第98話 戦場の絆
――遊ばれてる!
クリシュナが操るゴーレムは、図体の割には動きが早く、どれだけ土地勘に頼って逃げ回り、建物の影に入り、息を潜めようとも、しつこく付き纏い、発見される。逃げ切れない。
巨大な戦斧は受け止められるわけもなく、振われたが最後、人の身体なんか簡単に拉げ潰れてしまう。だと言うのに、それらは全て民家や大地を掠め取るばかりだった。
正確性に欠けているからなんて甘い考えには至らない。無茶苦茶に振り回せばそれだけで辺りは竜巻が通過した後のようになるのに、間一髪のところで躱し続けられているのは、そうなるように手心を加えられているということだ。
猫に追い立てられるネズミのようだ。
悔しさにカルナは奥歯を噛む。
いつでも簡単に殺せると舐められているのがわかるが、それは事実でしかない。まだ自分が生きているのに、単に相手の気まぐれによるものだ。
対抗する手段がない。逃げなければ死しかないが、全く逃げ切れそうになかった。
すでに息は絶え絶えで、先ほどまで必死に「降りてこい」と呼び掛けていたが、今ではそんな声を張り上げる余力さえない。
隠れては息を整えるため、あえぐように呼吸しながら、少しでも見つからないことを祈るばかりだ。
投降すべきだと心の声が叫んでいる。
しかしクリシュナは諦めを見せたが最後、恐らく満足する。満足して、そのときにこそ殺しにかかる。
そう感じられるからこそ、カルナは必死に逃げ回っている。アルシュナの死を満足そうに語ったクリシュナに、またしても人の死で満足感を与えるなんてのは、それだけは死んでも御免だった。しかし――
「はい、みーつーけーたーっす!」
「――っ!」
身を秘めていた家屋がまたしても粉砕。
瓦礫の奥からは絶対的な質量が顔を覗かせた。
再び身を隠せるとこへ急げとばかりに足を動かす。
「――っ!?」
しかし思ったように動かない。石礫となって襲い掛かってきていた瓦礫は着実にカルナの損傷となっていた。ここまでの疲労も相当なものだ。ついにその場で盛大に転んでしまう。
「――ふふ」
カルナは「しまった」と思った。転んだことがではない、一瞬でもそのことに対して絶望した表情を見せてしまったことに対してだ。
「ふふふ。ふふふふふっ。
あははははははははははははははははははははははは」
拡張された声が町中に響く。
本当に絶望的な状況の中で、嘲笑われると、ますます絶望感が増していく。
苛立ちさえ感じない。
圧倒的な敗北感だった。
泣いては駄目だとわかっている。
それでも悔しさに涙が浮かぶ。
「あーあ。
ほんっっっとに、人間ってのは弱っちいっすね。
だからこそ、長いものには巻かれたほうがいいっす」
「――っ!
あんたは!! あんたはそれでいいの!?」
「あーん?」
これはせめてもの抵抗だった。
どんなに抗ったところで、カルナの命はあと戦斧を振り上げ、振り下ろされる、その二呼吸の内に潰える。
涙は止められないけれども、だからこそ抵抗することも止めない。
これだけは伝えなきゃならない。
「アルシュナは! あんたを助けようとしたから、魔王に立ち向かったのよ!」
「―――――」
「なのにあんたは、そんなアルシュナを笑うって言うの!?
あんたを助けようとしたアルシュナを弱かったって笑うって言うの!?」
それはカルナがもらった大切な言葉だ。
絶望の中、奮い立たせてくれた言葉だ。
自分の生き方を肯定してくれた言葉だ。
「弱いやつが弱いわけじゃないわ!! あんたを助けようとしたアルシュナは、最高にカッコよかったんだから!!」
助けられなかったのかもしれない。
命を落としてしまったのかもしれない。
だけど、それを弱いと笑うことだけは許せなかった。
「―ーウチを助けようとした?」
本当は息も絶え絶えで、しゃべることも大変だったけれども、それでも全力で叫んだ言葉は、
「そうよ、だから――」
「――そんな無駄なことするから、姉ちゃんは死んだっすよ」
「――はっ?」
届かなかった。
――いや、そうじゃない。
「姉ちゃんは……姉ちゃんは、ウチなんかほっとけばよかったんすよ」
「……クリシュナ?」
「ウチなんか庇うから、一緒に家を追い出されて!
ウチなんかに気を取られてるから、死んじゃって!
あんな姉ちゃんなんか……あんな姉ちゃんなんか……死んで当然っす!!」
「―――――」
その言葉で気付いてしまった。
思い返せば、アルシュナも天邪鬼なところはあった。
本当は逃げ出したくて仕方なかったくせに、あの人間牧場から逃げようと言ったカルナを茶化してみせた。
本当は妹に会いに行きたいくせに、遠くから眺めるだけで逃げてしまった。
『姉ちゃんに殺される前に、姉ちゃんが先に死んでくれた!
弱い癖して、逃げられるなんて勘違いして、先に死んでくれた!! 生き残ったのはウチ!!』
「ああ……もう……そう……」
どうしようもなく似たもの姉妹だ。
「……あんた、アルシュナのこと、好きだったのね」
「――っ!!」
それは雄叫びか、それとも慟哭か。
クリシュナの操るゴーレムは、叫び声を上げながら、戦斧を振り上げた。
余計なことを言ってしまったのかもしれないと、カルナは思う。
だけどそれは確認できてよかったと、カルナは思った。
空気を吹き飛ばすような斬撃が迫る。
死ぬのは泣くほど怖い。
だけど、それでもきっとクリシュナが悔しがるほどに、きっと今は清々しい顔をしている自信はあった。
どれだけ絶望的な状況だったとしても、それでも前を向いて抗ってみせた。
――だから期待してなかったと言えば、嘘になる。
こんな絶望的な状況で、
涙が溢れるほど悔しくても、
それでも前を向いて抗っていれば、
――あの時のように、助けに来てくれるんじゃないかって思っていた。
目の前で空気の爆発が起きた。
振われた戦斧はその風圧で辺りに風を起こし、地面を穿った。
しかしカルナには当たらなかった。
その絶対的な質量を人間が受け止められるわけがない。
「よく耐えた! あとは任せろ!」
しかし、その少年は刀でそれをいなしてみせたのだ。
細い刀身はさすがの衝撃に耐えられず折れてしまったが、それでも僅かばかりにカルナと少年を捉えた軌跡をずらしたのだ。
――ああ、ほんと、どうして、いつもいつも……。
ムサシはいつもいつも狙い澄ましたようにやってくる。
それは絵本で見る白馬の王子様のように、完璧すぎて、
――惚れないわけないじゃない!
決してこの想いは届かないだろう。
勝ち目がないと自覚していたし、そんな風に見られていないこともわかっている。
それでも想わずにはいられなかった。
身体を熱を奪う爆風が納まりつつある。
それに伴いカルナは自分が高揚していくのを感じる。
これだけ圧倒的な戦力差を見せつけられながら、武蔵が来てくれたということだけで、カルナは恐怖も不安も掻き消えていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
一方、武蔵はかつてない戦慄に打ち震えていた。
カルナに巨大な斧が振り下ろされようとしているのを見て、何も考えずに無我夢中で飛び出していた。
はっきり言う。車でも振り回しているんじゃないかってくらいの巨大質量を、刀一本で受け止められるわけがない。辛うじて斬撃を逸らすことはできたが、ほとんど奇跡に近い。当然のように刀は折れてしまった。
あまつさえカルナに向かって「あとは任せろ!」なんて口走ってしまった。何を任せろなのか、一瞬前の自分自身に聞いてみたいくらいだった。
冷静になり、改めて対峙しているものを見上げる。遠目にはずっと見えていたが、近くで見ればその異常性はより際立っていた。
倉知が実現性と効率性を訴えた非現実がそこにはあった。遥人に「お前が乗りたがってた巨大ロボットはここにあるぞ」と伝えたら喜ぶだろうかと、少しばかり現実逃避に走る。
ちょっとしたビルぐらいはありそうな巨体が動いている。日本にいるときでもそれほど巨大なものが動いているところなんて見たことがなかった。せいぜい動物園の像くらいが武蔵のなかの巨大の範囲内だ。その動物園の像でさえも檻を隔ててである。如何に自分が危険な状況なのか、それだけで伺い知れた。
無骨なメタリックのボディは、またその圧倒的な質量感を上乗せしていた。ダンプカーでさえ突っ込まれたら簡単に死ぬのだ、突撃されればそれだけで人間の矮小な身体は見るも無残な姿となるだろう。外見は人間そのものであるアンドロイドとは違い斬れるイメージがまるで沸かない。
武蔵はなぜか初めて遊園地でフリーフォールと対峙したときのことを思い出した。怖がる武蔵を面白がって、真姫が無理やり乗せたのだ。気持ちはそのときと似たような気分だったが、恐怖の質が段違いである。
「なるほど、奥さんの窮地に旦那が助けに来たってわけっすね。泣かせる夫婦愛っすね」
「――っ!?」
喋ると思っていなかった巨大ロボットから声を掛けられて、武蔵は驚きに肩を跳ねさせる。
「――べ、別に、夫婦なんかじゃないわよ!」
だと言うのに、カルナは特に恐怖しているわけでもなく、当たり前のように巨大ロボットに向かって言い返す。それはそれでカルナの肝の座り様に驚くわけだが、今はそれよりもこのやり取りの既視感に、武蔵はカルナへ問う。
「こいつ、まさか――?」
「――ええ、クリシュナよ」
「うっす、お久しぶりっす、お兄さん」
それはロボク村に核兵器を持ち込んだ張本人だ。武蔵も顔を会わせている。
最初はカルナの友人のアルシュナと思っていたが、アルシュナはすでに亡くなっていて、それが妹のクリシュナだったと、カルナから聞かされていた。
「だ、だったら、降りて来てくれ! 話をしよう!」
どうしクアンドロイドではなく、クリシュナがロボットに乗って襲ってきたのかわからない。しかし乗っているのがアンドロイドなら話は難しいと思っていたが、少なくともクリシュナが相手なら話し合う余地がある。少なくとも武蔵はそう考えたのだが、
「――いや、アンタらホントお似合いだと思うっすよ。
いっそホントに結婚したらどうっすか?」
「やめて! 今そんなこと言われると、ほんとに傷付くから!」
「……ふーん。
まっ、すぐにここで死んじゃうっすけどね!」
カルナを見れば、顔を真っ赤にさせながら、それでも武蔵の言いたいことはわかったようで、頷き返していた。
やり取りの詳細は不明だが、どうやらすでに話し合う余地はないようだった。ならとにかくどう逃げるかを考えるのが最優先だろう。
「ムサシ、一つだけお願い。彼女を殺さないで」
「――はぁ!?」
武蔵の代わりに、憤りを含んだ返事をしたのは、クリシュナだった。
気持ちはとてもわかる。先を越されなければ武蔵が同じ反応を返していただろう。え、まさか、これに勝てると思ってるの? どうやって逃げ切るか考えた矢先だと言うのに。
「殺さないでっ? 殺さないでってどういう意味っすか?
まさか、ウチが、死ぬと思ってるんすか? このゴーレムが? アンタらみたいな弱者に殺られる!?
バッカじゃないっすかね!?」
「バカはあんたのほうよ!!」
「――!?」
「ムサシは強いわよ! そんな化け物よりも! 魔王だって目じゃないわ!
あんたは魔王が強いからって付いてったみたいだけど、それが間違ってたんだってわからせてあげる!」
カルナはカルナでムサシを差し置いて、勝手に巨大ロボットに向かって挑発を始める。
まるで勝利を確信しているような口ぶりに、クリシュナが絶句しているのがスピーカー越しに感じられた。
気持ちはとてもわかる。武蔵だって同じ反応をしている。え、だって、全敗の剣豪、宮本武蔵だよ? 史実の宮本武蔵とは違うんだよ?
――いや、違うな。
そもそもカルナは宮本武蔵を知らない。
知らないで、武蔵でさえも無茶だと感じてたそれを、カルナは全く無茶なお願いだと思っていない様子だった。
全幅の信頼。
それはかつて武蔵が「宮本武蔵」だからと押し付けられた勝手な期待とは少し違っていた。
そう、カルナは「伝説の剣豪 宮本武蔵」を知らない。それでも勝つと信じているのは、「ムサシ」に期待しているからだ。
『ご主人様の加護は、気持ちで負けない限り、誰にも負けないものです』
『ソイツは諦めない限り、オマエに必ず勝利をもたらすもんだろ』
史実の宮本武蔵は関係ない。この世界の誰も彼も、その名前に由ってじゃなく、武蔵自身に期待して背中を押していた。
だったら卑屈になってる場合じゃない。「ムサシ」がその期待に応えないといけない。
幸いには、与えられた力は”勝利の加護”だ。武蔵自身もその力を信じなくてはいけない。
「カルナ、剣、貸してもらってもいい?」
「――はぁっ!?」
折れた刀を鞘に戻して、それが答えだとばかりに、カルナに向かって空いた手を差し出す。
「――ありがと」
カルナは辛うじて聞き取れる声でそう告げると、その手に剣を握らせた。
カルナは武蔵が勝つことを信じている。
だからせめてカルナの願いは聞いてあげなくてはと思った。
それは武蔵の意にそぐわないものではなかったし、何よりもその信頼には気合が入った。
気持ちですでに負けていたはずのところに、カルナが背中を押してくれた。
受け取った剣を構えて、巨大ロボットに対峙する。
「こいつの中からクリシュナを引き摺り出して、連れて帰ってやる」
恐怖も、プレッシャーもあるが、それでも今はもうこの巨大ロボットに負ける気がしなかった。
「――ふ。ふふふふふ。あーはっはっはっはっはっ!!
あーあ、ホントに、バカばっかっすね!
やれるもんならやってみるっすよ! やれるもんなら!!」
巨大ロボットは全身から、まるで獣の唸り声のような、モーター音を響かせる。
地面に刺さった斧が再び持ち上がっていく。
さもすれば恐怖と絶望感に負けてしまいそうになるが、それでもカルナの視線を背中に感じて、武蔵は巨大ロボットに向かって走り出した。




