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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第三幕:王太子の褒美
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134 花の雨。


 みずみずしく咲き誇り、人々の目を楽しませる。彼女(、、)の美しさは、まさに大輪の花のようだった。甘く匂いたつ、その香りさえも。

 黄金の竜エレシンス。王を見初(みそ)めて契約をむすび、大陸の制覇という伝説をつくった、歴史に名をのこす唯一の竜。


「ホスフォネト。……私の〝眼〟を、どこへやった?」


 バッソス公王ホスフォネトは、目の前にある黄金の瞳を静かに見つめた。地下書庫の暗がりにあってなお、エレシンスの隻眼は蝋燭の灯火のようにゆらいでいる。

 不老長寿の神秘であり、竜の契約の真髄である〝眼〟。エレシンスが探しているのは、自らの命にも等しい不可欠の宝だ。


「それは、貴女がタントルアス陛下から返されたほうの〝眼〟のことですかな?」

 苦し紛れと分かっていても、皮肉を言わずにはいられない。エレシンスの眼は手許にはなく、あろうことかサディアナ王女に譲渡してしまった。

 タントルアスに瓜二つの存在がいると知ったなら……エレシンスは何をしでかすか。


「それとも、アロヴァ=イネセン陛下に奪われた〝眼〟のことですかな」

 エレシンスの均整のとれた眉が、さっと不快に歪められる。

「……私が忠誠を誓った時期を知りたいのだろう」

 自らの手のひらを見つめ、エレシンスは深い声音で呟いた。

「答えてやる。……だが、代わりにおまえも真実を話せ、私の眼の行方を」

 金の炎のようにゆらぐ瞳が、射貫くほど強く向けられる。ホスフォネトは観念ながら息をつき、提案に頷くしかなくなった。


「我々は戦争をはじめようとしています。我々……つまりイクパル帝国と、メルトロー王国が、です」

 黄金の瞳が、驚きの色で染められていく。ホスフォネトがその意味に辿りつく間もなく、エレシンスは(きびす)を返して背を見せた。

「どこへ? まだ話の途中では?」

 エレシンスの背中に向けて、ホスフォネトは声を上げる。彼女の提示した条件は、まだ双方に満たされていない。

 立ち去ろうとする背中がとどまり、そこに広がる濃金の髪が波うつ。


「私は(めす)の竜だ。本来なら、タントルアスに契約を捧げることはできない。……はずだった」

「はずだった?」

「そうだ。私が契ったのは、タントルアスとその胎児」

「まさか……」

「タントルアスはバスクスの子を、腹に宿していたからだ」


 胎児……すなわち、当時のイクパル皇帝とメルトロー国王の継子ということになる。

 ――国へ捧げられた忠誠は、もとより二手に分かたれていた。

 〝戦争〟の言葉に、エレシンスが驚いた理由がようやく分かる。忠誠を誓った二国が、今まさに争おうとしているのだから。


 彼女の強大な血で誓われた忠誠は、呪いにも等しいもの。それは血をつなぐ限り、末代にもわたって〝国〟に施される約束だ。千年以上前、メルトロー王国にのみ(、、)誓われたはずの絶対の忠誠が、根本から覆る。


「では……サディアナ殿下は……イクパル帝国に誓えるということなのか……」


 冷たいもので殴られるような衝撃を頭に感じて、ホスフォネトは思わず呟いていた。わなわなと震える両手を組み、足元に視線を落とす。



 ならば、彼女は、彼女の恋(、、、、)は……?



「……サディアナ?」

 自らの失態に気づいた時には、もうすでに遅かった。サディアナ王女の存在だけは、知らせまいと決めたはずなのに。

 ホスフォネトは震えるままの手で、白銀の鎧が覆うエレシンスの肩にそっと触れる。

「貴女の御代は、とうに終わった。どうかもう、我々を振り回さないでいただきたい。願わくば静かなる眠りを再び」


 タントルアスの統治の時代は、今はもう、脚色にまみれた御伽噺(おとぎばなし)だ。

 彼女たちの生きた激動期は、後世には正しく残されなかった。敵の皇帝を愛し、彼の子を育み、王国の玉座に縛られ続けた女王タントルアス。そして、タントルアスを愛する証明のごとく、自らの身を投じて大陸を制覇していった黄金竜エレシンス。

 繊細な均衡を欲する二人の関係は、実のところ五百年は続かなかったのだ。



 ――私にはもう充分だ、エレシンス。



 王位を継いで百年と少し経った頃。長すぎる追憶の日々を、タントルアスはついに拒絶した。

 愛した男から国を奪い、玉座を奪い、命を奪った。その贖罪しきれぬ強い想いは、永遠を生きるには過酷すぎた。

 永遠の命を叶えても、心を永遠に保つのは難しい。

 人智を超えた竜の血など、人間には過ぎた賜物でしかなかったのだ。


「サディアナとやらが、私の眼を持っているのだな?」


 エレシンスの静かな声は、確信を含んで地下書庫に響く。

 たどり着いたであろう、疑問の答え。ホスフォネトは相槌をうたなかった。肯定も否定もなく、黄金の瞳をただじっと見つめる。


 メルトロー王国の黄金期。残りの年月を支えたのは〝タントルアス〟を継承した一人の男だった。

 ……アロヴァ=イネセン。彼は〝母親(タントルアス)〟の名を継ぐことで、自国の混乱を最小に抑えた。大陸から妃を集め子を成し、和平のもとに富を分配し、文字通りの繁栄を築き上げて。

 彼こそが、真実語り継がれる英雄王の姿だ。そして同時に、姿を消したエレシンスを追い、生涯を〝竜狩り〟に捧げた人物でもある。

 記録にはエレシンスの兄とあるはずの、出生から偽られた存在。


「サディアナとは何者だ」

 たたみかけるエレシンスの言葉に、ホスフォネトは首を竦める。殺すか、生かすか、喰ってしまうか。彼女の選択肢に釘を刺すなら、今をおいて他にない。

「タントルアス陛下子孫の血脈と、貴女の血脈が交わった……王女です」

「…………」

 片側だけの瞳から落ちた、ひとしずくの煌めき。何も言わぬまま、エレシンスは背中を見せた。

「エレシンス」

 歩き去っていく彼女を、もう止めることはできない。その足取りを数歩だけ追いかけ、ホスフォネトは苦いため息を吐きだした。


「……ルクゾール、生きておるか」

「ええ。心臓が止まりそうですが、なんとか」

 ほら穴のような空間はエレシンスを欠いて、いっそうの暗闇を感じさせる。

 主人(タントルアス)とともに消えたはずの存在が、今になって現れるとは。幻ではないことを示すのは、彼女のまとう花の残り香だけ。

「そうだ、エレシンスは我々の心臓を止めなかった」

 足元に落ちた額縁を拾い上げ、ホスフォネトは声を静める。

「つまりは、まだ動いてもよいということだ」


 肖像画に記された、薄く掠れた画家の名前。重なる符号が、なにか意味を持つものだとしたなら。

 エレシンスは、争おうとする二国を止めるのだろうか。驚くままに立ち去ろうとした、彼女の背中を思い起こす。

 タントルアスがこの世を辞してのち、消滅したはずの存在だった。なによりも不可思議なのは、心臓を失ってなお彼女が生き続けていたこと。


 ――タントルアスの尖兵を永劫につとめあげよ。


 主人(あるじ)を喰らい、自らの心臓を抜いてホスフォネトとルクゾールに与えて。

 そうして課せられた、気の触れるほどに続く使命(いのち)。主人の失くなった世で、主人のために生きるのは……なんと虚しく残酷な年月(としつき)であったか。


「我々もすべきことをしようぞ」 

 敵にも味方にも、知られてはならないタントルアス王の秘密。所在を隠し、真実を消し去るために訪れた地下書庫で、ホスフォネトは決意を新たにする。

 サディアナ王女の意思を、直に問うことはもう叶わない。それでも、あの恋心の矛先を考えたなら……きっと。

「この地にて戦う。バスクス二世陛下に、タントルアス王の遺品をお届けするのだ」


 ホスフォネトとルクゾールは、タントルアス所縁(ゆかり)の品々を、すべて〝外〟へ運び出した。

 アルジャダール・ケルバ・バスクスの、血脈と名を継ぐ皇帝のもとへと。





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