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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第四幕:黄金の竜
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172 追想__道化の蠍


「ええ。テナンの美しい風景をたくさん」

 タントルアスは、いよいよ大仰なまで頭を縦にして見せた。面食らったままのジャロディインが、よほど可笑しかったに違いない。


「統治の助けになれば、と書き添えも。あのような絵を描く方が、情緒に乏しいはずがない」

 むしろ私などよりも、よほど鮮烈な熱情をお持ちなのではないか。


 その解釈を聞きながら、ジャロディインは押し黙る。


 兄が何の意図を持って絵を贈ったかは分からない。だが、その理由を考えれば、付き合いの長い弟には察せられる。「視察無しに手っ取り早く領土を把握してくれ」とでも言いたいのだ。

 それを押し()べて「情緒に富む」と表せるほど、アルジャダールは簡単な男ではない。


「それに関して、直接礼を言いたかったのです。が、このひと月振られっぱなしで」

 タントルアスは(さかずき)に口をつけたまま照れる。

「御覧になった通り、今日も機会を逸しました」

 そうしてタントルアスは、着任当初から数回にわたり面談を申し入れていたことを明かした。今日に至るまで、返答もないままこの晩餐を迎えたとも。


「ああ……それは、」

 と言いかけて、ジャロディインは眉をひそめる。アルジャダールが物理的に捕まらないのは無理もない。テナン領土に居ることのほうが、珍しく数えられるほどなのだから。


「それは、失礼致しました。贈り物への礼でしたら、自分がお伝えすることも可能ですが」

 タントルアスは、きっと日を置かず気づくだろう。アルジャダールが本土を巡り、視察や紛争の鎮火をひっそりと担っていることを。

 そしてアルジャダールは「敢えて報告することでもない」と弟の口を封じている。


 秘密を扱うのは上手くない。ジャロディインは自らの二枚舌に、気を揉みつつも言葉を繋ぐ。

「如何致しますか。お待ち頂いても、意に沿わぬ結果を招くかもしれません。兄は絵を描くのに、ひと処に収まっていられない性質ですので」


 タントルアスは他意なく頷いた。

「お気になさらず。この晩餐も、言うなれば面談のうちに含まれるのかもしれない。アルジャダール・ケルバ殿下がご用意くださった席だと伺いました」

 もうこの場には居ないのに、タントルアスはアルジャダールの席を見て言う。


 ジャロディインは頷いて、タントルアスの横顔に応えた。

「はい、珍しく兄が。でしたらまた食事をご一緒致しましょう。その時は自分が兄を引っ張って参ります」


「本当ですか」

 男装をして大振りの剣を手に、文字通りの〝力技〟で、数々の国を落としてきたタントルアス。

「では、その日を楽しみにしています」

 その豪傑王女が、好奇心を打ち明け照れ笑う。

 可憐にさえ見えるその表情は、他でもない。あの鉄面皮(あに)が引き出したものなのだ。


 ジャロディインはタントルアスの意外な様子を見ながら、その目がじっと盃の底に向けられていることに気づく。


「刻印がお見えになりますか。獅子は、我が血族の紋なのです」

 葡萄酒を飲み干せば、盃の底に見えるのは獅子の紋。

 ジャロディインは、刻印の説明を口にする。


 本来の家紋は獅子なのだと。しかし、戦に掲げる旗や貿易など。他国の目に留まる場で、血族たちは混合種(キメラ)の紋を用いている。


 (たか)の頭に獅子の身体。そして雷鳥の黒翼を持つ、一見すると奇怪な生き物の姿だ。民族と文化の混合を受け容れ、ひとつ身体に守りぬく。その決意を込めた紋が、血族の誇りでもあった。


「……眠れる獅子には道化の(さそり)、か」

 刻印の由来を聞き終え、タントルアスは静かに言う。

 ジャロディインは、その言葉がどんな意味を成すものなのか理解できなかった。単なる独り言なのか。それとも誰かに向けられた言葉だったのか。



「それは、」

 と聞き返したジャロディインの耳に、タントルアスさま、と別の声が割って入る。


「タントルアスさま、お疲れなの?」

 はっとして、ジャロディインは声の方を見やった。エレシンスが、つまらなそうな顔で卓に頬杖をついている。その手には匙が握られているが、タナ(スープ)に浸された痕跡は見あたらない。

「今夜は一緒にって約束だったわ」


 タントルアスは息をつくと、気の抜けたような笑みを微かに見せた。

「ホスから向こうの報告を聞いたら、おまえの部屋にいくよ。だが、頬杖をして匙を振るのはやめなさい」

 エレシンスは一瞬、嬉しそうに頬を染める。が、次には忌々しげに匙を眺めて、卓の上にそれを転がすのだった。


 見かけは成熟して見えるのに、ずいぶん子供っぽい態度だ。ジャロディインはふとそう感じて、気づく。エレシンスが、目の前に並ぶ食事にまったく手をつけていないことに。

「エレシンス嬢」

 ジャロディインは呼びかけて、イムを手に掴んだ。


「現在ここは、メルトローとイクパルの共有地です。ならば礼節に於いても二通り」

 メルトローでパンと呼ばれているものを、薄く平らに伸ばしたものをイクパルではイムと呼ぶ。イムは手掴みして、タナに浸して味わうのが一番美味しいのだ。それを実演して見せながら、ジャロディインは微笑む。


「貴女方の手前、メルトロー風の食器を用意させましたが……実は自分も匙や三叉を使うのは不得手です」

「そうなの?」

 エレシンスが目を丸める。

「はい、エレシンス嬢。できればご一緒にどうですか」


 ジャロディインはイムを掲げて、タナに浸して見せる。それを食べたら次は、皿に大盛りの甲殻類だ。とりあげて殻を剥き、赤身を口に運ぶ。

 上流王族の食事の流儀は堅苦(かたくる)しく、一貫して決まりごとが多い。おそらくエレシンスはメルトロー寄りの流儀に慣れきっていないのだろう。ジャロディインはそう見立てて、エレシンスに微笑みかける。


 ――実はこれまで彼女を公的な場所に伴ったことがないもので。

 落ち着いた態度とは裏腹(うらはら)。タントルアスの言葉が本当なら、エレシンスはこの場に相当な緊張を感じているのではないか。


「テナンの魚介は美味しいですよ」

 ジャロディインの誘いに、エレシンスは見るからに目を輝かせた。

「タントルアスさま、ね、手を使って食べてもいい?」

 これが食べたかったの。同調をねだる声は、主人でなくとも愛らしいと思えてしまうものだった。


「ああ、いいよ。ジャイ・ハータ殿下がお気になさらないのなら」

 そう返して、タントルアスは頭を下げた。エレシンスが真っ先に甲殻類を手に掴むのを、優しい眼差しで見守っている。


「……ときにジャイ・ハータ殿下。貴方の優しさに、私も甘えていいだろうか」

 お願いが、と続けるタントルアス。好ましさにジャロディインは微笑む。物言いがくだけ始めていることに、彼女は気づいていない。


 年齢を考えても、ジャロディインのほうが歳下なのだ。しっくりとくる話し方に、ジャロディインは頷いて返した。

「何なりと仰ってください」


 では、と頷くと、タントルアスは懐から画号の小さな絵を取り出す。

「アルジャダール・ケルバ殿下に頂いた風景画の中に、足を運んでみたい場所があるんだ」

「これは……テナン北西部ですか」

 ジャロディインは首を傾げる。木枠の抜かれた画布には、北西部に広がる丘陵地帯の村々と、海を切り隔てる巨大な崖が描かれていた。


「辺鄙な地域ですが、お望みならお連れ致しましょう」

 手っ取り早く領土を把握してくれ――というアルジャダールの意図がどうであれ。ジャロディインは表裏なく、この北からの総督を受け入れるつもりでいた。

「ありがとう。ジャイ・ハータ殿下」

 タントルアスの(のぞ)みが別にあろうとは、想像さえしないまま。


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