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第91話 死にたくない

「ムサシ……くん……」


「休まないと今度はムサシが倒れるの」と連日注意もされていたが、そもそも寝ようとしても寝れなかった。少しでも離れるとパールがどこかへ行ってしまいそうで、ただただベッドに横たわる彼女の手を握っていた。


 だから眠っていたわけではないと思う。

 しかし不意に呼び掛けられたこと対して、武蔵はそれがまるで夢の中での出来事だったかのように、鈍い緩慢な動作で目覚めたパールに微笑みかけた。


 そう感じたのはパールも同じだったのかもしれない。


「……ここは、ニッポン?」


 不思議な疑問を武蔵にぶつけていた。


「……違うよ」

「じゃあ、わたし、生きてるの?」

「もちろん。

 待ってて、今、サラスを呼んでくるから」

「だめ! お願い、ここにいて!」


 放そうとした手は強く握り返された。それが震えていることに気付た。武蔵はそれを振り解けなかった。

 頬に触れれば明らかに熱い。呼吸も苦しげで、本当はすぐにでもサラスに診てもらったほうがいい。

 それでも武蔵はパールの願いを優先した。怯えているパールを見るのは、これが初めだったからだ。


「いいよ、ずっとここにいる」

「……うん、嬉しい」


 弱々しく微笑むパールの頭を撫でる。それで彼女が元気になるのならと、何度も何度もパールの髪を梳く。


「……ところで、どうしてここがニッポンだなんて思ったの?」


 それは聞くべきことではないと心に刺さった鉄くずが叫ぶ。

 だけど心を決めないといけないと思った。

 諦めろと言ったのは誰だったか――。いい機会だと思った。


「……あのね、死んだ人は海の向こうの壁にぶつかって帰ってくるんだよ」

「――壁」


 初めにその存在を聞いたのは、ロースムからだった。

 ロボク村の葬式でも、そんな話を誰かからか聞かされた。遺骨を川や海へ流す理由。輪廻転生に近い考え方をする由来。


「……でもね、悪い人は壁にぶつかっても帰って来れないんだって。そのまま海の向こうの向こうまで行っちゃうんだって」

「海の、向こうの、さらにその向こう――」

「ムサシくんが、いた場所」

「……………」

「ムサシくんが、いつか帰っちゃう場所」

「―――――」


 ロースムからその話を聞いたときに、そんな風に考えもした。その壁の先には武蔵の知る世界と繋がっているんじゃないかと。

 ただそれは大昔の話だと武蔵は思っている。遠い昔に無敗の二刀流剣士がいたと言われる通り、武蔵のいた世界は遠い過去なんじゃないかと。

 自分は異世界転移ではなくて、タイムリープして来たのではないかと。


「あのね、初めて会ったときから、ずっとムサシくんの心は何かに縛られてた」

「……なにか?」

「うん……なんなのかよくわからないんだけど。

 でも、それがずっと遠い、海の向こうまで繋がってて、ずっとムサシくんのことを引っ張ってるように感じた」


 今はもう遠い感覚として、鎖のような音を聞いていたように思う。

 その音はいつから聞こえなくなったのだろう。


「ムサシくんも、それが嫌じゃないみたいで……だからわたし、ムサシくんはいつかそれに連れていかれるんじゃないかって思ってた」


 ずっと帰りたいと思っていた。

 両親が、友人が――真姫がいる故郷に帰りたかった。

 その気持ちは今だって変わらない。


 ――ではここに残されるパールはどうなる?


「わたし、悪い子だから、人の魂を奪うレヤックだから、きっと死んだらニッポンに行くんだと思ってた。

 そこに帰って来たムサシくんとまた出会って、結婚して、子供もできて、お母さんみたいなお母さんになって、いつまでも、ずっと、一緒に、暮していくんだって、思ってた。そのためにニッポンゴも覚えなくちゃって思った」


 そんな甘い未来はない。

 死んで元の世界に帰れるのなら、きっと魔王はとっくに自害している。三百年も悪徳を重ねたりしない。

 死は、辛さと悲しさだけを残して、他に何も残さない。何もかもなくなってしまうのだ。真姫を見てきた一年間で嫌と言うほど思い知らされた。


「……そうだね。わたしもわかったよ。暗くて、寒くて、独りぼっちで……もう何も届かない場所に行くのが死ぬってことなんだ。

 わたしはムサシくんと結婚なんてできない。わたしは子供なんてできない。わたしはお母さんみたいなお母さんになれない。わたしはもうムサシくんと会えない。わたしは――」


 死ぬのは怖くないと彼女は言っていた。

 それは死に対して自覚がなかったからだ。


 しかし今のパールは震えていた。

 レヤックじゃなくてもわかる。彼女は死ぬことを怖いと感じている。


 震えるパールを優しく抱き締める。それがどれほどの慰めになるのかわからない。

 しかしパールはもっとそれを求めるように、必死に武蔵の腕を握る。血が滲むほどに、決して離れるものかと望むように。


「――わたしは、死にたくない!」


 死なせたくない。

 それが叶わないなら、せめて孤独になんてさせたくない。

 言葉も通じない世界に連れて来られ理不尽に涙する武蔵に、優しく触れてきた小さな手を覚えている。

 今ならわかる。

 誰よりも独りになることを恐れていたパールだから、武蔵の孤独にそっと手を差し伸べてきたのだ。

 今がその気持ちに報いる時だ。

 決して独りにするものかと、抱き締める腕に力を籠める。


「わたしは、独りになりたくない!!」


 心が軋む。

 その悲痛な叫びは、武蔵の心さえ傷付ける。

 それでも決して離してなるものかと、強く強くパールを抱き締める。


「――お願い、ムサシくん……ずっと、わたしのそばにいて……」


 わかってる。

 例え魂が死んだとしても、それでも離れてやるものかと、摺り潰れていく心が叫ぶ。


 ――それがパールの望みなら、俺は……


「カルナっ!! ムサシをパールから引き剥がすの!! 早く!!」


 しかしそんな想いとは裏腹に、呆気なくパールを掴んでいた手は離される。

 強く抱き締めていた腕は、いつの間にか力を失っていた。

 意識さえすでに朦朧で、それでも力の入らない腕を離れていくパールに向ける。


 腕の先で、パールはサラスに押し倒されていた。

 ――何をするんだ!!

 そんな抗議の声さえ上げられないまま、武蔵の意識は遠のいていった。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 ぐったりと倒れ込むムサシの姿に、間に合わなかったという悪い予感が過る。

 しかしすぐにカルナの目配せに、最悪の事態は回避できたことを知る。

 すぐに彼女を下がらせて、ムサシを安全なところまで運んでもらう。

 暴走するパールに対して、あの二人に対抗手段はない。かく言うサラスにも、本当に暴走しているのであればどうすることもできないのだが――


「いや!! 離して!! ムサシくん!! ムサシくん!!」

「落ち着くの! パール!」

「嫌だ!! わたしを置いてかないで、ムサシくん!!」

「パール!! 落ち着きない!! ムサシと心中するつもりなの!?」

「離して――離せ!! わたしを、独りにしないで!! ムサシくん!!」

「そんなことをしたら、本物のレヤックになっちゃう!! 本当に独りぼっちになっちゃうの!! それでもいいの!?」

「―――――っ!」


 パールは暴走なんかしていない。

 意図してムサシの魂を引っ張り出そうとしていた。単純に彼の心が欲しいと、意識して引きずり出そうとしていた。

 だったらまだ話し合う余地がある。ここで彼女を殺さなくてはいけないなんてことには、まだなっていない。


「――わた、わたしは、また……でも! だって……違う……わたしは……、う、うあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ」


 大声を上げて泣き出すパールを見て、こっちもなんとか最悪の事態は避けられたと、サラスはムサシと入れ替わるように、パールを優しく抱き締めた。


 最悪の事態とは、パールを殺さなくてはいけない状況で、サラスは殺せないままレヤックにしてしまい、そして国を滅ぼすことだ。

 サラスにパールはきっと殺せない。

 そう思えるほど、パールの温もりを愛おしく感じていた。

 きっとパールが死んだら、父が、そしてロボク村でカルナが死んだと思い込んだときと同じくらい、泣くのだろう。


「……サラス、わたし、怖い……すごく、怖い……死ぬのが、怖い」

「うん……私もすごく怖いの。私が死ぬのも、パールが死ぬのも、凄く怖いの」


 当然の気持ちだった。

 むしろこの三ヵ月でそう思ってなかったことのほうがどうかしている。


「……サラス、わたし、どうしたらいい? ……どうすればいいの?」

「……パールは、どうしたいの?」

「……わかんない。わたしは、ただ、怖くて……」

「うん……でもね、パールはまだ生きてる。死んでないわ」

「えっ……あ……」


 サラスはそれまで持っていたものを、そっとパールの手のひらに握らせる。

 それは海岸で倒れていたパールが、ずっと握り締めて離さなかったものだった。

 パールの診察を行ったのがサラスでよかった。それが何なのか他の人にはわからなかっただろうが、パールと一緒に武蔵の話を聞いていたサラスにはわかった。

 金に似た光沢を放つ輪っか状のものが二つ。それは婚約指輪だ。

 指輪と呼ぶにはあまりにも歪な形だった。きっとわざわざこれを探すために遠い海岸まで行ったのだろう。だったらそれはパールにとっては指輪だった。


「パール……死ぬのは怖いわ。とっても怖い。

 だけど、生きてるうちに怯えてたら、何もできないと思うの。

 パールには、まだできることがいっぱいあると思うの」


 パールに何があって、どうしてそれを握り締めていたのか、サラスにはわからない。

 だからサラスにはそのときパールがどうしてそんなことを呟いたのかわからなかった。

 パールはそれを大切そうに両手で握り締めて「……おかあさん……」と言った。


「……パールはどうしたいの?」

「……わたしは、ムサシくんに謝りたい。悪いことをして、ごめんなさいって謝りたい。

 ムサシくん、許してくれるかな?」

「ムサシは、パールに甘いからね、そもそも怒ってないんじゃないかな?」

「それから……」


 赤く腫れた目でサラスを見つめる。なにかを躊躇うような目を向けて、


「ムサシくんに、指輪を贈りたい」

「……うん、いいと思うよ」

「本当にいい?」

「……どうして?」

「……サラスも、ムサシくんのこと、好きだから……」

「……………」


 こんなときにまでパールは周りに気を遣う。ときどき感情的になって暴走することはあっても、パールは本質的に引っ込み思案で、そして優しいのだ。

 そんなところが愛おしく思う。


「……私は、ムサシと同じくらい、パールのことも好きなの。だから、いいの」

「……………。

 ……うん。わたしも、ムサシくんと同じくらい、サラスのこと好き」


 ムサシのことは好きだ。

 それはきっと頭に触れられたからだけではない。

 負けっぱなしのこの国にとって――サラスにとって、無敗を誇る伝説の剣豪は憧れだった。


 サラスが諦めてしまったカルナを、颯爽と助けてくれた。

 それはまさに無敗の剣豪の姿そのものだった。


 だけどサラスにムサシを好きだと思う資格はない。

 

 ――ムサシをこの世界に連れて来たのは私だ。


 それどころか今すぐでも彼を元の世界に帰すことだってできるのに、サラスはそうしない。

 ムサシに謝らなければいけないのは、むしろ自分の方だった。

 サラスは、この国のため――自分のために、ムサシの人生を犠牲にしてしまった。


「それから、パティとシュルタにも謝りたい。ひどいことして、ごめんなさいって謝って仲直りしたい」

「うん。謝ればちゃんと許してくれると思うよ」

「それから、もっとニホンゴも勉強したい。サラスに負けないくらい。

 ニホンゴを教えるムサシくんは、すごく嬉しそうだから」

「うん、私もパールに負けないよ」

「それから――」


 パールがこれからどうしたいか、枚挙にいとまがなかった。

 それはどこか切なくなる言葉ばかりで、また大切なことを棚上げにしてしまったような焦りを覚えながらも、サラスはただじっとそれを聞いていた。

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