124 戦鬼が愛した砂海の至宝
「貴重なものを……」
跨る馬のたずなを引いて、コディ・タイハーン・ベシャハが呟く。
「……よくも使い切りましたな、この序盤で」
抗議の意味合いも兼ねたタイハーンの言葉。その苦い顔を横で眺めて、バスクス二世帝ディアスは肩を揺らした。
「これでいい」
イクパルが持つはずのない火砲。それはイリアスの海賊に南方諸国から入手させた、旧式の廃棄品だ。旧式とはいえ充分な火力もあり、的を撃つだけなら問題はない。
据え置きを想定された砲身は、持ち運ぶには重過ぎる。その点にさえ目を瞑ることができれば。
「しかし、二百発ですぞ」
納得のいかぬ様子のタイハーンが、なおも続けて言った。
城門から真東。入り組んだ街並みに遮られ、こちらの居場所は死角になっている。砲撃を命じた味方の騎兵がおよそ三百。小さな広場に肩を寄せ集まっていた。
その中心部に立ちながら、倒壊した玉座に居なかった皇帝は嗤う。
「そんなにあったか?」
冗談を言うように肩を竦めて、崩れた城に目をやる。倒壊した城の上空には、未だ赤砂の土けむりが濃く漂うのが見える。
砲弾は一斉に球状の屋根を貫いていった。執政区であり、玉座の間が位置する区画へと。
――あの玉座と死をともに。
牢獄から解放され、皇帝の称号を得た時の決意は変わらない。命を賭してでも、この国を生まれ変わらせる。長きに渡って停滞し、滅びゆくばかりのイクパルを立て直すために。
古きものを棄て、新しきもので国をつくる。そうして玉座で死を迎える筋書きが、なんと大きく捻じ曲げられたことか。
帝国復活の花として迎えるはずだったコンツ・エトワルトも、叛逆の首謀としてテナン王位に就いた。
「思い通りにはいかんものだな、」
小さな贖罪の念を吐き出すように、ディアスは息をつく。
「陛下?」
「タイハーン、あれを持ち歩くほど我々はのんびり構えて居られぬ。重過ぎるうえ、命中率もクソほどに悪い」
「……はあ、クソほどに悪いですな」
手に入れた砲弾を使い切った挙句、本体すら井戸に放りこませた。無謀としか言えぬこの指示を、納得できないのも正しい意見だ。温存すれば、使い道があったかもしれぬ貴重な火砲だけに。
「そうですか」
苦い顔を続ける隣人の顔を見やって、ディアスは笑った。
奴隷出身ながら、先帝から男爵の位まで賜った男。それがコディ・タイハーン・ベシャハだ。あの破天荒なシャルベーシャを拾い上げたとは思えぬ、慎重な思考を持つ。
「お気になさいますな。単に勿体無いと思ったまで。出自ゆえ、お許し願いたい」
「お前の出自も私の出自も大差なかろう。それでも、大盤振る舞いした甲斐はあったぞ」
あからさまな混乱の色が、敵の動きに見て取れる。土けむりの昇る方角を示してディアスは続けた。
「見てみろ」
城門を突破し、内部へと侵入を計った敵兵はおよそ六百。大半はすでに瓦礫の下だ。あれだけ豪快に崩してからでは、馬での離脱は不可能。運良く難を逃れはしても、足止めされた敵の多くが、馬を棄て瓦礫を除ける手間を避けることはできない。
確実に、敵の戦意は落ちる。
指揮官であるテナンの第一王子、デーテンを喪ったと知れれば尚のこと。
「あとは東の敵四千を蹴散らして離脱、ですな」
チャダ小国を乗り越え、侵攻してきた敵の総勢は約三万。街の四方を取り囲んで布陣している。
三門が連なる正面に一万、残る三方に四千ずつ。おそらくどこかに予備も隠しているだろう。玉座に皇帝が居ないことに気づけば、斥候にその八千が割かれる可能性も出てくる。
「我々も一万三千は隠している。大丈夫だ」
ディアスの乗る馬が一瞬身じろぎ、小さな嘶きをたてた。今にも走り出そうとするように、その蹄を幾度も踏みしだく。
「アルスヴィズ、……そろそろか」
月毛のたてがみを宥めるように軽く叩き、ディアスは低い声で言った。
「良い子だ、お前も察しがいい」
アルスヴィズの忠告通り、喧騒と怒号が近づいてくる。おそらく追っ手はすぐそこだろう。
玉座が空であることが敵に知られた。
月毛の馬の本来の持ち主――その敵方へ去っていった存在に想いを巡らせ、空を仰ぐ。
「……タイハーン、伝令だ」
仰いだ空のただ中、鷹が一羽だけ泳ぐようにして飛んでいた。そこへ向けて腕をかざし、ディアスは指笛を鳴らす。
「あちらも準備が整ったようですな」
不思議な形に旋回しながら、ゆったりと鷹が降りてくる。
差し出した腕に留まったその脚に、細い紐が巻かれているのを確かめ、ディアスは小さく頷いた。
「皇帝旗の用意を。全力で抜けるぞ」
「御意」
そうして、長い指笛を三度吹く。
再び放った鷹は、天空を滑るようにして消えていった。
* * *
鷲の頭に獅子の身体、そして漆黒の翼を広げる奇怪な生き物。
掲げられた葡萄色の旗に描かれる図案を見つけて、テナン・ドルキアの両軍勢は勝鬨を挙げた。
「バスクス二世だ! 逃すな!」
指揮官の声が太くこだまし、一層の速さで旗の上がる方角へ馬を駆る。
逃げ遅れたのであろう、皇帝を囲む一団は目視でおよそ三百ほど。数なら余裕で上回る。
皇帝は尻尾を巻いて逃げるはず。その背を片付けるだけでよい。後方の指揮官が大声で喚き立てて、兵士たちもまた呼応した。
しかし、安易に考えていたその構図は真っ向から崩される。
皇帝旗を高々と掲げて、三百の騎兵がこちらに突進してきたのだ。
雷鳴に似た耳を裂く金属音が、両軍勢がぶつかると同時に轟いた。
何かにぶつかり落馬した勢いで、一人の兵士が土の上に転がる。混戦の中、馬を逃しては終いだ。兵士は土壌に頰を擦りながら、やっとの思いで人垣が途切れた空間に這い出た。
「バスクス二世……?」
もみ合い圧し合いの最中に立ち回る人物を見つけて、呟きが口から洩れ出る。
月毛の馬に乗る鎧の男が、大きな湾刀を一太刀ふるった。その度に一人、時には二人と、相手を斬り伏せながら。
男の周りに出来た小さな空間は、他を凌ぐ速さによるものだろう。
たずなを握らずとも意のままに馬を動かし、空いた両手で自在に湾刀を操る。敵を処理する正確さと、速さに追いつけない後方の新手。
潜在的に感じる近づくことへの畏怖が、その空間の正体だ。
「くそ……」
お陰で命拾いした兵士は、泥だらけの顔で悪態をついた。
敵ながら惚れ惚れとする手際だが、あの男がバスクス二世のはずはない。伝え聞いていた人物像と、かけ離れすぎている。
いつの間にやら上空を舞っていたらしい鷹が、長い声でひとつ鳴いた。
まるでそれを合図とするように、左の方角から大量の軍勢が押し寄せてくる。横殴りに押しつけられる力に混乱を覚えながら、兵士はようやく人の乗らぬ馬にしがみ付くことができた。
「奴め、隠してやがった!」
慌てたように指揮官が怒鳴って初めて、皇帝を囲む一団はその背をこちらに向ける。
斬りつけるなら今しかない――!
衝動のままに飛び出した何人かの兵が、離脱を始めた背中を追いかける。
その動きに引きずられるように、半数程度が倣って馬を駆り立ててしまった。
「退け!」
後方の指揮官の指示がぎりぎりに届いた頃には、すでに遅かった。しんがりを追いかける二千ほどの兵たちの横目に、等しく白い影が映ったのだ。
それは恐怖だったのか、驚愕だったのか。
一様に悲鳴をあげた兵たちに、百にも迫る白虎の群れが襲いかかる。
化け物だ! と誰かが喚いた。
戦うことさえ放棄して、兵たちは散り散りに逃げ惑うことしかできなかった。
混乱に乗じて、皇帝を飲み込んだ大群は土煙を巻き上げて遠くなっていく。
策士ウズルダンが去ったと噂される皇帝陣営の中で……一体誰が指揮をとっているというのか。
まんまと逃げ果せた彼らの手際に、みな唖然とするより他なかった。