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千年の竜血の契りを、あなたに捧げます  作者: 凛子
第一幕:宰相の小姓
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010 追う者たち





 雪に湿った土を踏みしめて、はて自分はいったいどれだけ歩いたことかと、カランヌは息を吐く。

 しんしんと寒さの凍るアルマ山を、少し軽視していたかもしれない。時はまだ十月、いくら標高高い山とはいえ冬の訪れはもう少し先であろう。そんな考えからろくな服装を整えてこなかった。


 手は感覚がおぼつかないほど冷えきり、足は濡れ雪を吸った革靴に、じわじわと体温を奪われていく。

 だから延々と続くかと思われた木々の群れがふと拓け、美しく補整された石畳が眼下に広がったとき、彼はさすがに安堵の息を漏らさずにいられなかった。


 補整された道はすなわちメルトロー王国。道幅は狭いが、小さな馬車なら余裕で走らせることすらできる。彼はちらと目線を動かし、小柄な馬車が道脇に停められているのを確認する。やはり、来ていたか。うんざりとした面持ちで、その馬車の戸が音を立てて開けられるのを見つめた。

 そこから一人の女が地面に降りて、険しい顔がさらに濃くなる。


「最悪でございますね」

 開口一番、女は憮然と言い放った。最早五十へと足をかけたであろう、皺の寄った能面のような顔が、しっかりとこちらを見定める。歳を重ねた身であるはずが、その空気は安寧というよりどこか無骨だ。南方特有の蜂蜜色の肌、頭上に束ねられた黒色の頭髪。彼女が生粋のメルトロー人ではないことは、一目でわかる。迎えが来ると聞いていたが、この女が来るだろうとは思いもよらなかった。


 スリサファン、と女の名を小さく呼んでから、カランヌはその顔に渋面をつくる。

「スリサと呼ぶようにと、前にもご忠告したことはございませんでしたか」

「侍女頭がお出ましとは思わなかったのですよ。いや、お乳母と言ったほうが宜しいでしょうかね」


 小さな息を吐いて、答える。国王も、うがった人選をしてきたものだ。あの王女が〝普通〟でさえあったなら、今ごろは王宮でぬくぬくと育ち、この女を〝乳母上(ははうえ)〟とでも呼んでいたのだろう。


「……サディアナ王女は、どちらへいらっしゃったのですか」

 しかしまるで抑揚のない声が、そんな感慨すら責めたてるように続けられた。

 怒りを眉根にかき集める彼女の顔をうんざりと見つめて、カランヌは首を横に振る。


 閉ざされた山で育ち十六年。さぞかし従順で大人しい少女に育っているだろうとは、浅はかな幻想だった。育て親の死に激昂、力を解放し、あげく変化して飛びたってしまうなど……なんと未熟なことか。


「呆れたこと……。やはり失敗なされたのですか。山上から竜が飛び去るのをこの目でしかと見ましたよ」

「…ええ、しかも困ったことに三日も捜し歩いて見つけた王女を、イクパル兵に横取りされてしまいましてね」

 こんなに眠らなかったことはない。そう皮肉って、鼻で笑ったカランヌの頬に、熱い平手が飛んでくる。


「なんたることです!!」

「お怒りもごもっとも」

 竜へと変わったサディアナが、しかしそう遠くまで飛べるはずがないことはわかっていた。きっとあれが初めての変化。人間に育てられた竜が、自在にその力を操れるはずはない。そう思いながらも着地を待っていたというのに、まさか着地どころか落下してくるとは。


 王女が落ちた地点は、ここから遥か東のイクパル寄りだった。そこまで到達するのでも二日はかかったというのに、その苦労も呆気なく当のイクパル人に踏みにじられてしまったのだ。


「あの寒さで、生きていたことすら奇跡ですよ。見つけたときには、もの凄いお怪我をなさっていましたから」

 びりびりと痺れる頬の痛みを左手で抑えつつ、カランヌは肩で息をつく。

「そんな王女を、二日も野ざらしになさったと?」


 声を荒げるスリサファンを忌々しげに見やって、カランヌは「ですが、」と穏やかに言った。

「二日も野ざらしになり、しかも今にも死ぬかというサディアナ様をここに連れ帰ったとしても、私には救える自信はありませんね。向こうには軍医がいる―――。スリサ、貴女が私の立場にあったなら貴女もまた同じ事をしたはずでは?」

 スリサファンは鼻で笑って、ただその口元を歪めた。


「予定がだいぶ狂ってしまいましたが、王女を連れ戻しにもう一度イクパルへ入ろうと思います」

「お居場所は、おわかりになっているのですか」

 その質問に、カランヌはやや間を置いて微笑む。

「しっかりと」


 なぜここで笑うのだ、とでも言いたげに、彼女はため息をついた。

「ご助力は致しませんよ。イクパルは嫌いですからね」

「わかっていますよ」

 その顔でよく言うものだ。カランヌは心中で毒づきながらも、やれやれと馬車に乗り込んだ。

「なんです、引き返すのでは?」


 また山に戻るとでも思っていたのだろう、馬車に体を移したカランヌを見やってスリサファンが疑問を示す。

「海路を使いますよ。もうこの山は懲り懲りです」

 鎖国をしているイクパルとは、公式な貿易の海路が開かれているわけではない。だがそのあたりはどうとでもなる。密売船にでも金をはたいて乗り込めばいいのだ。そのためにはイクパルに一番近い沿岸まで、かなりの陸路を行かねばならなかったが、あの凍った山脈よりかはまだましだ。何より陸路には宿屋も食事所もある。


「一度どこかで休ませてください。このままではこっちが死にそうですからね」

 山を降りて一気に上がった周囲の気温が、カランヌの雪のついた衣服を一層湿らせていた。体は温まったが風邪を引いてしまいそうだ。


「本当に、呆れたこと」

 ここ一番長いため息を捻り出して、スリサファンは御者台へと上っていった。




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