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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第三幕:王太子の褒美
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114 君の抱く水月

 美しい月が浮かんでいた。

 海のただ中を進んでいても、波の泡だつ快い音は鳴りやむことがない。海岸へと打ち寄せる音に似た一定の調べは、長く聴けば子守唄のようにさえ思えてくる。


 濃い潮に満たされた空気を浴びながら、コンツェはひたすらに水面(みなも)にたゆたう月の影を眺めていた。

 甲板には時おり見張りの兵が巡回に来る以外、人の気配はまったくない。おそらく時間も深夜に巡り、皆が寝床についた頃合いなのだろう。

「……嫌になる」

 そう、自分が。

 感情のままカランヌに掴みかかって以来、どうにも自分は〝腫れ物〟になってしまったらしい。あのアシュケナシシムでさえ、必要な時以外に姿を見せることがなくなった。そっとしていてくれるのだと肯定的に捉えようにも、心が荒みすぎている。


「…くそ」

 欄干に凭れるように身を乗り出して、コンツェは苛立ちのまま頭を描きやる。

 持て余した感情のぶつけ先を、胸に抱いたまま眠ることができなかった。海のさざめく優しい囁きを聴きながら、いつの間にか外へ飛び出ていたのだ。欄干に身体を預けてしまって、コンツェは何度目か分からぬほど息を吐き出した。

 そうしてふと背中の着衣が引かれるような感覚を覚えて、


「っ?!」

 振り返りざまに仰け反る。継いでがっちりと両腕を掴まれて、コンツェは目の前の人物を驚きのまま見やった。

「フェイリット…」

 顰めていた短めの眉をふと弛めて、彼女はほっと息をついた。

「びっくりした、飛び込むのかと」


 自らの腕を掴む白く華奢な手を見下ろして、コンツェは「ああ」と納得する。

「飛び込む? まさか」

 ようやく笑いがこみ上げてくる。フェイリットはおそらく、飛び込もうとした自分を止めようと、慌ててどこからか飛んで来たのだろう。

 彼女もつられるように笑い出し、二人で甲板にしゃがみ込む。

「……お互い、実家(、、)が大変だね」

 フェイリットは、どうしてここに居るのか、という質問をしてはくれなかった。けれど用意していた沢山の言い訳を、言わずに済むことに少なからず安堵を覚える。


「そうだな、」

 観念したように微笑んで、コンツェはフェイリットを見つめた。

 会わないように避けていたのは、自分も同じだ。一番の〝腫れ物〟として扱われていたのは、間違いなく彼女だろうに。真っ先に駆けつけてやらなかったことが、今さらながら悔まれる。

「すまない、フェイリット」

 口から飛び出した謝罪の言葉。彼女は小さく首を横に振って、なんでもないことのように笑った。


「コンツェが落ちちゃってたら、わたし、泳いで助ける自信なかった」

 寝間着であろう、白くゆったりした足首までの彼女のドレスが、潮風に弄ばれて時おりひらめく。イクパルの衣装を脱いだフェイリットは、もうどこから見てもメルトロー人だ。

「綺麗だな」

 月を落としこむ透明な水面(みなも)を彼女の瞳にも見つけて、コンツェは思わず呟いていた。

「え?」

 驚いたように目を開くフェイリットを引き寄せて、華奢な身体を抱き込める。

「逢いたかった」


 彼女のやわらかな髪が頰をくすぐり、コンツェは自らの手でそれを梳きやる。雛の羽毛に似た触り心地は、一度梳いたら忘れられるものではない。再び手の中にあるこの感触が、彼女の存在がたまらなく愛おしい。


「……コンツェ、わたし」

 撫でられるままにそっと身を離して、フェイリットは声を震わせた。立ち上がろうとするその手を掴み、透明な瞳をじっと見上げる。

「好きだ」


 地に膝をつく自分と、立ち上がろうするフェイリット。きっと遠くから見たならば、跪いて求愛する騎士のように思えただろう。そんなことを考えながらも、コンツェは眼差しを真摯に細める。

「好きだ、フェイリット」

「わたしは、」

 コンツェは、自らの唇で再び引き寄せた彼女の言葉を封じた。もう逃げないし、もう遠慮はしない。



 おまえが誰を好きであろうと、必ず振り向かせてみせる。



「…ずっと好きだ。お前をアルマ山で拾った時から、ずっと」

 両の手で挟んだ小さな頰は、絹を触るようになめらかだ。


 ゆっくりと瞳を揺らして、彼女は涙をひとつ流した。





 髪を梳きやる優しい彼の手は、叫び出してしまいそうなほど、逢いたい人によく似ていた。唇に指をそわせ頰を撫でる仕草も、そっと引き寄せて抱きしめるその腕の力さえ。


 どうしてそんなに、同じ触れ方をするのか。

 なぜ簡単にも、好きだと言ってくれるのか。


 言葉を返すこともろくにできぬまま、フェイリットは逃げだした。

 腕を掴むその人の、傷つく顔を見ていられなくて。

 






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