第90話 最後の母になれなかったもの
それは本当に偶然だった。
「ありゃ、先客がいるっすね」
稼働停止しているアンドロイドが一体、海岸に打ち捨てられているということで、回収に来たのだ。
そんなところで活動していたアンドロイドはいなかったはずである。ウェーブの実験場からは近いと言い難いが、それでも持ち得る限りの最大火力を投入して徹底的に証拠隠滅を図った、そこから吹き飛んで来たのではないかと考えられなくもない。今となってはなんの意味もないことではあったが、それでも彼女がそんなことをしたことだけは”あの人”に知られたくなかった。
まだどんな証拠が残っているかもわからない。
そんなわけでサキはクリシュナを連れ立って自らアンドロイドの回収に出て来て、偶然それを目撃した。
「どうするっすか? 殺っちゃうっすか?」
「無暗に人を殺すものではありませんよ。穏便に済むのならそれが一番ですよ」
「……それ、アンタが言うっすか?」
「それに、今近付けば、貴女の方が死んでしまいます」
「へ? なんでさ?」
サキにとってその光景は珍しい光景ではなかった。
レヤックの暴走。
本人は三度目と思っていたそれは、それこそパールが赤子のときより繰り返されてきた光景だった。
制御できない力は危険でしかない。
そう”あの人”から失敗と評されて捨てられ、その後のサキ自信の願望成就の目的もあって母子ともに保護していたが、”あの人”が危険と言った通りにパールは母親を殺してしまった。
――とても、気の毒な生き物ですね。
ウェーブに対して親しみのような気持ちがあったサキにとって、パールは友人の子供という括りにあったが、それ以上に実験体という認識のほうが強く、そして何よりもサキはパールが嫌いだった。
アンドロイドとそう変わらない。”あの人”の願いのための人造人間。それもその失敗作。しかし、それでも彼女は紛れもなく人間だった。
――ああ、本当に可哀想ですね。
「あ、おい、近付いたら死ぬんじゃないんすか?」
「……わたくしは大丈夫ですから」
「あん? なんでっすか?」
「――ふふ、貴女は本当に可愛いですね」
「うっわ――今すっごい寒気がしたっすよ」
ただ純粋に心配してくれるクリシュナが、サキには嬉しかった。
それは人間として見てくれているということに他ならない。
レヤックに近付けば、否が応でも思い知らされる。
自分が魂のない人形だということを。
「――彼女を介錯します。貴女はそこで待っていて下さい」
「あ、やっぱり殺っちゃうんすね」
「いいえ、介錯です」
「それってどう違うんすか?」
憎く殺すわけではない。
憐れんで殺すのだ。
パールはどのみち長く生きられる身体ではなかった。
アンドロイドとは違う。不完全な技術で生み出された。その上で度重なるレヤックの力の暴走である、心身ともにどこまで持つのか不明な状態である。
友人の子供として、せめてここで死なせてあげるのか温情というもの。
サキは日本刀を抜き、ゆっくりと近付いていく。
しかし――
「――!?」
突然、パールは意思を持って歩き出した。
レヤックの力に翻弄されているというのに、それでも彼女は確固たる自分というものを持って歩き出したのだ。
レヤックの力を制御できているとは言い難い。
しかし翻弄されるままだった今までと違い、僅かながらでも自制できていた。
――まさか成長してる?
サキは人形のようだったパールしか知らない。それこそアンドロイド以上に機械人形のようだった。
しかし今の彼女は間違いなく人間として、一歩一歩歩き出していた。
そのショックに、海に消えていくパールを、ただただ呆然と見送ってしまった。
「なんだ、自分から死んじゃったっすね、つまんないっすね」
「――いけません! 助けないと!」
「なんでですか!?」
だって希望を見せつけられたのだ。
機械人形でも人間になれるかもしれないという希望を。
魂を完全に操れるパールになら、アンドロイドを人間にできるかもしれないという希望を――。
海に消えたパールを必死に追いかける。振袖が水に濡れることも厭わず、海水が各部を錆びさせることも考えず、ただ必死にパールの腕を掴んで引き上げる。
「――ああ、どうしましょう! 心肺停止してます! 蘇生処置を! クリシュナさん! 人工呼吸を!」
「え、なんでウチ!? 自分でしてくださいっすよ!」
「わたくしではできないのです!! お願いします!!」
「あーあー、もう意味わかんないっすね!」
躊躇いながらも言われる通りにクリシュナは蘇生処置を開始する。
措置が早かったからだろう、パールはすぐに息を吹き返した。
「――ああ、よかったです。本当に、よかったです」
「……ええ、ええ、満足してもらえてウチも嬉しいっすよ」
「早速、連れて帰ります! ここから一番近いところで”あの人”か使わなくなってしまった施設を――」
「……おかあ、さん……」
誰に呼び掛けた言葉だったのか、最初は全くわからなかった。
見ればパールが、サキの服の袖を握って、薄い目を開いて、
「……お、かあ、さん……」
もう一度、そう呼んだ。
「――――――――――」
それはどんな気持ちなのか、サキにはわからなかった。
名称の付け難い想いが電子回路を駆け巡り、然もすればショートしてしまいそうなほどのそれを――あえて一つ名付けるのではあれば、それはきっと憎しみだった。
「――クリシュナさん、行きましょう。そこのアンドロイドだけ回収して下さい」
「……今日のウチって、きっとなんか試されてるんすね? 何回なんでって言わせられるかとか、そんなとってもしょうもないことを試されてるんすよね? そうすっよね?」
「―――――」
返事はない。
サキはそれこそクリシュナも置き去りにしてしまうのではないかという早足で、その場から離れていく。
「ああ、もうなんなんすか、ほんとに」なんて悪態を吐くクリシュナの声も、すでに届いていない。
それは偽りの話だった。
パールは決して”あの人”の子供なんかじゃない。それはウェーブが理解のできない事実に対して、そう解釈していただけに過ぎない。
しかしそれでも、サキは「おかあさん」と呼び掛けられて、一瞬でも考えてしまった。
――この子がわたくしと”あの人”の子供だったらよかったのに。
それが許せなかった。
許されなかった。
どうしたって、彼女の身体は子供を作れない身体なのだから。
それを強く思い出して、嫌悪した。
仮でも、偽りでも、パールは”あの人”の子供である。
サキは、やっぱり、パールが嫌いだった。
急がなくてはいけないと思った。
今度こそ、ムングイ王国を、異世界からの来訪者を、偽りの子供を、全てを握る忌まわしい白呪術師を、滅びつくさないといけない。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
日が暮れてもパールが帰って来なかった。
その事実に真っ先に取り乱したのは、言うまでもなく武蔵だった。
シュルトとパティの二人も帰って来ていないと聞き、ヨーダを焚きつけ夜の内の捜索隊を結成し、不眠の捜索活動に当たった。
迂闊だったと後悔した。自分を責めた。
なぜかパールはもう大丈夫だなんて、都合のいい夢を見ていた自分に気付かされた。
そのときの武蔵のことを、サラスとカルナは口を揃えて「怖かった」と言った。
それはまるで伝説に聞くところのランダのような形相だったと言う。
ランダとはなんなのかわからないが、恐らく悪魔のような類であるならば、きっと彼女たちの言い分は間違っていない。武蔵はそのときパールが無事なら悪魔にも魂を売る覚悟だった。
実際に悪魔が願いを叶えたのかはわからないが、パールたちは案外早く見つかった。
ロボク村から遺骨を運んで来た大人の一人が、アンドロイドの残骸が落ちているのをシュルトが興味深く眺めていたことを覚えていたのだ。
手掛かりがまるでない中で、藁にも縋る想いでその場所に駆け付ければ、確かに子供たち三人はその場所で倒れていた。
シュルトとパティは気を失っていたが、命に別状はなかった。
しかしパールに関して言えば、衰弱が激しく、高熱にうなされていた。
誰の目から見ても危ない状態だった。
アンドロイドの残骸はすでにその場所にはなかった。
しかしパールの手には、大き目の歯車が二つ、血が滲むほど強く握られていた。
子供たちの身になにが起きたのかは誰にもわからなかった。
ただパールの病気が著しく悪化させるだけの何かがあったことだけはわかった。
その後、何日経ってもパールの熱が下がらなかった。
忘れていた死の足音が急激に近付いて来ている気がした。




