髭とか生えてきたら複雑だから」
そろそろ仕事も切り上げだ。
使っていた備品を片付けながら、テギの成長を考えて変な気持ちになる。十歳あたりで引き取って、まるで母か姉のような気でいたのに。言われてみれば段々大人らしくなってきたようだ。
「俺ももう十四ですよ。そういえばコンツェ中隊長も、小姓だったんですよね。あんな風になれたらいいな」
「コンツェ?」
記憶を掘り起こして、彼の少年時代を思い出してみる。あれはどちらかというと、決して〝中性的〟では無かった。もともと軍人にするためにワルターが引き抜いたのだろうから、無理もないが。
「まあ、頑張ることだ。私はお前が軍医になるなら、全力で応援してあげられるけどね」
途端、目を輝かせて大きく縦に頷いたテギは、やはり子供らしさに溢れていた。
これは本格的に育てるのももう少し後かな。世話子を微笑ましく見つめて、アンは息をついた。
*
「なんとまぁ、優雅に欠けた城だな」
呟いて、カランヌは自嘲するように唇の端を吊り上げた。
赤砂岩でできた赤い城。完璧な左右対称と、大陸最高の美術を結集させた白い針と字されるメルトロー王城とは、とうてい比較にはならない。
広大さなら足並みを揃えるところだが、やはり城とは王の権威を顕わすもの。
単に敵から身を守るためだけに、要塞として恐ろしいまでに特化させたこの国の城など、「下品」の一言に尽きる。
何十代と続いた軍帝統治と度重なる鎖国のせいで、情報も去ることながら国の威信に関わる文化すら遅れをなしているのだ。イクパルは。
その広大で荒削りな赤い城の内部――サディアナはここに居るはずだった。
皇帝宮と呼ばれる奥の宮殿の庭で、カランヌは城を見上げる。
仮にも一国の最高宮。忍び込むのは決して容易ではなかったが、どうやら自分の血はこういう方には向いているらしい。サディアナのように変化ができたり空を飛んだりとはいかぬまでも、さすがはエレシンスの血とでもいうのか。
ウトゥムという少年はスリサファンに任せ、本来の目的はばれないように計らってきた。後はこのまま身を隠しつつ、出てきたサディアナ王女を捕まえるのみ。
遠回りしてしまったが、これですべてが丸く納まる。
身を寄せていた円柱をひとつ移って、宮の内部に意識を這わせた。サディアナの〝気〟の匂い。確かに途切れなく流れてくる。
…思っていたよりも外側に居るのだろうか。そんなことを考えながら、回廊を歩いていく小姓や宮廷人たちに気どられぬように、庭ごしの一段下がった石台で伏せるようにして待っていた。
――それにしても、とカランヌは思う。
どうして途中、彼女を見失ってしまったのだろう。不思議なことに、あれは「見失う」というよりも「見えすぎる」といったほうが正しかった。帝都を……いや、イクパル帝国内を、まるで循るように充満する〝気〟など……ありえるはずがない。
あの〝気〟は本当なら猫の髭か、虫の触角のようなもの。せいぜいが自分の周りにいくばくかの範囲をおいて発するだけ。だからこうして居場所を判断することができる。
帝国中に隈無く触角を伸ばせるなら、国の端にいて端の時勢を、ものの瞬時に探知できることになるだろう。
――サディアナが主を見つけ覚醒したなら…言わずもがな、恐ろしいことになる。彼女を手中に収める者は、文字通り「覇」を約束されるのだから。
「いや、まさか…」
呟いて、自分自身がはっとする。
まさか、この国に居る……?
エレシンスの血を最も濃く引くサディアナの、「王」が。そう考えるなら、すべてに納得がいく。一度にあんなにも強い力が出現した根本の理由が、仕えるべき「王」の側に居たからだとしたなら。
「違う、そんなはずは」
背中を伝っていく汗に、ようやく自分は焦っているのだと気付かされる。
そんなはずは無い。サディアナはメルトロー国王ノルティスのためだけに、ああして山奥で育てさせたのだ。彼女が選ぶ「王」は、どうあってもメルトローにいるはず。
竜が仕えられるのは古の竜エレシンスが契約を結んだメルトロー王国の末裔のみ。彼女の血を遡り、たどりつく先がエレシンスなら、その忠誠はメルトロー以外ありえない。他でもない自分がそうであるように、また妹リエダがそうしたように。
何千年も前に誓った忠誠の契約は、時を経ても尚この血により約束されているのだ。
額にまで噴き出しはじめた汗が、頬を伝って喉元に流れた。
考え込んでいる場合ではない。動き始めた彼女の気配が、徐々にこちらへ向かって来ていた。
確かめなければなるまい。もしこの国に未来の覇王がいるならば、その息の音を早々に止めておく必要がある。
静かに立ち上がると、カランヌは自らに向かい歩いてくるひとつの〝気〟に、意識を研ぎ澄ませた。




