152 金獅子の髪
白塗りの漆喰壁に、夕焼けを思わせる煉瓦屋根。勾配を縫ってのぼる美しい街並みは、四方を城から伸ばされた壁でぐるりと囲われている。
ドルキア公国の中枢部にあたる、副都キャデク。海に面し、白真珠のような色彩を魅せる港街だが、実態は敵を迎え討つ城塞都市だ。ぶ厚い城壁には、物見のための塔が均等に配置され、時間ごとの見張り番も立つ。
港から城門をくぐり抜けた、その先。目に飛び込んだ光景に、フェイリットは歩みを止める。
路地の両脇に、武装した兵士らが姿勢を正し、整然と居並んでいた。当然、サディアナ王女に対するものではない。テナン公国から親征を決めた、テナン公王に向けられた敬意だ。
「……ドルキア公王の考えそうな出迎えだ」
同じように足を止めたコンツェが、フェイリットの耳元に答える。
ドルキア公国を束ねる公王・イジャローテは、テナン公国と真っ先に手を組んだ賛同者でもある。腹の見えない男で、亡きテナン前公王とは、策をぶつけ合う間柄。というのが、面識のないフェイリットが知りえる外聞の全てだ。
「イジャローテ公王にお会いしたことは?」
ずらりと並ぶ兵士たちを眺め、フェイリットは囁き返す。
「数える程度だな」
顔色を崩さないよう、努めているのだろう。コンツェは僅かだけ眉を動かして、兵士らのつくる道を眺めている。
彼の知る前情報も、自分と同じようなものなのかも。そう感じつつ、フェイリットはコンツェの肩越しに城を見る。
イジャローテの住まうドルキア城は、緩やかにのぼる街並を目で追った先にある。アルマ山の丘陵を背に、広範を見晴らせる位置に建つ堅牢な城。そして、城から伸ばされた錫色の城壁。純白の楚々とした街を守り堅める様相は、さながら姫に忠誠を誓う騎士のようにも見える。
壁と同じ錫色の城館を眺め、フェイリットは空想を断ち切って息をつく。
ドルキア城には、傷を負って戦地を離脱した、ヒョルド・ディフアストンもいるのだ。
メルトロー王国を継ぐ継承権を、第一に持つ王子。そして、ノルティス王を傍らに支える〝王の右腕〟と称される男でもあった。
会ったことなど、もちろん無い。けれど彼の冷酷な性質や、血も涙も構わぬ采配への怖れは、又聞きながら十二分に届いていた。
講和を成して、戦争を終わらせる。そのために、まずはヒョルド・ディフアストンの説得をしなくてはならない。
やるべき事が明白であればこそ。城が近づくにつれて、言いようのない緊張が迫る。
「大丈夫か、お前もディフアストン殿下とは面識がないんだろう」
鋭いコンツェの言葉に、フェイリットは慌てて首を振る。
「ちょっと緊張してるだけ。ほら、皆からよく怖い人って聞いてたから」
思えば何ともない素ぶりが、彼に通用したことは一度もない。誤魔化しが効かないことを覚りつつも、フェイリットは弁明する。
「でも平気、大丈夫」
視線が僅かにかち合い、コンツェが息をもらして笑った。
「なんだ、緊張か。普段けろけろっとしてるから分からなかった」
「なっ、人をヒキガエルみたいに……」
「……けろけろ」
「コンツェ」
目線だけは前に向けて、密やかに口論を続ける。
テナンの公王とメルトローの王女が、よもやこんなどうしようもない話題をしていようとは、兵士たちは思いもよらないだろう。そう考えると、緊張に冷えた手先が徐々に温もっていく。
兵たちの敬礼に応えて、コンツェが泰然と頷きを返した。その向こうから、ようやく見知った顔が近づいてくる。
「エトワルト公王陛下」
明朗な声をかけられて、コンツェが「ダルトヴァン中将」と返す。彼は軍議で肩を並べた将校の一人で、テナン公国から輸送した一個師団を取りまとめる長官だった。
「サディアナ王女殿下」
ダルトヴァンの差し出した手に、フェイリットが手を載せる。と、ダルトヴァンは自らの額にそっと近づけて敬意を示した。軍衣を着ているのに、それは高貴な女性への最上級の礼節だった。
丁重な扱いに好ましさを覚えながら、フェイリットは膝を折って返礼する。
「御到着お待ちしておりました。イジャローテ公王陛下のもとへお連れします」
公王がいるという部屋の前室で、ダルトヴァン中将は立ち止まった。自分は入室を許されていない、と言い置いて、扉の横に身を移す。付き沿ってきたエレシンスとフィティエンティも、同様に身を控える。
彼らに目を配らせたのち、コンツェが扉の前に立った。フェイリットも並び立ち、侍従が扉を開ける時を待つ。
――広く、明るい居室だった。まず目に入ったのは、大きな窓。その大きな窓を背に、天蓋の無い大きな寝台がある。寝台の傍にはイジャローテらしき壮年の人物が立っていて、コンツェに向けて何か話した。イジャローテが近づいてきて、フェイリットにも何か言う。
けれど、応対することはできなかった。
「……ど、……うして、」
こぼれ落ちそうなほどに目を見開き、寝台に向けてふらふらと歩く。
イジャローテの姿も、コンツェの声も、大勢の侍従が騒然とする光景さえ。もう、何一つフェイリットの目には映らない。
視界を占めるのは、ただ一人。大きな寝台の上。沢山の枕に背をうずめて、殺伐とした目を寄越す人物だけだった。
「……どうして、」
途切れ途切れの雲が、窓向こうに流れていた。注ぐ昼間の強い陽射しが、寝台の上の人物を照らす。
そうして、彼の金獅子のような癖毛が、太陽の色に染まっていった。
死んだはずの人物が、生きて今、目の前にいる。アルマ山脈の奥深くで、フェイリットを送り出し、自らその命を絶ったはずの人物が……どうして。
「――サミュン!!!」
悲鳴のようにその名を叫んで、フェイリットは飛び出した。