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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第四幕:黄金の竜
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161 オアシスに舞う


 フェイリットは(ほう)けたまま、わずか数歩の距離に立つディアスを見上げていた。

 愛している――と告げた彼の声が、未だ耳奥をくすぐっている。

 長いあいだ知ることのできなかったディアスの本心。フェイリット自身、愛情を向けてもらえるとは思ってもいなかった。



 ――おまえをメルトロー王国に返すことに決めた。


 ――お別れだ。



 別れの時を思い起こせば、未だ冷たい記憶が頭を(ひた)していく。彼に拒まれると覚悟していた胸のうちには、さまざまの混乱が渦巻いていた。

「おや、聞こえなかったかな」

 なぜ、今になって打ち明けてくれたのだろう。なぜ、唐突に現れたのに驚かないのだろう。なぜ……、


「フェイリット」

「えっ、はいっ!?」

「おまえを愛して――」

「わわわわ……」

「愛している」

「……!!」


 熱湯でもかけられたような気がして、フェイリットは飛び上がっていた。冷たい記憶が瞬時に溶けて、かわりに全身が火照(ほて)っていくのがわかる。

「どうだ聞こえたか」

「ま……まって、ください」

 両手を頰の近くで(あお)ぎ、フェイリットはあたふたと続ける。ますます紅潮する顔は、微量の風では冷ませない。振り続ける手の振動で、ぽろりと涙が(あふ)れた。

「なぜか涙がでてきて……」


 ぼやけていく視界のむこうで、ディアスが笑う。

「……忘れかけていた。おまえはこういう娘だったな」

 楽しげに言う声が、先ほどよりずっとそばで聴こえる。

「おいで、フェイリット」

 そして次の瞬間には、フェイリットはディアスの腕中にいた。

 〝おいで〟と言われたはずなのに、一歩も動いてはいない。はっと気づいた時には、彼の腕に抱きしめられている。

 ディアスが自ら距離を詰め、その腕を広げたのだと理解して――フェイリットは目を丸くした。


「……陛下?」

 見上げる間もなく、目線の高さがディアスと揃う。抱き上げられ、彼の腕に尻が支えられて、フェイリットは身じろいだ。まるで幼な子を抱くような、お決まりの体勢。ともすれば身長差が原因なのだろうが、今にしてみれば随分と恥ずかしいものだったとわかる。


「嫌か」

 じっと様子を見ていたディアスが、ふと呟く。闇色の瞳が近づいて、目の奥を覗かれる。

 本心では嫌ではないし、もっと抱きしめて欲しい。などとは伝えられず、フェイリットはまた赤くなった。

「い……嫌です!」

 しどろもどろな姿を見られたくないと思う。けれど、ディアスの視線が注がれることは、純粋に嬉しい。ますます謎めいていく気持ちを持て余して、フェイリットは明後日(あさって)の方向に視線をずらす。


「少しは背が伸びたかなと思ってたのに。やっぱり抱き上げて頂かないと目は合わないんですよね……」

 身長差を嘆く気持ちは嘘ではなかった。彼と同じ目線で、同じ景色を見て語りたい。そう思うようになったのは、バッソス城の露台(バルコニー)で、彼と並ぶ妾妃(ギョズデ・ジャーリヤ)・ヒーハヴァティを見てから。

 そっと顔を傾けて、(かたわ)らのヒーハヴァティに微笑むディアス。何故なのか、二人の仲睦まじい光景がずっと記憶に残っている。



 ――これって、たぶん嫉妬……なんだろうな。



 覚えのある感覚に、胸がちくりとする。

 ディアスの好む系統は、長身でめりはりのある女性。彼が目をかけていた女性たち――ヒーハヴァティやタラシャも含む、後宮(ハレム)にいた愛妾(ジャーリヤ)たち――を思えば容易にわかることだった。


 その基準から、自分はことごとく外れている。身長は思ったほど伸びていないし、テナン城では〝フェイリット王子(、、)とお近づきになりたい〟とまで騒がれていたほど。女らしいめりはりは未だ無いに等しい。

 傍目から見ずとも分かる違和感を、彼にどう尋ねたらいいのだろう。


「ん? 私はこれが好きだが」

 こともなげにあっさり言って、ディアスの顔が近づく。その拍子に彼の鼻がフェイリットの鼻を掠めていって、

「へっ……はわっ!?」

 フェイリットは素っ頓狂な声をあげた。

 ほんの一瞬、くちづけを期待してしまった。……なんて、恥ずかしすぎる考えだ。自分の頭を埋めてしまいたい気になって、フェイリットは眉をひそめる。


「だがまあ、おまえが嫌だというなら」

「いいっ! 嫌じゃないです、もっとぎゅってして欲し……はっ!」

 思わず言ってしまってからは、もう(うめ)くしか道はなかった。気持ちを見透かされるのは今も以前も変わらない。心なしか、抱かれる腕に強みが増した気もする。要望通りに〝ぎゅっ〟とされて、フェイリットは更に唸る。


「なぜ背丈を気にする必要がある? 私と踊りたいわけでもあるまい」

「踊りたいわけでは……えっ、陛下踊れるんですか?」

「ああ」

 ぎょっとして見ると、ディアスが悪戯(いたずら)げに笑う。

「試してみるか」

 そもそも舞踏会の風習は、メルトローから北の地域に限られたものだ。イクパルでは夜会に踊り子が興を披露するのみで、男女が手を取り合って踊るような場面は見られない。


「やめておきます……」

 ディアスの身長を考えれば、踊りの相手などいっそう相応しくない。(はた)から見たなら、彼と踊る自分は糸繰り人形にさえ映るはず。そんなことを気にしながら、フェイリットは(かぶり)を横に振る。

「……そうか。メルトローの王女相手には必須なのかと思っていたが」

 勘違いだったか。と、ディアスがその先を口中に濁す。

「へっ?」

 いったいどういう意味なのか。北の王女相手には必須だから、わざわざ覚えたというのか。

 いったいいつ? と考えてから、フェイリットは自然と(かぶり)を振る。そんな周到な真似を、ディアスがするとは思えない。


「その気になったら言うといい。いつでも相手してやろう」

 残念そうに見えるのは、きっと気のせい。両足が地面に降ろされて、フェイリットは曖昧に首を動かした。

 目の前には、大きな天幕が聳えている。先ほど彼が潜り出てきた入り口を見て、フェイリットは「あっ」と声をあげた。

「そうだった、わたし……」


 自らが置かれている状況が、やっとのことで思い出される。

 ドルキアの城館を突き破って竜になり、空中遊泳のはてにこの場所に落ちてきた。散歩して迷い込んだ、とディアスに伝えたのは嘘ではない。嘘ではないにしろ、どうにかして帰らなくてはならなかった。

 全てを忘れて彼と供に居たら、イクパルは冗談ではなく戦火に滅びる。


「帰らないと」

「なんだ、寄っていかないのか」

 残念がる口調で言って、ディアスが息をつく。

「さっきも言いましたけど、本当にお顔を見たらすぐ帰るつもりでいたんですよ」

「フェイリット」

「はい」

 フェイリットの両頬を手に包み、身を屈めてディアスが言う。

「……サディアナでもタブラ=ラサでも、王女でもただの娘でも――何だっていい」

 吐息がかかるほどの近さなのに、唇が触れることはなかった。すれすれの位置で、お預けをくらっている。



「おまえが欲しい」



 反射的に瞼を閉じてしまって、フェイリットは身を震わせる。けれど、いくら待っても唇は重ならない。温もりを求めて目を開けると、思っていた以上に闇色の瞳が近くにあった。しかも、どうやら相手は笑いを堪えている。



「もしかしてからかってますよね……?」



「おまえが欲しいのは本当だし、すべて本心だが。……事情があるのだろう」


 静かに言うディアスの顔を眺めて、フェイリットは肩の力を抜いた。ずっと離れていたのに、なぜ分かってくれるのか。この不思議な近さは、いったいどこから来るのだろう。

 ほっと息をついたところに、優しく唇が重なる。

「事情のある娘を長くつなぎとめるほど、私も野暮ではない」


「事情なんてっ……ありますが、陛下と一緒に居たい気持ちもほんと」

 その言葉を遮るかたちで、男女の声が響いた。近くの天幕から出てきたらしい二人が、腕やら身体やらを絡ませあって、すぐそばを通り過ぎていく。

 フェイリットは、咄嗟にディアスの外套に潜りこんでいた。胸を撫で下ろす間も無く、気づかれたらしい彼が挨拶を受けるやり取りが聞こえる。


「まったく――……愛らしい間者が紛れ込んだものだな」

 男女が過ぎ去るのを待ってから、ディアスが言った。

「間者では……!」

 外套の中の彼の腕が、ゆっくりと閉じていく。包まれる感触は、たまらなく懐かしいものだった。彼の体温と匂いを、身体がまだ覚えている。

「ここは目立つ。私の天幕が嫌なら、人の無い場所まで少し歩くか」

 押し付けていた顔を上げれば、後ろ髪を撫でられる。梳かれる心地よさに目を細めて、フェイリットは再びディアスの胸元に鼻先をうずめた。

「……とは言え、今はみな自分のことに夢中だがな」


 沈黙すれば、どこかから甲高い嬌声が漏れ聞こえる。

 トリノから聞いていたはずなのに。先ほどの男女といい、今までそのことに気がつかなかったなんて。

 自分のことに夢中。フェイリットは顔を真っ赤にして、ディアスの外套を抜け出る。

「ごっ……ごめんなさい! わたしも、夢中になってました……陛下に。こういう時間だって気がつかなくて」

 脳裏には、「今は自由時間だから」と言ったトリノの言葉がよぎっていた。

 彼の天幕には、先ほど水辺で会った女性がいる。知らず有頂天になっていて、忘れていたのだ。「司令官狙いだから手を出すな」と、彼女に念を押されたことを。


「えーと、お待ちになっている方が……天幕にいるんですよね。あの、陛下のお気持ちは嬉しいし、わたしも同じ気持ちです。でも、わたしはその……大丈夫なので」

 なにより愛妾(ジャーリヤ)経験もありますから! と、無理に笑顔をつくった後で、フェイリットは内心で項垂(うなだ)れた。

 殊勝なことを、口で言えるほどには成長できた。けれど心までは器用にできない。嫉妬してしまうし、がっかりもしてしまう。


「なら、中を確認してみたらどうだ。お前も仲間(、、)に加わればいい」

 後退(あとじさ)るフェイリットを見ながら、ディアスは笑いを噛み殺したような顔で言った。〝これから〟という楽しみを邪魔されたはずなのに、どこか嬉しそうにも見える。

「え、仲間って?! 冗談ですよね?」

 フェイリットは両手を伸ばして、入り口を捲ろうとするディアスの腕を掴む。

「至って本気だ」

「……そ、そんな……」

 彼の奔放さを思い起こして、思わず眉をひそめる。後宮(ハレム)に二年も溺れていた無能の皇帝――とは、意図してつくられた虚像ではある。が、ディアスを知る人はあながち全面を否定しない。〝女好き〟という点については、よもや彼の本質とも言えるからだ。


「おいで」

 天幕の入り口に掛けられた布を、ディアスが捲る。身を反らして顔を覆い、フェイリットは全身で拒絶した。

「いや……――!!」



◇あとがき◇


残念なことに、フェイリットの気持ちは全て顔に出ています。


お読み頂きありがとうございました^^

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