表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第三幕:王太子の褒美
119/174

118 おとぎの国の海の城

 「にしても、遅いな……」

 コンツェはどうしたものかと気を揉みながら、船室の窓から海を眺める。アシュケナシシムが様子見に出てから、すでに一刻は経とうとしていた。

 これまで表立って顔を合わせていない二人のこと。会話に花が咲いている、というのが単純な見解だ。しかし、次々に浮かぶ陰気な考えが、コンツェの思考を支配する。

「見に行ってみるか…?」

 ちらと窓越しに確認するだけ。それで二人が楽しそうに笑っていたなら、(きびす)を返して戻ってこよう。



 そうして立ったフェイリットの船室の前で、コンツェは戸惑っていた。

 窓から確かめたフェイリットは、どう見ても泣いている。寝台に突っ伏し、薄地の掛布を頭から被った悲壮な姿。

 掛布の隙間からのぞく彼女の華奢な背中が、時おり震えて揺れていた。

 訪問中であるはずのアシュケナシシムが、どこにも見当たらないことも気にかかる。


「フェイリット……」

 そんなにも深く、彼女を傷つけてしまったのだろうか。

 コンツェは窓枠に手をかけながら、小さく息を吐きだした。こんな風にしてしまうなら、いっそ何も言わず彼女の側に居続けるべきだったのだ。

 そっと窓を指で叩くと、フェイリットは僅かに身を寝台から離す。それでもこちらに目線は上がらない。

 コンツェは手に浮いた汗を握りしめて、窓越しの彼女に語りかけた。

「昨日はその……すまなかった。フェイリット、俺は……お前の気持ちが何より大切なんだ」


 こちらに向けられた彼女の背が、また小さく震えだす。

「怖がらせるつもりは無い。お前がいいと思うまで、俺はお前に近づかない。だから、」

 ふわりと彼女が起き上がる。掛布は頭から被ったまま、寝台から離れて扉に向かうのが見えた。

 そっと開かれる扉の向こうから、白い手がコンツェに伸ばされる。


 握手を求めるような手の形。それを握り返して、コンツェは驚きに目を開いた。

「うわっ、フェイリット?」

 想像していたより強い力で船室の中に引き込まれて、体勢が崩れるまま、彼女の上に倒れこむ。

「すまな、」

 体重の全てをかけてしまったことに気づいて、慌てて身体を起こして見やると、

「……おっ、おまえ、」


 にやにやと笑う空色(、、)の瞳が、掛布の隙間から現れた。

「やあ、引っかかったね」

「アシュ!」

 寝台の上、コンツェは組み敷く格好になったアシュケナシシムを睨みつける。

 泣いて震えた演技までして見せて、こうして揶揄(からか)って遊びたかっただけだなんて。怒ったらいいのか呆れたらいいのか…。

「あ、ちょっと待って。あと十秒離れないで」

 アシュケナシシムが、不意に真面目な顔になって言い放つ。その白い手が襟首を掴んで引き寄せてきて、コンツェは目を見開いた。


「な、に考えて……」

「何も。ほら一緒に数えてよ。五、四、三、二、」

 そうして悪態のひとつでも言ってやろうと口を開いた瞬間だった。

「来た」

 間の悪いことに、背後でかちりと扉が開く。

「ただい……」


 ―――次いで現れる〝本物〟のフェイリット。



「ま……」

 驚きも露わに動作を停止する彼女を眺めて、コンツェは顔を蒼白にするしかなかった。

「……わわわわ、やっぱり……失礼しましたっ!」

 慌てて再び閉められた扉に飛びついて、コンツェは勢いのままに開け放った。

「ごっ誤解だ!!」

 外に躍り出て、去り際の彼女の肩を握った。振り返るフェイリットの瞳が、真っ直ぐこちらに向けられる。

「コンツェ……」


 もう近づかない、そう宣言までしたのに。逃げられることを恐れていた彼女の瞳を、コンツェも真っ直ぐに見つめ返す。

「すまない、」

 驚いているような、笑いを噛みしめるような。複雑な表情を浮かべて、フェイリットは頷いた。

「あの、わたしも、」

「いや、お前は謝るな。いま謝られたら俺……」

 何に対して謝られても、今は振られた気持ちに拍車がかかるだけだ。「ご、」と言い始めた彼女の口に手で蓋をして、コンツェは渋い顔で続けた。


「それよりも〝やっぱり〟って何だ?」

「えっ、ほら、それはその……アシュがそろそろ楽しくなっちゃうと思ってたの」

 胸の辺りの衣服を(つま)みあげ、フェイリットが苦笑する。生成りの開襟の上衣から、彼女の白い素肌がちらりと見えた。

 コンツェははっとして目を反らしながら、彼女が容易に外出できた訳を納得する。成る程、二人で衣装を取り替えて、監視の目を誤魔化したのだ。

 女の衣装を着せられて、アシュケナシシムが面白がらないはずがなかった。


 ぶっと噴き出す音が船室の中から聞こえて、アシュケナシシムの大仰な笑い声が響き渡る。

「もう、馬鹿だねぇ。手間のかかるやつらだよ」

 揃って声の主を見やった後。コンツェもフェイリットも、息をもらすようにして笑いだす。

「お前もじゅうぶん馬鹿だろう」

 確かに彼は、大人しくしていなかった。けれどこの〝悪戯〟は、アシュケナシシム自身の為ではない。彼なりの最大限の気遣いに、コンツェは小さく苦笑する。


「腹回りも足回りも、風が入ってきて気持ち悪いよ。サディアナ、早くそっち返してくれない?」

 サテン地の寝間着のドレスをふわふわと(なび)かせて、アシュケナシシムはくるりと回った。

 言っていることと動作が真逆なのは、もう指摘しないでおこう。コンツェはアシュケナシシムが可憐に回るのを、悟りの眼差しでじっと見つめる。


「うん、アシュの衣装、着心地いいもんね。着いたらドレス生活かあ……」

 うんざり、という声色で欄干に身をもたげフェイリットが息を吐く。

 テナン公国で着用されているドレスは、メルトロー王国のように窮屈ではないだろう。コルセットは巻かないし、下着の数だって比べれば少ない。そうして脱がせる場面を目に浮かべてから、コンツェは慌てて首を振った。

「着心地で言ったら、イクパル本土とたいして変わらないんじゃないか?」

「そうなんだけど……」

 苦々しく言葉を濁すフェイリットを、隣のアシュケナシシムが笑う。

「姉さんは、お淑やかな宮廷の礼儀作法が苦手なのさ」


 同じ顔の、色合いだけが違う二人が、目を合わせてにっと笑う。微笑ましい光景を眺めながら、コンツェはこれで良かったんだ、と独りごちる。

 自分の〝選択〟をやっと認められる気がした。育ったイクパル帝国を捨て、生まれたテナン公国に戻る。この裏切りの選択を、目の前のささやかな幸せが浄化していく。


「じゃあ、僕の衣装そのまま着てるといいよ」

 再び悪戯を思いついたような顔で言って、アシュケナシシムはふと海の向こうに視線を伸ばした。

「あれ、もしかしてテナンじゃない?」

 彼の指が指し示す、遠くに浮かぶ島影。

 中央に白亜の美しい城がせり出して、瑠璃色の海にぽっかりと浮かんでいる。


「綺麗ね」

 ふと、フェイリットが何かを思い出した顔になる。きっと前にも、こんなやりとりをした記憶が呼び起こされたのだろう。

「そうだ、あれがテナン城。俺が生まれた場所だ」

 フェイリットの隣に並び立ち、いくつも塔の並び立つ、美しい城を眺め見た。


「案内するよ、二人とも」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。


ブックマークや評価、ご感想など戴けますと
続けていく勇気になります^^

web拍手へのお返事はこちら
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ