130 資格をもつ者
エトワルトが犯した過ちは、速やかにメルトロー国王の元へと伝達された。
国王ノルティスは、「戦争中の両国にとって〝極めて優先度の低い事案〟である」という簡潔な返答をもたらし……「終戦まで婚姻は認めぬ」と釘をさすことも欠かさなかった。
立場だけで考えるなら、何十人といる王女の末席でしかないサディアナ。この決断と返答は、まさに規範通りとも言えるのだろう。
半球状に広がりを見せる玉座の間の天井。じっと見つめて辿った後で、アシュケナシシムは目を伏せる。
玉座に降り注ぐ光の帯は、今は誰の身も包んではいない。そこへ座るはずの国王は、すぐ隣で同じ光景を見つめている。
「お咎め無し。……良かったじゃないか」
軽口を込めて言いやっても、互いを慰めることにはならない。むしろ皮肉にも聞こえただろうその言葉に、エトワルトは短い溜息で応えた。
「勝つよ。ノルティス陛下の、寛大な御心に報いるためにも」
結果的にサディアナは、エトワルトを釣りあげる大きな餌になったのだろう。終戦まで結婚は認めない。つまりは、敗戦したなら罪にも問おうという返答。
勝てば傀儡、負ければ斬首。ノルティス王の狡猾な手口は相変わらずだ。
じりじりと無くなる立つ瀬を、エトワルト自身の手で壊してしまった。自業自得とはいえ、弱味を握られることに同情せざるを得ない。
「ギルウォール兄上、連れてきましたけど」
気持ちを切り替えようと、アシュケナシシムはいつも通りの態度に努め声をあげた。
ギルウォールが指定した場所は、テナン公王の玉座の間。声は響くし、広すぎる。内緒話をするには、お世辞にも相応しい場所とは言えなかった。たとえ人払いを徹底させ、扉を全て締めきったとしても。
「遅かったじゃねえか。我らが父上様から、死刑の沙汰でも出たか?」
玉座の向こう。列柱のひとつに身を預けていたギルウォールが、皮肉めいた調子で嗤う。
メルトロー王国の第二王子で、不在のディフアストンに次ぐ王位継承権の持ち主。つまり発言権も多大にあるはずの彼が、詮議出席を拒絶した。
居ても居なくても結論なんか変わりゃしねえ――そう残して。結果は彼の言葉の通り、親の情にさえ欠けた返答だった。〝エトワルトに懲罰を〟と叫んだところで、投げられた賽の目は変わらない。王位継承権第三位の、ギルウォールで以ってしても。
「……終戦後、然るべき処遇は受けるつもりです。国土と民さえ、お護り頂けるなら」
向けられた視線を受け止め、エトワルトが頭を下げる。その目に暗い光を灯しているのに、失意の色は見られない。
強い意志さえ宿る眼差しを見やって、ギルウォールは忌々しげに舌を打った。
「そんじゃあ、壊すぜ。俺は利き手が使えねえから、お前らやれ」
「壊す?」
「……壊すって何を」
同時に言葉を続けて、アシュケナシシムとエトワルトは顔を見合わせる。
「何って玉座しかねえだろ」
ギルウォールの手に握られた鉄製の短槍。疑問を口にする隙も無く、彼から投げるようにして渡される。
「喜べ、野郎ども。お宝探しだぜ」
「えっ?」
低い声で笑いはじめる次兄の顔と、鉄の槍、光の帯が注ぐ玉座。アシュケナシシムはそれぞれを順番に眺めて、なおも首を横に振る。
「兄上、意味がわかりま……あああ!」
ヒュッと脇を通り抜ける風に身を反らせば、あろうことかエトワルトだ。自らの玉座を、何の迷いもなく槍で突き崩す。
「エトワルト、」
砕け散る大きな音が、半球の空間にがらがらと響き渡る。
さすが軍人上がりと言うべきなのか。白く美しい貝殻装飾の玉座は、いとも容易く彼の一撃で壊れたのだった。
「君ってやつは、なんてこと……」
エトワルトの腕を驚きのままに掴み、アシュケナシシムは眉根を寄せた。曲がりなりにも一国の主が、その象徴ともいえる玉座を迷いなく破壊するとは。
軽率にもほどがある、そう言おうとしてエトワルトを見れば、意外なほど怪訝な目を返される。
「……アシュ。ここに何が隠されているか、俺は知っている必要がある。少なくともフェイリットに関係してるんだろう」
エトワルトの眼差しに宿る、〝強い決意〟の源泉。昏睡のまま時間を止めたサディアナを思い、アシュケナシシムは渋々頷く。
〝サディアナに関係する〟――ここに来た理由はたった一つ。
「思った通り脆いな。初めから退かす為に造ったとしか……」
そんな二人を尻目に、ギルウォールが一人呟いた。床に散った破片を足で履き、残った玉座の下部分も蹴り壊している。その粗暴な背中は、控え目に見ても略奪に耽る賊にしか思えない。
「……見ろ、隠し扉だ」
ギルウォールが示した足下に、四角い石蓋が見える。三人がかりでそれを持ち上げ、露わになった穴を覗きこむ。
「階段?」
明かりを灯しているわけではないのに、ぼんやりと視界が利いていた。螺旋を描く白い階段を見つけて、アシュケナシシムは首を傾げる。ふとして上を見ると、強い陽光が目を直にくらませた。
「……成る程な、」
眩しさに腕を掲げるアシュケナシシムを見て、ギルウォールが笑う。
玉座を包む光の帯は、見る者に畏怖を与える細工のはずだった。意図して造られたその光は今、真っ直ぐ穴に向かって射し込んでいる。
「この採光はこっちを照らすためだったのか」
本当の目的は、玉座ではなくその下。開かれた扉の先、螺旋の階段の下にある。
「こんな場所があったとは……父も知っていたかどうか」
驚きも露わに、エトワルトが呟いた。その手を皿に採光を受け、じっと何かを考えている。
「そりゃ、もう分かんねえな」
ギルウォールは明らかに含んだ目で、ちらと彼を見やった。
「五百年ほど前までは、テナン公国はメルトローの間接統治領だった。お前たちテナン人は、歴史の中にも忘れちまってんだろ?」
テナン公国の文化や建造物の数々は、メルトローの支配を受けた記憶を確かに宿している。メルトロー王城を模したであろう、均一に並ぶ塔に囲まれた城。区画を制し自然を征する庭のつくりを見ても、イクパルの帝城とは様相が違う。
そして何より、コンツ・エトワルトという名。脈々と継がれる、メルトロー風の名付けに間違いなかった。
「古書を読まなければ……知ることはない歴史だと思います。自分は八歳までこの城で読み書きを覚えたので、軽く知識のある程度で」
何百年も前の歴史など、人々の良いようにすり替わるもの。そうして統治を続けてきたシマニ公爵家の、決断でもあるのだろう。
ギルウォールは深い息を吐き出した後で、エトワルトの瞳を覗き込む。
「コンツ・エトワルト・シマニ。お前にも資格は十分にあるってことだ」
「資格……」
「さて。この階段の先にある秘密は、俺の独断の開示だってこと忘れるなよ。ノルティスじじいにバレたら、仲良く死刑になれるだろうがな」
「秘密? この隠し通路は、いったい何の目的で」
「まあまあ。まずは俺からの質問だ、エトワルト」
螺旋の階段に両足をつけ、「やっぱ埃臭えなぁ」と呟くなり舌を打つ。
そうして数段低い場所から、
「……タントルアスって知ってるか?」
ギルウォールは薄い灰色の瞳を鋭く細めるのだった。