表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第四幕:黄金の竜
158/174

157 黄金の竜


 天色(あまいろ)の空には、雲ひとつ浮かんではいなかった。太陽を遮るものは何もなく、真っ白な強い光が目を眩ませる。


 まぶしい。けれど、不思議と恐怖は感じない。

 吹きつける風が、身体をふわりと押し上げる。上へ昇るほど空の色は濃く、海に似た深い瑠璃色が視野を染めていく。


 フェイリットは気流に任せて飛びながら、眼下の景色を惚れ惚れと眺めていた。


 青い空と黄色い大地。

 くっきりと別れる地平線にまじって、おぼろげな街の影が遠くに見える。


 あれは帝国領土の最東端。イリアス公国の――ディアスがいる公国の街並みだろうか。


 考えてしまって、フェイリットは視線を地平から無理やり反らした。

 戻るべき場所は、ドルキア公国の城館だ。飛び立ったのと同じ場所に降りる。そして、講和に向けて動かなくてはならない。コンツェとともに。


 身を(ひね)らせて向きを変えれば、砂漠にぽつんと緑地(オアシス)が見えた。椰子(やし)の木が水辺をまわって群生している。そしてオアシスに散らばる、おびただしい数の黒い点(、、、)




 ――まずい!!



 とっさに高度を上げながら、フェイリットは思わず叫んでいた。

 黒い点の正体。それは、砂色の天幕(テント)が作り出した〝影〟。覚えのある天幕の形は、イクパルに来て初めて見た、近衛師団のものとよく似ている。

 少なくとも、ディフアストン側の勢力ではない。

 よく見れば、ちらほらと人影が動く様子まで確認できる。


 身を隠せるほど厚い雲はない。飛び去るにもすでに遅すぎた。今ごろきっと、空を飛ぶ金色(こんじき)の〝何か〟を、目撃している者がいるだろう。

 さっさとドルキアの城館に引き返せばよかった。のんびり景色を楽しんだせいで、姿を晒してしまう結果になってしまった。悔やみつつも、フェイリットは隠れられる場所を探しはじめる。


 ――どうしよう。見られたら、きっと騒がれる。


 雲がだめなら、人目に分からない高さまで飛ぶ。それしか方法は無いように思われた。

 高度を上げるため、視線を上空へと移す。鼻腔から流れ込む空気は凍えるほど冷たい。フェイリットは風の助けを借りるため、身体をひと息に持ち上げた。


「!?」

 が、事態はさらなる悪化をたどる。

 尻尾の辺りから、するすると力が抜けていく。大地に引き寄せられるような感覚だった。驚いて、フェイリットは自身の身体を凝視する。


 竜化が解け始めている。


 だめだ。こんな場所で変化が解けるなんて、絶対にまずい。

 逆立った毛が、風にただよって消えていく。このままではまた(、、)落ちる。


 身体を旋回させながら、フェイリットは狼狽(うろた)えていた。

 風の流れがどこにもない。先ほどまで身体を包み、容易く気流にも乗れたのに。高度はみるまに落ちていき、オアシスが眼下に迫っている。


 上空からは、椰子に囲まれた水場がかろうじて見えた。泉にうまく飛び込めれば、身体を地に打ち付けるよりは無事に済むはず。とっさの覚悟を決めて、フェイリットは眼下を見据える。


 椰子の樹々がざわざわと揺れ、泉が陽光できらめいていた。

 鼻先に近づく大地が美しい。水面が、手招くようにやわらかく波うっている。


 泉めがけて、フェイリットはまっすぐに落ちた。水音は思ったほど鳴らず、ふわりと身体が包まれていく。


 澄んだ水の中で両手を見れば、もう完全に人の手だ。足の指まで確認して、ほっとする。真っ逆さまに落ちたのに、怪我は負っていなかった。

 そうして、とぷん、と小さな音をたてて水面から顔を出し、


「ぎゃっ!?」

 ようやく出たヒトの声で、フェイリットは悲鳴をあげた。


 目の前にあったのは、見知らぬ女性の乳房。自身のそれの、倍はあろうかという豊かな丸みだった。


 泉なのだから、裸で水浴びをする人物がいても不思議ではない。けれど、問題視すべきはタイミングだ。竜から人へ変わる瞬間を、見られたかもしれない。どう確認したものか、とフェイリットは目前の乳房から視線を上げる。


「……なんなの?」

 乳房の持ち主が、もっともな不満を述べる。木の実形の瞳を歪めて、不快さを口調に滲ませていた。蜂蜜色の頰に、濡れた黒髪がすべり落ちる。造作なくそれをはねのけ、女はフェイリットを睨みつけて言う。

「どこから出てきたの。まさか、ずっと潜ってたなんて言わないでよ」


 泥灰岩で組まれた人工的な泉は、淵に階段状の段差があった。その最下に座っていたらしい女は、深みから現れたフェイリットが、不審で堪らないらしい。

「向こうの端から、潜ってここに」

 言いつくろって、女の顔を探るように見つめる。反論がなければ、正体は悟られていないはず。

 硝子玉(がらすだま)のような黒の瞳が、ゆっくりと細められていく。

「あんた、まさか逃げてきたのかい?」

「逃げ……、え?」


 突然の問いかけに、フェイリットは困惑する。

 ディフアストンから逃げてきたわけではないけれど、逃げてきたように見えるかもしれない。しかし、この女性がディフアストンを知っているはずがない。いったい〝逃げてきた〟とは何のことを言っているのか。

 疑問が疑問を呼んで、答えを選べない。


「……あのねえ、厳しいこというけど」

 立ち上がり、女は足下から大判の布を拾い上げた。身体を拭き始めて、水に浮かんだままのフェイリットにちらりと視線を寄越す。


新人(、、)でも、見逃してあげたりしないからね。衣装をほっぽり置いて来たなら、自業自得もいいところ。そのまま戻ってしっかり相手なさいな」


 身体を拭き終えると、女は肌が透けて見えるほど薄い衣装を纏った。深緑のヴェールは美しい照りがあり、黒硝子の瞳をいっそう魅力的に見せている。金銀の腕環(うでわ)や耳飾りを余さずつけて、身じたくは完成のようだった。

 そして、女は手をひらひらと振る。水から上がってこい、という意味の合図だ。

 今ひとつ状況が飲み込めないまま、フェイリットは一番低い階段の淵に足を乗せる。


「へぇ……」

 頭の先から足の先まで。(あら)わになった身体を、女の視線がたどっていく。どこか覚えのある眺め方だった。後宮(ハレム)に居た頃の、愛妾(ジャーリヤ)たちの値踏みするような視線と似ている。


「生まれは?」

「……メ、ルトロー」

「ふーん、あっそ。あたしはバッソス公国生まれ。司令官さま狙い(、、)だから、くれぐれも邪魔はしないでよね」

「……はい……?」


 なんとなく流れのままに、フェイリットは頷いた。

 〝逃げてきたのか〟と尋ね、値踏みするような目で見て〝司令官狙い〟だと(のたま)う。肌も露わな衣装は、砂漠の強すぎる日差しの下に、長くは居られない。旅つづきの隊商(しごと)とは思えなかった。


「ちょっと新人!」

 女がまなじりを吊り上げて叫んだ時。フェイリットは後退(あとじさ)りながら、再び身体を泉につけるところだった。

「あたしの話、聞いてなかったのかい?!」

「あの、わたしは違うんです。決心(、、)したら必ず出ていくので」

「決心? だから、見逃さないって言ったはずだよ」

 泉に足を戻して、女が手を差し出してくる。


「最初はねぇ、思い切りが肝心なの。じっとしてたら稼げないまんま、あっという間に引き上げ時になっちまうよ」

「でも、」

「〝でも〟は言わない! いったいどこから逃げて来たんだい。天幕まで送ってやるから、ほら来な!」


 女の剣幕は、いよいよ断れない域にまで達していた。

 フェイリットが水から上がると、文句を言いながら身体を拭いてくれる。

「で? 誰の天幕から逃げてきたんだい」 

「あ、ええと、わたしより背が高くて」

「……そりゃ大抵の男はあんたより高いでしょうよ」

「髪は黒くて」

「……大抵黒いね」

「肌は蜜色で、」


 当たり障りのない特徴を挙げながら、この場をどう切り抜けたものか考える。そうして問答が〝天幕の場所〟になったとき、フェイリットは肩を震わせた。

 背後に、新たな人の気配が混じる。


「おや、」

 女もそれに気づいたのか、フェイリットを透かして視線を動かす。

「ひょっとしてお相手かい? なんだ、若くていい男じゃない」

 女の言葉は、フェイリットに向けられたものではなかった。その背後にいる、〝誰か〟に向けたものだった。



◇あとがき◇

お読み頂きありがとうございます^^

次話「砂漠のオアシス」は【 5月5日(日)20時ごろ 】公開の予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


ブックマークや評価、ご感想など戴けますと
続けていく勇気になります^^

web拍手へのお返事はこちら
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ