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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第三幕:王太子の褒美
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117 制海の王子

 飴色に磨かれた(かじ)を握り、鼻歌もまじえてその人は海を見ていた。


 操舵のための部屋は通常、艦の先端に潜り込むよう備えられる。それは四方を壁に囲まれ、進行方向と左右にいくつも物見窓が付いた部屋だ。嵐が来ても風が吹いても、敵が迫っても舵が取れる閉ざされた空間。

 しかしフェイリットが目にした操舵席は、少し高い壇上に、車輪型の舵が剥き出しに誂えられた簡素なものだった。


「よう、船酔いはもうおさまったのか?」

 鼻歌をふとやめて、その人は舵から片手を離す。こちらを振り向くのだとわかって、フェイリットは少しだけ身構えた。

 メルトロー王国第二王子、ギルウォール。

 初めて〝兄〟という存在を目の当たりにして、緊張感に負けそうになる。王位の継承権も考えたなら、本来は口を利くことも稀な間柄だ。


「どうした、」

 日に焼けた赤ら顔に並ぶ、薄い灰色の瞳。ゆっくりと細められるその眼差しを受けて、フェイリットは慌てる。

「あっ、はじ! はじめまして!」

 開襟の生成りの上衣に上着を重ね、太腿に沿う下衣は焦茶色。長いブーツに至っても、アシュケナシシムの衣装は合わせたようにぴったりだった。

 弟から強引に〝借りた〟衣装を(まと)って、兄に向けて礼をする。もちろん、胸に手を当て片足を曲げる、メルトローの男性の挨拶で。

 

「…ま、はじめましてじゃねえがな。小ちゃいお前を抱っこした」

 歯を見せて笑いながら、ギルウォールは間の抜けたような声で言った。

 この不可解な格好を見ても、なにも言わない。大らかなのか、単に注視していないだけなのか。

 兄の人柄を図りかねて、フェイリットは首を傾げる。


「まあ、今でも小ちゃいか? うちの家系は女もでっかいの揃いだからなぁ。そのうち寝ても覚めても、身体が痛ぁい時期が来るぜぇ」

 (おど)すように眉根を寄せて、しかし(ほが)らかな声でギルウォールは笑った。

 その手のひらが頭の上に置かれるのを、フェイリットは黙って見つめる。込めていたはずの力が、ふわりと自然に抜けていった。


「でも、ちょっとだけ伸びたんですよ最近」

「おお。それは良かったじゃねえか」

 ついさっきまで畏縮していたはずなのに。いつの間にか彼の横に立ち、海が泡立つのを眺めている。

 ゆったり流れる潮風が頰をさらって、ここの空気は心地よい。雨が降ろうが嵐になろうが、吹き(さら)しのこの場所に居る意味。なんとなく理解できた気にさえなってくる。


「いい風だろ。悩みも吹っ飛ぶくらいにな」

 すぐ隣から、朗々と笑い声が鳴りひびく。瞼を閉じると、どことなくサミュンの笑い声にも似て聞こえた。声が似たり、眼差しが同じだったり……血縁とは不思議なものだ。


「あの……兄上」

 彼の〝悩みも吹っ飛ぶ〟という言葉に、ここに来た理由をふと思い出す。

「誰にも見つからなかったのか?」

 軟禁されているはずの〝妹〟が目の前に現れた。気がつかないように振る舞っていながら、彼も疑問を感じてはいたのだ。


「……はい、」

 いくら衣装を取り替えても、見る者が見たならすぐに分かる。アシュケナシシムと自分とは、髪の長さや色合いにおいて判別は容易だ。

「得意なので」

 気配を消して、監視の隙をついて抜け出すようなことが。あまり褒められることではない特技をさらして、フェイリットはそっと嗤う。


「メルトローに向かっているのですよね」

 操舵の手を見つめ、静かな声で問う。

 ギルウォールはこちらを向いていた顔を海に戻して、首を横に振った。

「いや、テナン公国だ」

「テナン……」

 思っていたのと同じ答えに、フェイリットは息をつく。

 コンツェがメルトロー側の人間たちと一緒に居る。そのことが、ずっと思考の隅に引っかかっていた。

 何かしらの企ての香りを嗅ぎとって、フェイリットは眉をひそめる。


「テナン公国は独立する。メルトロー王国(われわれ)は、それに(くみ)するつもりだ」

「独立、というと……イクパル帝国の支配から抜けて〝自立する〟という意味ですよね?」

 イクパル帝国の支配から抜けたと思ったら、新たな飼い主がメルトロー王国に代わっただけだった。そんな結末を見つけて、フェイリットはさらに暗い声を出す。

「そういう風に聞こえるなら、幸せなことだがね」

 ギルウォールは軽い口調で言いながら、淡黄色の短い髪を乱雑に掻きやった。

「けど、わざわざ確認するってことは、わかってんだろ?」


 フェイリットは兄の横顔を見つめながら、そっと奥歯を噛み締める。

 独立だけでは決して終わらない。テナン公国とイクパル帝国を戦わせ、疲弊したところをメルトロー王国が掠め取る。それほど簡単で手間のかからない侵略は他に無いのだから。

 フェイリットの顔色をまじまじと見つめて、ギルウォールは小さく笑った。

「あのサミュエル・ハンスに育てられたんだもんな」

「……ギルウォール兄上」

 冗談じゃない。そう声を荒げようとしたところで、ギルウォールは両手を胸の前に挙げる。


「待った待った。サディアナ? さてここで、俺は提案しようと思う」

 舵から両手を離した兄を、フェイリットは目を剥いて見つめた。どう見てもふざけているようにしか見えない顔で、ギルウォールは首を傾げている。

「……なんでしょうか」

 小さな吐息まじりの言葉を返し、暗い顔で兄を見つめる。

 メルトロー王国の中枢は、フェイリットが〝覇王を選ぶ竜〟だと熟知している。そんな前提の上で持ち出される提案や取引に、嫌気を示さずにはいられなかった。


 ギルウォールはしばらく考えるように腕を組んで沈黙して、



「―――〝にいに〟って呼んでくれねえか」



 言いながら、邪気のこもらぬ笑顔を見せる。

「……えっ?!」

 想像をはるか斜めに越えてきた〝提案〟。思わず身を仰け反らせて、フェイリットは自らの耳を疑う。

 俺と契約しろとか、寿命を延ばしてくれとか、もっと……。

「いや、すまん。無理だったら〝おにい〟でもいい。〝おにいたま〟でも〝おにーちゃま〟でも」

 どうだ? と顔を近づけられて、フェイリットは開いた口がそのままだったことに気づく。


 提示される呼称が、挙げるにつれて恥ずかしくなっている。それでもそこは抗議する点でないような気がして、フェイリットは首を振った。

 真面目な取り引きかと一瞬でも考えた、自分の思考が馬鹿らしい。

「…ギルウォール兄上(、、)。お伺いも立てずお顔を拝してしまい、失礼いたしました」

 フェイリットはため息ながら、兄王子へ向けて礼をする。

 メルトロー王国が、ついに侵略へ動いた。その企みが知れただけで、良しとすべきか。


 それに、監視の目を誤魔化すには潮時でもある。アシュケナシシムの気質を考えれば、そろそろ楽しくなって(、、、、、、)くる頃。

 自室に戻って、彼が大人しくしているか確認しなくては。


「まっ、待て待て!」

 退去の礼に移るフェイリットを見やって、ギルウォールは真面目な声を出した。

「兄貴はたくさんいるんだぜ? 俺は特別感(、、、)が欲しいんだ。そう、俺だけ呼ばれたいんだ! にいにって……」

 言い終わる前に、ギルウォールは口元に手を充てる。

「え? 兄上、大丈夫で……」

 どんどん蒼白になってゆく兄の顔を見上げながら、フェイリットは慌てた。

「…………うっ、」


 ギルウォールは弾かれたように欄干まで走っていって、



「おゔえぇぇぇええ!」



 大仰に、海へと向かって吐き散らかした。


「……くっそ、おさまったと思ったらこれだぜ…」

 蒼白な顔のギルウォールの背についてさすりながら、フェイリットは首を傾げる。

 起こりすぎた出来事が、理解の範疇(はんちゅう)を超えていた。

「ああ、言ってなかったか? 俺は波に弱いんだ」

 お揃いだな。出航して四日目、〝海軍艦隊総司令〟の男は、こともなげに言いやる。


「…もし呼んでくれたなら、〝一個だけ〟可愛い妹の〝お願いごと〟を聞いてやってもいいんだがなぁ……」



 欄干(らんかん)から身を起こしたギルウォールは、フェイリットの頭をぽんと撫で、その頰に笑窪をのせた。

船酔い仲間(、、、、、)だろ?」




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