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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第三幕:王太子の褒美
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129 恋文

 月明かりに照らされた砂の大地に、波紋の模様が遥か彼方までつづいていた。

 人の歩かぬ夜間、風が砂粒(さりゅう)をさらい美しい模様を(えが)いてまわる。それは〝神のらくがき〟とも呼ばれる、自然がつくりだす現象だ。


 砂のぬかるみに足をとられながら、シャルベーシャは砂紋を歩く。

 幼い頃から、この一番乗りの風景が好きだった。遊牧から隊商(キャラバン)まで、一族がこなした仕事はたいていが夜も明けやらぬ早朝に始まる。

 誰よりも早く起き、風の描く未知の世界を探索する。その高揚は何歳(いくつ)になっても忘れられるものではない。

「……敵?」


 緩やかな勾配の、ちょうど窪地(くぼち)にあたる場所だった。ぽつんと点をうつように、黒い影が遠目に見える。シャルベーシャは目を凝らしながら、慎重になって身を屈める。

 ヤンエ砂漠を走り抜け、バッソスへ辿り着くことのできた軍勢はおよそ一万と少し。帝都侵攻を出迎えた数から、三千余りを欠く結果となった。


 敵の追随を切り抜け、戦場を一つ内陸に引き寄せる。――当初の目的は達成されたわけだが、けっして楽観はできない。

 シャルベーシャ率いる後続の遊撃隊が、バッソス公国に辿り着いて丸一日。敵の斥候(せっこう)が追いついていても、不思議ではない時期だ。ゆっくりと身を伏せ、判別しようとしたところで、その人影が不意にこちらを振り返る。


「ちっ、」

 なんと敏感な奴なのか。殺気など無に等しく抑えていたはず。なのに、その人物はじっとこちらを見据えている。

 砂の勾配を一気に下りながら、シャルベーシャは変化(へんげ)のために気を集めた。どこかに仲間を隠していることも考えられるが、現状は一対一。姿を変えてしまえば、勝ち目はこちらにある。


 そうして漸く目視できる距離まで近づいてから、毛の逆立ちに足を止める。

「王族? ……くそ、敵じゃねぇだろうが紛らわしい奴め」


 ザラナバル――それは白虎に変貌できる一族の総称だったが、太古には〝王を喰わせる〟目的で野に放たれた経歴がある。特殊な王の匂いに反応し、本能のままに喰い殺す。竜、白虎、海獣……数多(あまた)ある伝説の中で、たった一つ実在する化身。

 制御の効かぬ本能の衝動におそわれ、シャルベーシャは歯を食い縛った。

 牽制しあえる仲間が遠く離れている今、気を抜けば〝かれ〟を殺してしまう。息を吐き出し肺を空にして、自らの腕に牙をたてる。そうしてようやく、気の(たかぶ)りが収まり始める。


「……あらかた敵を撒いて来たとはいえ、いつ斥候が追いつくとも限らねえ」

 声の届くぎりぎりの場所で足を止めて、シャルベーシャは目前の人物に渋い目を向けた。

 声をかけずに立ち去るには、危険すぎるほど陣地から離れた場所。黒の外套を纏うその人物は、月に照らされた明るい砂漠の中で浮きたつように目立っている。


「何してんですかね、供も連れず」

 じっとこちらを伺っていた視線を外して、かれ(、、)――皇帝ディルージャ・アス・ルファイドゥル・バスクスは(わら)った。

「秘密だ。……というわけにもいかん顔だな、」

 そうして小さく息をつくと、ディアスは手に持つ羊皮の紙束を揺らして見せる。

「ざっくり言うなら恋文だ」


「はぁ?」

 〝冗談は通じない顔だ〟と言い切った直後に、それは冗談としか言えぬ台詞だった。苛立ちも隠すことなく声を上げたシャルベーシャに、ディアスは肩を竦めて見せる。

 砂紋の上に胡座を組んで、何かを羊皮紙に書きつけていたことだけは確か。その光景を黙って見つめ、シャルベーシャは首を捻る。


「冗談だ。集めた伽話を書き遺している」

 暗愚の仮面を脱いでから、ディアスは時おり笑うようになった。それはどうにも皮肉めいた顔で、場を和ませることはけっして無い。なのにその瞬間に浮かんだ彼の笑みは、終ぞ見たことのないほど柔らかなものだった。


「伽話……(ねや)で誰かに読み聞かせでも?」

「誰かに語り聴かせることは、もう無いだろう」

 数百とありそうな羊皮紙の束に、シャルベーシャは再び目を向ける。木材があまり手に入らないこの国で、羊皮紙はものを書き記すのに専ら使われる道具だ。羊の皮を(なめ)して作られるその品は、手間が多く価値も高い。

 誰かの為(、、、、)でなければ、説明のつかない量の束だった。


「そんなの、自己満足にしかならねぇだろ」

 誰の(、、)手に渡したいかなど、わかりきった話。

 あえてその名を口にしない男の横顔を見て、シャルベーシャは息をつく。恋文じゃねえか、という台詞を飲み込んでから、彼が最初に口にした言葉を思い出す。

「冗談にしておけよ。……新しいテナン公王と、メルトロー王国の末子の王女。(めあわ)せる日取りが進められてるって話だぜ」

 ほんの一瞬、書き続けるその手を止めて、ディアスは息だけで笑った。

「……ならば一層、私の名が分からんようにせねばならんな」


 手に渡り、読まれるだけでいい。

 集めた数百の伽話を、編者の名も記さず〝フェイリット〟の元に。その込められた想いを、のちに大衆(ひと)はなんと呼ぶのだろう。

 償い、恋情、後悔、思慕、……はたまた健気とさえ呼ぶ者もいるかもしれない。

 目前の男に最も似合わない言葉を連想してから、シャルベーシャは苦笑った。

 ――遠く儚い未来は、想うだけでも気が滅入る。


気障(キザ)ったらしいな、女狂いの皇帝サンがよ」

 ぎりぎりでハレムに残したジャーリヤたちは、彼自身が血盟関係を結ぶための(にえ)だ。その女たちを、しっかりとイリアス公国まで逃がしてやって。本人はといえば、戦場のただ中たった一人の女を気にかけている。女狂いが聞いて呆れる姿だ。


「私の代わりに渡してくれるか」

 装丁のための厚みのある布を被せて、空けていた穴に紐を結わえていく。その手際を眺めながら、シャルベーシャは首を横に振った。

「お前になら頼める」

「ハッ、名前も書いてねえモンを渡せねえよ」


 返した言葉は、断るための口実だった。

 シャルベーシャの返事に苦笑したまま、ディアスは装丁の一番上に何かを書き加える。見聞きしていた男の像とはかけ離れた、綺麗に整う字面が並び……、


我が最愛の娘へディファンエルギエータ?」


 書かれた字を声にして読んで、シャルベーシャは首を傾げた。

 単純に考えたなら〝親が子に読み聞かせるための伽話〟という意味の題名だろう。しかし〝ギエータ〟が持つ言葉の意図は、それだけではない。本来なら少女、若い女を広く指して言うのだ。

「名前の代わりだ」

 緑がかった薄い青の微妙な色合いの装丁。受け取る人物の瞳を思わせる厚布を、よくこの短期間で捜し出したものだ。感心さえ覚えてしまって、シャルベーシャはやれやれと息をついた。


「あんたが自分で持ってたほうがいいんじゃねえのか。俺だって渡せるかどうか分かんねえ。白虎(タァイン)に化けたら素っ裸で、身体にくくれる荷も限られる。失くしちまうかもしれねえんだぜ」

「失くしてしまったなら、それで構わん」

「それじゃあ、」

「……いい加減、手元から離すべきかと思ってな」

 彼が見上げたその先には、満ちた月が静かに浮かんでいた。


 寂しげな横顔を見てしまっては、もう断る言葉さえ出てこない。シャルベーシャは手の中の分厚い〝恋文〟を、苦い気持ちでじっと見つめた。







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