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第93話 それは忘れた頃にやってくる

 夜の海岸を歩く。

 新月に近い夜だからか、辺りはとても暗かった。

 砂地は足元を不安定にさせる。


 希望はあると信じて歩くのは難しい。

 穴だらけの道を暗がりのなか進むようで、気付けば絶望に足を取られそうだった。 


 一人で考えたいと言って出ておきながら、今更ながら独りでいることはあまり精神的によくないのだなと気付いた。

 堂々巡りをする思考の中で、それでももしパールが心中を望むなら、今度こそは――なんて答えに行き着きかけて、頭を振る。それはパールに甘えているだけだと指摘されたばかりだと言うのに。


 波音は武蔵を誘い込むような心地よさを奏でていて、海に飛び込みたいとも思った。だけどそれもきっとよくない考えだと気付いて、武蔵はその場で倒れ込むように寝そべった。


 月明りが少ないのに、その割に星も見えない。

 どこを見ても暗がりばかりの夜だった。

 心細さで誰かに会いたくなる。

 真姫は今頃どうしているのか考えてしまう。


 母親を亡くした真姫を支えていたのは間違いなく武蔵だった。それくらいの覚えはある。

 その武蔵まで消えてしまって、もう一年以上が経つ。

 今の自分のように再び塞ぎ込んでいなければいいと思う。そしてできれば教えて欲しかった。どうしたら立ち直ることができるのか――。


「……これも、よくないな」


 これもまた逃げで、甘えだった。 

 最近では真姫のことを思い出さない日もあるのに、こんなときばかり都合よく考えてしまうのは、自分でもどうなのかと思う。

 望郷の思いに駆られる日々はとうに終わり、帰りたいという気持ちは日に日に失っていた。それどころかこの世界で暮らしていきたいと思うようになっていた。

 それは忘れていくということだ。

 両親や、友人や、真姫のことを忘れていき、新しい人間関係を築いてきた。

 そんな風にいつかパールのことも忘れていくのだろうか?

 忘れてしまうのだろうか? そんなの――


「……そうじゃないだろ」


 ヨーダに「諦めんな」と言われたばかりなのに、もうパールが死んでしまった後のことばかり考えていた。

 どうしてこんなにも後ろ向きなんだと自己嫌悪する。とことん負け犬根性が染みついてしまっている自分が、武蔵は大嫌いだった。


「お悩みのようだね」


 暗闇の中から突然声をかけられて、驚いて跳ね起きる。

 誰かがいるなんて思わなかった。

 伸ばした自分の手すら暗闇に消えていきそうな闇のなか、しかし目を凝らせで確かに片足だけが妙に細い人影が見えた。


「……ロースム?」

「ああ、久しぶりだね。

 君は今日もまた一段と酷い顔色をしてるよ」


 柔らかい砂のなかにしっかりと杖を突き立てながら、ゆっくりロースムはやって来た。

 隣に立つロースムの表情は、武蔵には見えなかった。こんなにも暗い場所で顔色なんて伺えるのだろうか武蔵には疑問だったが、確かにきっと自分は酷い顔をしているのだろうと思う。


「……会う度に見苦しいところを見せてますね」

「なに、それでも君に会えたことを、私は嬉しく思うよ。

 なにせ一週間後の約束が果たせなかったからね。君に何かあったんじゃないかと心配していたところさ。

 この世界は簡単に人が死ぬからね」

「そうですね……すみませんでした」


 そういえばそんな約束もしていた。今の今まで忘れてしまっていた。

 それを律儀に覚えていながら、怒りもしないロースムに申し訳なさがありつつも、それよりも武蔵はその言葉に心がささくれ立った。


『この世界は簡単に人が死ぬからね』


 ――本当に、その通りだ。


「なにかあったのかい?

 私でよければ、話を聞こうじゃないか」


 そんな武蔵の心の内を感じ取ったのだろう。ロースムは優しく訊いた。

 その言葉はヨーダとはまた違った、不思議な頼もしさと親近感を感じた。

 思えば初対面のときから、ロースムには親戚のお兄さんと話をするような気安さがあった。


「――あなたは、大切な人を亡くしたことありますか?」

「――あるよ」


 訊いてからしまったと思った。

 それはロースムの声に暗い――ある意味で凄味のようなものを感じたからだ。

 きっとそれはロースムにとっても地雷だったのだろう。


「――こう見えて私は結構な高齢者だからね。そんなことは何度もあったさ」


 しかしそれは気のせいだったかのように、今までと同じ口調でロースムはそう続けた。


「……なんか、すみません。訊いてはいけないこと、訊いてしまったみたいで」

「そんなことはないさ。人間生きている限り、別れは必然だからね。それなのに、それは耐え難いくらい苦しいものだ。

 君の悩みはそれかい?」

「……はい」

「そうか……。苦しいだろうね。わかるよ」


 不意に涙が零れた。

 わかるよと、ただその一言。誰かに苦しみが理解されると知っただけで、簡単に心が(ほつ)れてしまう。


「俺は……パールに死んで欲しくないのに……助けたいのに、どうにもできなくて……。

 パールが死ぬことばかり考えて……助けたいのに、どうしようもなくて……」


 涙と一緒に零れ落ちる言葉は、やっぱりどうにもできないということばかりで、きっと勝利の加護なんてもう意味なんてないと、どうしようもなく思ってしまっていると自分でもはっきりと自覚させられるものだった。


「……パール? ……ああ、そうか……」


 そんな武蔵の嗚咽に対して、ロースムは驚きに近い、同意のような感嘆を漏らした。


「……えっ?」

「ああ、いや、なんでもないよ――。

 ……あの子は君にとって、大切な子なんだね」

「……はい。

 ……優しくされたんです。どうしようもなく理不尽な状況に放り出された俺は……それでとても救われたんです」

「……そうか……」


 相変わらず暗がりでロースムの表情は見えない。

 ただ何かを探す様に、じっと海の先を見つめていた。


「……私が失った大切な人もそうだったよ。

 どうしようもなく理不尽な状況で、他人なんて信用できるわけもない中、彼女だけが他人に優しかった」

「……………」


 ロースムのように簡単に「わかるよ」なんて返せなかった。

 顔は見えなくても、その声には後悔が色濃く滲み出ていて、そこにあった苦しみを簡単にわかるなんて言ってはいけないと思った。


「……その人は、ロースムの奥さんだったんですか?」

「……いいや。……妹だよ。

 誰よりも呑気で、そのくせしっかりもので、誰にでも優しくて、誰からも愛されるような妹だったよ。

 ――だから病に侵されている私より先に、彼女が死ぬなんて思わなかった」

「えっ……病……?」

「そうだよ。私は――魔法の杖の毒に侵されているんだ」

「―――――」


 言葉が出ない。どうしてこんなところでも、その単語を聞かなくてはいけないのだろうかと、嘆くことさえも忘れて、ただただ呆然と立ち尽くす。


「君の話を聞く限りでは、君の大切な人はまだ生きているようだね。

 なら希望は捨ててはいけない。

 死は誰だって怖いものだからね。妹は最期の最期まで強がったばっかりに、私は彼女の絶望に気付けなかった。絶望のまま死なせてしまった。それは一番良くないことだ。

 見送った側も見送られる側も経験している私が言うのだから間違いないよ」

「あ……ま、待って下さい!」


 気付くとロースムは杖を突きながら、また暗闇のなかに消えていこうとしていた。


「パールも――俺の大切な人も、魔法の杖の毒に侵されているんです! だから!!」

「……そうだろうね。

 だけど君たちの場合、まだ希望はある。これもまた私が言うんだから間違いないよ」


 魔法の杖の毒のことをもっと聞きたかった。

 しかし追いかけてもすでにロースムは闇の中で、どこへ向かったのかもわからなかった。


「……まだ希望はある? それってどういう……?」


 それは藁にも縋るような思いの武蔵には、願ってもない言葉だった。

 しかしそれは言葉通りと捉えられず、なぜか焦燥感に駆られる。

 知ったような口をと言うには、ロースムの言葉が気になって仕方がなかった。


「……あの子?」


 それはまるでパールのことを知っているような口振りだった。

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