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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第三幕:王太子の褒美
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116 覇気のにおい

 サディアナの部屋の前には、常に兵士が一人立つ。〝万が一〟の対処も兼ねて、簡易の鎧と帯剣も許されているごてごての奴だ。


「ばかだなぁ」

 潮風に攫われるひと房の髪を耳にかけやり、アシュケナシシムは囁く。

 万が一にもサディアナが、竜に変わって逃げようものなら。ここに居る誰も彼女を止めることなんてできない。

 その点だけなら、第一王子ディフアストンが言い放つであろう〝監禁と拘束〟の命令は正しかった。

 エトワルトはサディアナを、ただのか弱い少女と思い込みすぎている。


「やあ、おはよう」

 アシュケナシシムは黒錆(くろさび)色の鉄で覆われた扉の前に行き着いて、兵士の顔をまじまじと見やった。

「お前に監視の命令をしてるのは誰?」

 質問に、男が(わず)かにたじろぐ。この反応なら十中八九、彼を支配しているのはギルウォールではないだろう 。

 艦上でギルウォールの次に位の高いアシュケナシシムは、柔和に微笑んで兵士の肩に手を置く。


「じゃあ、僕の命令を聞けるね? サディアナと話がしたいんだ。そこを退()いて、しばらく散歩してきてくれないかな」

 兵士の分際では、王族に話しかけることは許されていない。目の前の男は小さく同意に頷いて、敬礼ののちに去って行った。


「……聞いてるよね? 入るよ、姉さん(、、、)

 扉を叩くのも億劫(おっくう)で、今のやり取りを聞いていただろう中の人に向けて声をかける。程なくして扉は内側から開かれ、サディアナの透明な水色の瞳が同じ目線に現れた。

「来るような気がしてた」

 はにかんで、サディアナは笑った。

 わざわざ様子を見に来たのに、さして変わった風はない。けろりと言う姉に拍子抜けして、アシュケナシシムは声を渋らせる。

「……大丈夫なの?」

 とりあえずかけてみる心配の言葉。サディアナは首を傾げて曖昧に頷く。


「エトワルトが、君を見て来いってさ」

 部屋の中に入っていって、アシュケナシシムは遠慮もなく寝台の上に腰を下ろした。その動作にふわりと漂った優しい香りが、どこかで嗅いだ気がしてならない。

 どこだったかな。記憶の隅を探っていると、サディアナは戸惑うように眉を寄せた。

「…コンツェ、何か言ってた?」

 ほら、やっぱりなにかあったんじゃないか。ため息のままに首を横に振り、アシュケナシシムは自らの横の寝台を叩く。


「何も言ってない。手篭めにしたんだろって言ったら、そう見えるかって返されたよ。されたの?」

 叩いた寝台のあたりに腰を下ろして、サディアナは小さな息を吐いた。

「……されてない。何もできなくて」

「何も?」

 何もしていないのに、よくもまあ、あのひどい顔ができるものだ。アシュケナシシムは呆れるままに、身体の力が抜けていくのを感じる。


「いや、何もというか…キ…スは」

 恥ずかしそうにわたわたと手を顔の前に上げて、サディアナは小さく(うめ)く。

 ようやく見えてきた事の経緯(いきさつ)。アシュケナシシムは苦虫を噛み潰したような気分になって、やれやれと息を吐きだした。

「傷つけたくないから抱かれるような尻軽なわけ」

 エトワルトを傷つけたくないその気持ちは、よくわかる。あの純粋な心根を手折ったなら、襲い来る罪悪感に押し潰されてしまうだろう。

 すでに手折り続けている現状で、自分はこんなにも苛まれているのだから。


「あいつは大丈夫だよ。僕に姉さんを見に来させるくらいの余裕は残ってる」

 サディアナは頰を赤らめたまま、足元をじっと見つめていた。

 さしたる再会の挨拶も感慨の言葉も、自分たちは交わしていない。けれど十六年間生き別れて過ごした弟と、こんな話は恥ずかしくて堪らないだろう。

 まったく何を考えているのやら。深刻な顔で足元を見続ける姉を横に眺めて、アシュケナシシムは思わず噴き出す。

「……それとも、やっときゃよかったとか考えてる?」

「えっ? なっ、え?!」

 顔だけで火柱が上がりそうなサディアナの反応は、ちょっとだけ癖になりそうだ。アシュケナシシムは意地悪く笑いながら「あいつ、多分上手いよ」と続ける。


「少なくとも右も左もわからない奴じゃないし、気質は優しい。つまり相手に合わせて色々と丁寧で……」

「そっ、そそそ、そんなことより!!!」

 慌てたように立ち上がって、サディアナは衣装箱を開けた。いくら動転していても、気を逸らすのが下手すぎる。

 アシュケナシシムは更にからかいの言葉を繋ごうと口を開けて、

「あれ、その匂い……」

 ふたたび漂う香りに気づく。

「―――なるほど」

 まるでずっと前から寄り添っていたような、不思議な感覚。彼女の匂いを嗅ぎ、その瞳を見つめて……〝竜を追う者(アロヴァイネン)〟の真髄がふとよぎる。

 カランヌが追っていたサディアナの匂い。覇気にも近いと言われるそれは、確かに存在したのだった。


「ね、アシュ」

 衣装箱から振り返るサディアナの顔は、もう平常を取り戻していた。

「…ちょっとだけわたしのお願いも、聞いてくれない?」 

 その手に広げられた真っ白なサテン地のドレス。

「え?」

 彼女が身に纏うものと全く同じそれを見つめて、アシュケナシシムはたちまち顔を歪めた。

 ……意地悪く笑う姉を、今度は自分が怖れる番だった。

「し、信じられない……まさかそれ」 

「ちょっとだけ、ね? あとこれも貸してね」

 楽しそうにアシュケナシシムの衣装を掴んで、サディアナは微笑んだ。


「よし、着るもの交換しよう」

「……君たち(、、、)は遠慮ってものがないわけ?」

 さっさと手際よく脱がされて、頭の上から肌触りのよい布が被せられる。ドレスといっても寝間着だから、コルセットは無いし華美な装飾もないけれど。

 鏡に映ったあまりの格好に、アシュケナシシムは寝台に身を倒した。

「勘弁してよ。これじゃ外に出られない」

「ごめんね、ありがと。しばらく具合悪そうに寝ててくれたらいいから」

 屈託のない笑顔を残して、サディアナは堂々と外に出て行った。


 ドレスよりも余程しっくり似合う〝王子の姿〟。船室の硝子窓(ガラスまど)に映ったサディアナは、足取りも軽やかに颯爽と通り過ぎていく。





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