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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第三幕:王太子の褒美
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150 戦女神の大恩寵


 フィティエンティの身体越しに、何隻もの船が並んで見える。木造の帆船で、どの船も(いかり)を上げていた。水路は整備されて新しく、海への出口はすぐそこだ。吹き込んでくる風が水面(みなも)を揺らし、陽射しできらきら輝いている。

 何人もの兵たちがところ狭しと動きまわり、彼らを避けるのもひと苦労するほど。ぶつからないよう気を配りながら、三人は目的の船に向かう。


「よう! 来たな」

 声の方向を見やると、ギルウォールが舳先から身を乗り出していた。勲章や褒章がわんさかついた軍衣に、肩からは豪奢な紺のローブ。古めかしい帆船とは、どうにも釣り合わない格好だ。

 船にははしごも付いているのに、ギルウォールは舳先からひょい、と飛び降りた。水路から伸びる桟橋に降り立つや、人好きのする笑みを浮かべて言う。

「じゃあな妹よ、おにいたまは別行動だ」


 そうして芝居染みた仕草で、ギルウォールはフェイリットの肩をぽんぽんと叩いた。

「えっ、まさか、わたしたちと行かないんですか?」

 ギルウォールが、斜めに(かし)いで肯定を示す。

「なんで……」

 勲章だらけの軍衣に、豪奢な紺のローブ。引っかかっていた彼の出で立ちの意味に、フェイリットは小さく唸る。

「ノルティス王のところへ?」


 メルトロー国王に謁見するための正装。それを今から着用しているということは――ノルティス王は、王城にいない。それよりももっと近く。テナン側に〝移動している〟と捉えるべきだ。

「まぁな。命じられた仕事もあるから……」

「お願いします!」

 ギルウォールの両腕を掴み、フェイリットは頭を下げる。


 講和に向け、道しるべを定めた今。ノルティス王の説得は最大の関門だった。ディフアストンを説き伏せ、講和に応じてもらう以前に、ノルティス王の同意が必須。そこで匙を折られてしまったら、テナンはおろか、イクパル本土まで失いかねない最悪の事態が訪れる。

「どうかノルティス王の狙いを阻止してください。そしてわたしたちが講和に動き始めていることを、ぎりぎりまで伏せて欲しい」


 悲痛な声で懇願するフェイリットを眺めて、ギルウォールは息をもらした。笑ったのか呆れたのか。頭を下げ続けるフェイリットには、わかるはずもない。

「見くびってもらっちゃ困るな。おまえたちの反乱(、、)を、ちょろまかせるだけの手腕は持ってる」

 任せとけ、と続ける彼の顔を、フェイリットは恐る恐る見上げた。

「イリアス沿岸に向かうんですよね」

 海軍を掌握するギルウォールを呼び戻す、ひとつの理由。きっとそれは、海に面するイリアス公国の海域を制圧すること。ギルウォールが海軍を指揮して海から攻め入ったなら、皇帝勢力が立て直しを図っているであろう地・ギスエルダン旧市街を、挟み込む構図ができあがる。


「……まあ、気づくよな」

 残念そうに首をすくめて、ギルウォールが認める。

「さすが王弟サミュエルの……」

おにいたま(、、、、、)

 メルトローを裏切ってくれ、とは口に出すことはできない。ノルティス王に命じられたら、動く。それだけの理由が彼にもきっとあるのだろう。

 フェイリットは力を込めて、自らの唇を噛み裂いた。血の味が口の中に広がってすぐ、ギルウォールの肩に飛びつく。

「ぐっ」

 口移して与えたのは、唇から流れ出た少量の血。

 ギルウォールは苦しげに呻いて、桟橋の木板に膝を落とした。その腕にフェイリットを抱えたまま。


「ギルウォール殿下?!」

 口から血をつたわせる主人の異変に、ギルウォールの侍従たちが騒ぐ。見守っていたコンツェやフィティエンティも、事態を収拾させようと慌てはじめた。

 「毒か」やら「医師を」やらの言葉じりを聞いて、フェイリットは次兄の瞳を覗き込んだ。同じようにして血を受けたフィティエンティを思えば、彼の拒絶反応は軽く見える。断りもなく寿命を延ばすなんて。無責任なことをした自覚は、充分にあった。一歩間違えば、拒絶で命も危ぶまれるのだ。エレシンスを責めたてておきながら、同じことをしてしまった。それでも、フェイリットに後悔はない。


「騒ぐんじゃねえ! 毒じゃねえよ」

 荒い声でまくし立て、ギルウォールは床に手をついた。(こら)えるように身震いをすると、険しい顔を侍従たちに向ける。

「毒どころか……戦女神の大恩寵(、、、)だ」

 苦しげに胸を押さえながら、それでもゆっくりと立ち上がる。妹からの〝戦勝祈願〟だ、と切れ切れの息を吐き出しながら、ギルウォールは続けた。

「……こんなに苦しいもんだとは」


 無理やりつくった笑みを頰に貼り付け、仕返しとばかりにフェイリットの額を小突く。

 フェイリットはその拳を受けながら、ギルウォールから身体を離した。

「ご武運を祈ります。イリアスの海神が、どうか見ていて(、、、、)くれますように」

 どうか手出しだけはしないで。イリアスの街に砲撃を降らせることなく、講和が成るまで見ていて(、、、、)欲しい。

 言葉の裏に隠した願いが、ギルウォールに届いたかは確かめようもない。けれど彼は、返事の代わりにそっと笑った。


「ああっ、もしかして大事なところを見逃した?」

 水路に伸びる横穴から、ドリューテシアが駆けつける。隣にアシュケナシシムを伴って、大きめの布袋を抱え持っていた。

「はいこれお茶。美味しそうにがぶがぶ飲んでたって、ギルに聞いたからね」

 布から漂う独特の匂いを嗅いで、コンツェが顔を顰めている。ドリューテシアとアシュケナシシムから、それぞれ一袋。多すぎる量を受け取って、フェイリットは困ってしまう。

「ありがとうございます……でも、これ全部ですか?」

「炎症を抑える効能があるから、怪我してるディフアストン(だれかさん)にもお土産になるし、月のものの痛みにも効くんだ」

 眼鏡ごしの目を細めて、ドリューテシアは言った。

「私も飲んでるから保証する」

 そして付け加えられた囁きに、フェイリットは目を丸めた。

「えっ、えっ?!」


 未だよろめいているギルウォールの肩をとりつつ、ドリューテシアが笑う。

「女の人……?」

 上背の高さと低めの声で、疑ってもみなかった。フェイリットは驚きのまま、自らの身体を触り倒した人を見つめる。最初に話してくれていたなら、もっと素直に従ったのに、と。

「戻ったら、ゆっくり話そう」

 そう言うと、ドリューテシアは隣のアシュケナシシムを見やった。何か言いたげにしている彼の様子に、頰を緩めている。

「姉さん、エトワルト。間違っても死なないでよね。何かあったら鷹を飛ばすから……」

 アシュケナシシムに抱きついて、返事の代わりに背中をさする。今生の別れでは決してない。わかっていても、寂しい。きっと同じ気持ちなのだと感じながら、フェイリットは双子の弟と目を合わせる。悪戯げに細められる彼の目を見て、その考えが伝わった。


「エトワルト」

「コンツェ」

 身体の片側に隙間を空けて、その手を広げる。渋々歩み寄ったコンツェを巻き込み、

「……じゃあな」

 三人は別れの抱擁を続けた。





 波はとても穏やかで、背を推して良い風が吹いていた。別れを済ませ、すぐに船は旅立つ。エルベ海を北に。

 彼らがドルキア公国へたどり着いたのは、二日の日取りを、ぎりぎり費やしてのことだった。





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