154 天色の空を行く
ぽっかりと穴のあいた天井に、天色の空が見えていた。
青天を貫いたのは一匹の竜。棚引く体躯を太陽の金色に染め、ゆらゆらと揺れて遠ざかっていく。
空想の産物であり、伽話の誇張とさえ言われてきた生き物が、目の前に在る。恐れて腰を抜かす者。悲鳴を上げ逃げていく者。呆然と虚空を見続ける者。とりどりの反応を皆が見せる中で、一人、コンツェは動じていなかった。
――わたしは人間じゃない。普通の女の子でもない。
寂しげに語るフェイリットの声が、脳裏をよぎる。
綺麗だった。
空へ向かう体躯はどこか蛇に似て、しかし禍々しさは微塵も感じられない。光沢をもつ絹織物のような毛並みが、陽光を受けて燦然と輝いていた。
あれほどに美しい生き物を、もう他に知ることはないだろう。
だからこそ、とコンツェは思う。フェイリットが自身の正体を卑下したのが、自分のことのように居たたまれない。
――普通じゃなくても幸せになれる。
奇しくも彼女に諭した自らの言葉を、コンツェは考えていた。
「フェイリット……」
そして、青天に呼びかけて気づく。
ディフアストンの眼差しが、じっとコンツェを凝視していたことに。
「知っていたのか、テナンの王」
フェイリットの、もといサディアナ王女の正体を知っていたのか。なぜ知ったのか。そして、知っているお前は何者なのか。
質問の裏に秘められた意図を察して、コンツェは口を噤む。
天井にあいた大穴から、瓦礫の落ちる音だけがぱらぱらと聴こえていた。
「彼女自身が教えてくれたので」
正確には違う。コンツェはギルウォール、アシュケナシシムらと揃って、テナン城内の墓廟を暴いた。玉座の間の下部空間で、干からびた古代皇帝の骸と、歴史が描かれた壁画を見つけたのだ。そこに記された竜の存在と、フェイリットとの関係。二者を繋げたのは、ディフアストンの同母弟・ギルウォールだった。
フェイリットが包み隠さず明かしてくれたのは、墓廟を暴いて真実をさらした後のこと。
ディフアストンは溜め息を吐き出して言った。
「テナンの王、」
背に敷かれた枕から身を起こし、その足を床へ下ろす。
「……貴殿はサディアナと恋仲ではなかったのか?」
辛辣な表情から滑り出た問い。それは、コンツェが覚悟していたものとはかけ離れた疑問だった。
「はっ……え?! そっ、それは、」
成る程、と口中に小さく呟くと、ディフアストンは大仰に舌を打つ。寝台の掛布を跳ね上げ、床につけた足で立ちあがる。
侍従が数名と医師が、慌てたように飛んで行った。どうか安静に、という制止を無視したまま、歩き始めてしまう。
「ダルトヴァン!」
そうして中将を呼び、ディフアストンは鋭い声で言う。
「あれが逃げた先の方角を調べさせろ」
侍従が上衣を差し向けるのを、かろうじて受け止める。風を切って部屋を横切り、壁に吊るされた巨大な地図を左手で叩く。そこまでして、ディフアストンは肩を揺らした。苦しげな呼吸の音が聴こえて、ついに医師が駆け寄る。
ダルトヴァン中将が敬礼をして去っていくのも、彼の目には映っていない。
「ディフアストン殿下」
コンツェはたっぷりと間をもって、ディフアストンが落ち着くのを待った。
「フェイリットは……サディアナ王女殿下は、逃げたのでしょうか。今日までひた隠しにしてきた姿を、易々と衆目に晒すでしょうか」
壁に手をつき、ディフアストンは音のする息を長く吐いた。
「……回りくどい。つまり、サディアナは逃げたのではないと言いたいのか? コンツ・エトワルト・シマニ」
「はい。自分は彼女から秘密を打ち明けて貰いました。が、竜の姿を目にしたことは今日まで一度もなかったのです」
「逃げる為ならばするだろう。もとよりサディアナは、そうして我が王国から逃げ果せてきたのだからな。あいつは逃げたのだ」
捜す。そして見つけ次第に殺す。ディフアストンの燻る眼差しに、妹への温情は微塵も感じられない。
まずい状況だった。ディフアストンの意見を覆さなければ、フェイリットの命が危ない。講和を結ぶという共通の目的も、成し得ることができなくなる。
「いえ、逃げたのではありません」
講和を成して戦争を終わらせる。その目的に向けて何もしないまま、逃げるような真似をフェイリットはしないはず。
彼女の身に、異変が起きていたのは明らかだった。それも、彼女の意思とは関係なく。
逃げたのではない。その微かな希望になるものを、コンツェは見ていた。
「フェイリットは、貴方に向けて微笑みました」
◇あとがき◇
お読み頂きありがとうございます。
このゴールデンウィーク期間で、更新をいくつか予定しております。
毎話、あとがき欄にて次話予告致しますので、どうぞお見逃しなく^^
それではさっそく予告です!
【 次話は、4月29日(月)の20時ごろ公開予定です 】
平成の終わりから令和の始まりまで。どうぞあなたのGWに、フェイリット達がお供できますように^^