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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第三幕:王太子の褒美
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142 君と踊る砂上の遊戯

 深い溜め息のあと、フェイリットは額をさすっていた手を胸もとにあてた。

 軍隊式の儀礼の挨拶で、そっと(こうべ)を垂れる姿。その額にほんのりと残る赤みを見つけて、コンツェは口元を綻ばせる。どんなに気を引き締めても、「愛らしい」と感じてしまう自分の心を騙せそうになかった。

 ふっと微笑んでしまい――いけない、とコンツェが思ったその時。


「サディアナ……」

 フェイリットの名を口にする者がいた。もちろん、コンツェではない。

 微笑を隠すために空咳をついたコンツェは、声の主に視線をやった。見れば、メルトロー王国からの使節のうち一番年若い男だ。記憶に薄い意外な人物に、コンツェは片眉を動かす。


「ドリューテシア、」

 ギルウォールが低い声で、彼の名を呼んだ。不敬を(とが)める響きにも、何かを気づかせようとする響きにも聞こえる。ドリューテシア、という名を思い巡らせて、ようやく記憶に合点がいく。

 彼はたしか、コンツェがギルウォールに殴られた折、止めに入った男だ。


 軍衣を(まと)う人物がほとんどの中、ドリューテシアの風貌は異質ともとれた。生成(きなり)色の開襟と首に巻いた同色のスカーフ、そして絨毯地の上衣と、(もも)に沿う形状の下衣。武官というより、文官のような出で立ちだ。上流階級に間違いないが、この場で容易な発言が許される立場にないのも明らか。

 たったのひと言で注目を集めてしまい、ドリューテシアは気まずそうに氷色(ひいろ)の瞳を揺るがせている。


「申し訳ございません、」

 ドリューテシアは細枠の眼鏡に指をかけると、視線を床へ逸らした。礼のため傾けた頭から、絹糸(きぬいと)のような銀髪が、ゆるい波をうって落ちる。

「サディアナ・シフィーシュ王女殿下」

 敬称を含めて言い直し、深々とした礼を繋げる。その動作につられるように、室内の十数名が、ドリューテシアに倣った。


 はらはらと下がりゆく皆の頭上を眺め、コンツェはフェイリットを目で伺う。

 ドリューテシアが驚くのも無理はない。大量に血を吐き、生死の境をさまよっていたはずの王女が目の前にいる。

 ……そして。皆一様に、落ち着きをなくした視線をコンツェとフェイリット、双方に向けていた。つまりは、〝痴情のもつれ〟がどうのと、考えを巡らせているわけだ。


「皆、心配をかけました。この通り、身体は全快しています」

 勘ぐるような皆の沈黙を破って、凛とすずやかなフェイリットの声音が響く。

「それと。エトワルト王陛下。先ほどのお話、立ち聞きしてしまいました」

 彼女は記憶に新しい、詰め襟の(あお)の軍衣を着ていた。軍隊式の礼を改めてコンツェに向け、「申し訳ありません」と続ける。

 胸に手をあて、片膝を曲げて額を垂れる騎士の倣い。きっ、と動くさまは清々しく、実に泰然として見えた。


「……許す」

 親しさを排除した言いぶりに合わせ、堅く頷いて応える。コンツェは血色の良いフェイリットの顔を見て、内心ほっとしていた。

 (とら)われた視野に映る、綺麗な湖水色の眼差し。肩口まで伸びた癖毛はうなじの辺りに括られ、中性的な印象を強くしている。

 ドレス姿でなく、少女らしい柔らかな笑みを浮かべるわけでもない。なのに気がつけばいつも、彼女に視線を奪われていた。

 心情を隠すための無表情を装い、コンツェは差し挟む。

「が、用向きはあるのか」


 ――具合は大丈夫なのか。エレシンスに何かされなかったか。寝ていなくて平気なのか。俺を、……赦してくれるだろうか。

 気がかりを挙げだしたらきりがない。それでも、他者の目を考えるなら一国の王と末席の王女。立場上の振る舞いを努め、コンツェは〝サディアナ王女〟を見据える。

「次の一手」

 と、フェイリットは言い放った。その顔は見たことのないほど厳しく、感情が読みとれるものではない。

バスクス二世(、、、、、、)の次の一手が、わかります」

「…………」


 いいでしょうか? と問われる声に、空白になった頭のまま、コンツェは頷いた。

「感謝します」

 もう一度礼をしたのち、フェイリットは扉向こうから進み来る。踵のある長靴(ブーツ)は、かつりとも音をたてない。彼女の動かす空気だけが、風となってコンツェの頰をさすっていった。

 ふわりと漂う花の香は、フェイリットのものではない。扉の横に立つ、エレシンスの纏う香りだけ。

「……?」

 違和感は、彼女が近づくにつれ増していった。

 あれほど強く、濃く香っていたはずの花の匂いが、フェイリットからすっかり消えている。


「では、」

 誰の返事も待つことなく、フェイリットは円卓に進み出た。広げられた飴色の大地図(だいちず)を前に、その華奢な指先をこん、と卓につける。

 フェイリットが指し示した場所は、イクパル国土の最東端だった。イリアス公国とバッソス公国が接する国境のあたりで、先ほど議論に上っていたバッソス城とは、かけ離れた位置にある。

「ここです。我々がここに全兵力を集結できたら、勝てる」

 と静かな声で告げて、フェイリットは視線を上げた。


 次の一手どころの話ではない。フェイリットの告げた〝結論〟を前に、一瞬にして場が静寂に包まれる。 

「もっと……」

 と(かす)れた声を上げて、シバスラフが慌てて咳払う。

「もっと、順を追って、詳しくご説明願えますかな」

「フェイリット。バスクス二世は伏兵を連れてバッソス公国に逃げ込んだ。これは確かな話で……」

 言い止すコンツェを尻目に、フェイリットは滑らかな手つきで兵棋(こま)を並べ替えてゆく。


 出来上がった状況図には、篭城したバッソス城と、周囲を取り囲むテナン・メルトロー連合軍があった。そして、東端のイリアス公国に築かれたイクパルの大軍。

「バッソス城は(おとり)。篭城の兵も千に満たないはずです」

 そうして皇帝の兵棋を持ち上げ、フェイリットはじっと考えている。

「なぜ、そう思うんだ?」

 彼女の眼差しを見守りつつ、コンツェが問う。


「イリアス公国の旧市街地です。そして、その手前から続く奇岩地帯。わたしがバスクス二世なら、数に頼らない地理を選ぼうとする。こちらはメルトロー王国という巨大な後ろ盾がありますから」

「ああ……」

 と気づいたように、シバスラフが息をつく。

「ギスエルダン旧市街か」


 はっ、と顔色を変えて、コンツェは大地図から顔を上げた。

 かつて海沿いに広がっていたイリアス公国の中心街は、遠い昔に滅び去った。大きな海戦の犠牲になったという街並みは、数百年以上ほうり置かれ、すっかり風化した土地になっている。新都と呼ばれる副都アンリは今や別の場所、山脈沿いの広大な平野に築かれた。


 かの地に今なお(のこ)されているのは、岩盤にめり込む地下要塞と、壁だけが剥き出した住居跡のみ。そして皇帝直轄領から最も遠い、隔絶された滅びた都は、いつのまにか別の用途に使われはじめた。

 ギスエルダン牢獄――前帝アエドゲヌが数多(あまた)の政治犯を捕らえ、収容したと言われる死の牢として。


「皮肉なものだ。ギスエルダンに投獄されていたバスクス二世が、よもやギスエルダンを決戦地に選ぶなど」

 将校の一人が、渋い声で呟きをもらす。

「ですが、彼なら考え得る」

 フェイリットは将校に答えて、手に持ったままだった兵棋を、旧市街地にそっと置いた。その横顔に、言いようのない憐情を見つけてしまう。恋しい男が敵となり、彼を倒さぬかぎり国土に平穏はおとずれない。その苦悩を晴らせない自分への怒りに、コンツェは奥歯を噛んだ。


「サディアナ殿下。国境に全兵力を、と仰いましたが、しかしバッソス城を捨て置くわけにも参りませんぞ。イリアス公国に辿り着いた背を突かれては、元も子もない」

 シバスラフの言葉を受けて、フェイリットが頷く。

「正確には、この兵棋(こま)が示すように、バッソス城は最少の力で包囲します。あくまで、我々がバッソス城に重きを置いているよう見せなくてはなりませんが」


 バスクス二世は、最終的にはイリアス公国での兵力の集結をもって戦況を完成させるはず。だからそれよりも早く、イリアス公国に連合軍を動かすべきだ。間に合えば、敵陣の完成前に仕掛けられる。そう説明して、大地図に向けていたフェイリットの目がコンツェに戻った。

「もちろん向こうも読んでいて、時間稼ぎの別働隊を配備しているでしょうけど」

「つまり……奇策に走られる前に、数で負かすんだな」

「はい」


 コンツェの言葉に応えて、フェイリットは再び兵棋を握った。

「一対三の法則を使います。初歩の初歩ですが、これに勝る確実な攻略法はありません。攻撃側が防御側の三倍に達したら勝てる。理想は十倍差ですが、あいにく諜者(ちょうしゃ)でも出さない限り、向こうが用意する予定の別働隊は予測できない。そしてそんな余裕もない」

 いつ路や狭路を使えば十倍差も忌避されてしまう。が、イリアス公国へ至る道のりは平地ばかり。フェイリットの提案は、無謀であるどころか、教本通りといってよかった。


「ただし、イリアス公国の奇岩地帯に入ってしまうと、兵力差は効かない。策のぶつけ合いになる。わたしにはあの人(、、、)の戦略を超える知識が足りませんから」

 だから、今のうちにイリアス公国に全軍を向けるべきと。そう結んで、フェイリットは押し黙った。


 〝あの人〟の戦略を超えられない。


 それは、無能や暗愚や狂帝であると表される、バスクス二世に相応しくない言葉だった。コンツェは長い息をそっと吐いて、フェイリットを見据える。

 つまり、バスクス二世は皆が思っているような人物ではない。嘲りや侮りをかなぐり捨てて、闘わねばならぬ相手なのだと。


「我々が圧倒しさえすれば、和睦も、いや完勝さえ現実のものとなりましょうな」

 感服した、といわんばかりの息をもらして、テナンの将校が述べる。

「いやはや……あのサミュエル・ハンス殿に、地政学に至るまで教示を受けたと存じますが。お噂は(まこと)だったようですなあ」

「いえ、」

 と何かを言いさして、フェイリットは寂しそうに笑った。

「わたしも戦地に、エトワルト王陛下に帯同して宜しいですか」

 頰に浮かべた笑みをそのままに、フェイリットが皆を見渡す。その終着地点で交わされた視線を受け、コンツェは息をのんだ。



 自分も行く。それを言いたいがため、彼女はこの場に乗り込んできたのか。



「もうご存知でしょうが、わたしには帝国宰相の小姓に扮していた時期があります。ですから、ディア……バスクス二世(、、、、、、)の考えの〝癖〟を、少しは見知っているつもりです」

 いざとなれば、大隊程度の指揮もとりましょう。そう続ける眼差しには、不思議な強さが見えた。

 透きとおった湖水色の瞳が、(ほの)かに光を帯びてゆく。ゆらゆらと輝く、美しい炎。〝期待〟や〝渇望〟という言葉が脳裏に浮かび、コンツェは慌てて視界を閉じた。


「ありがとう、フェイリット。おまえが居てくれるだけで、俺は嬉しい」

 ――心から思う。

 最強と謳われる(かのじょ)力の矛先(やいば)が、例えどちらを向くに至っても――。



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