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第89話 暴走Ⅲ

「連れて帰る」


 パールがなにを言い出したのか、シュルトもパティもわからなかった。

 だってこれはアンドロイドだ。

 魔王の手先で、人を攫う悪魔の化身であり、魔法の杖が使われる前に現れると言う死の化身でもある。

 今は完全に死んでしまっていたが、こんなものに触れること自体どうかしていると思わずにいられなかった。


「あのね、パール、もしかしたらこれ指輪がたくさん入った宝箱のように見えるのかもしれないけど、そうじゃないのよ。これは魔王の手下よ」


 パティは初め、パールがこれのことがなんなのか知らないのだと思った。

 丁寧に、そこから離れなさいと伝えた。


「違う! これはおかあさんだから! 四人目のおかあさんだから、だから連れて帰る!」


 二人はパールの生い立ちを知らない。

 だからアンドロイドのことをおかあさんだと叫ぶパールに対して、ただただ困惑する他なかった。


「……こ、このアンドロイドがパールのお母さんに似てんのか?」


 今の状況を合理的に考えた結果、シュルトはそう結論付けた。

 パティもまた、最近母親を海に流したばかりだ。同じように母を失ったと聞いているパールが、海岸に漂着したようにも見える機械人形のことを母と重ねて見た可能性もあると、やや無理やりでも納得してみた。


「違う! これもわたしのおかあさんだから! 四人目のおかあさんだから!」

「お、落ち着きなさい、パール。あなたのお母さんは亡くなったのでしょ? 四人目ってなによ?」


 しかしパールもまた冷静ではなかった。

 半ば熱に浮かされた頭では、真面な思考もできない。しかし元来の生真面目さから、パティの言葉も一理あると考えてしまった。曰く、


「……じゃあ、一人目のお母さんが海から帰ってきたんだわ」


 一人の目の母親が死んだ後どうなったのかわからない。

 もしかしたら誰かが海に流したのかもしれない。それがこうやって帰って来た可能性だってあるだろう。母は自分と違って悪い人ではなかったのだから、帰って来れないわけがない。なんてひどいことをする人がいるんだろう。でもここで再会できてよかった、他のおかあさんと一緒に大切にしてあげないといけない。


「パール……あなた、ちょっと熱があるわよ。シュルトがこんなところまで連れて来るから」

「オレのせいにされるのは心外なんだけど、でも、本当に熱があるならどこかの木陰で休むぞ」


 おでこに触れた手で今度は腕を掴み、無理やりでも連れて行こうとするパティを、しかしパールは振り払った。その拍子に体勢を崩してアンドロイドの上に倒れてしまう。


「いや! おかあさんと一緒じゃなきゃだめ!」

「あのね、パール、アンドロイドは母親になんてなれないのよ。だってそれは魔王が造った人形だから」

「そんなことない! だって、魂がなくってもおかあさんはおかあさんだもん!」


 いよいよ熱のせいでおかしくなってしまったと二人は頭を抱える。

 特にパティの苛立ちは強い。

 パールと初めて出会った際のやり取りが母親の死に対してだったから。

 死んでしまった母を理由に他人に甘えるのは、死んだ母に失礼だとパールは叱ったのだ。そして母親を失った悲しみを共有してくれた。それがパールと仲良くなったきっかけでもあったから。このやり取りはそれを裏切る行為のように思えた。


「いい加減にして!! それはパールのお母さんじゃないでしょ!! パールのお母さんも死んじゃったって言ってたじゃない!!」

「死んじゃったよ!! 死んじゃって、魂が無くなって、もう何もしてくれないけど、でも大切にしなきゃいけないの!! だって、ずっと好きでいるって、約束したんだもん!!」

「意味わかんない! だって、死んじゃったら、もうどこにもいないんだから! いないんだから!!」

「―――――っ」


 それは以前のサティにも言われたことだった。


『――もう、そのようにお母さんを探すのは止めなさい。

 貴女のお母さんは、もうどこにもいません』


 大切なことを教えてくれたもう三人目のおかあさんの、最期の言葉。

 だけどサティも、二人目のおかあさんも、やっぱりパールのお母さんだったことに変わりなかった。だから三人とも大切にしないといけないと思った。死んでしまっても――死んでしまったからこそ、より大切にしていかないといけないと思ったのだ。


「……そうだね。この人は、わたしの、おかあさんじゃ、なかった」


 それは全く同じ顔をしたここに眠るアンドロイドも同じで、死んでしまっても大切にしてあげないといけないと思ったのだ。

 しかし、サティの――パティの言う通りだ。ここに眠るアンドロイドは一度としてパールのおかあさんだったことはない。


「また……また、同じこと、しちゃったんだね、ごめん、ごめんなさい」

「……パール?」


『……私は、そこには、もう、いません』

 サティが言う通り、再び目覚めたサティももう以前のサティではなかった。もうどこにもいなかった。二人目の母はいつまでも目覚めない。二人とも初めから魂はなかったけど、それでもそこにいたのは間違いなかった。一人の母はいつの間にか消えてしまった。みんなどこへ行ってしまったのだろうか。


 いなくなってしまった魂は、どこへ行ってしまうのだろうか。


 海の向こうへ行って帰って来るのだろうか?

 それとも海の向こうの向こうのニッポンへ行ってしまうのだろうか?


「う、くっ……はぁ……」

「ちょっと、本当に大丈夫、パール?」


 ――例えば、ここにある二人の魂を、抜き取ってしまえば、それがどこに行くのかわかるのだろうか?


 そんな――そんな今更、別離を惜しんで、知りたいと思ってしまった。


「だめ……おねがい……逃げてっ!!」

「パー――」


 それはすでに三度、経験した感覚だった。

 一度目は一人目の母を殺し、二度目は二人目の母を殺した。

 三度目は初めてできた友人に向いてしまった。


 魂を抜き取る暴挙は、幼い二人の子供の心を簡単に掬い上げ、引っ張り出す。

 抵抗する間もなく、二人は簡単に気を失ってしまう。恐らくもう数分と持たずして生きる屍になるだろう。


「だめ……だめっ……だめっ!!

 そんなの、は、だめっ!!」


 最近の自分はレヤックの力を制御できていると思っていた。

 完全には遮断できなくても、それでも無意識に人の心を読むようなことはなくなっていた。

 だからこそ恐怖した。

 自分の身体なのに自分の身体でなくなってしまう感覚。自分の心なのに自分の心でなくなってしまう感覚。

 三人分の感覚が溶け合って、まるで自由が利かなくなる感覚。

 パールは初めて自分が――レヤックの力が怖いと感じた。


「おね、がい……わ、わたしは、もう……いや……ムサシ……くん……助け、て……」


 自分を救ってくれた人の名前を必死で呼ぶ。

 愛おしいという気持ちはまだわからなくても、それでも自信を持って好きだと言える存在。

 彼の名前を呼ぶと、パールは少しだけ自分を取り戻せた。


「……ムサシ、くん……ムサシくん……ムサシくん……ムサシくん……ムサシくんっ!!」


 その名前で奮い立つ。その名前で自分を取り戻す。

 やっぱりだと思う。

 やっぱり彼はいつだって自分を救ってくれる。


 呪文のようにその名前を繰り返しながら、パールは一歩一歩踏み出していく。

 二人の友人から離れるように――海へ。


 他の方法は知らない。こうなってしまった以上は辺りにある魂を食らい尽くして落ち着くのを待つか、それとも自分が死ぬかしか方法がない。

 簡単な話、パールが死ぬか、パティとシュルタの二人が死ぬかだった。


 もうこれ以上大切な人を失いたくない。

 どのみち残り時間を宣告された身だった。

 パールが選ぶ道は簡単だった。


 このまま海に身を投げる。

 そうすれば二人は助かる。


 もちろん心残りはある。


 ――ムサシくんに、大切にしてもらうはずの身体、残せなかったな。


 結婚の約束をしたのに、肝心の結婚生活もまだだった。

 もっと頭を撫でて欲しかった。

 もっとムサシの作る料理を食べたかった。

 最近はカルナに料理を教わり始めたのに、ムサシに一度も披露する機会がなかった。

 ムサシとの子供が欲しかった。自分も母親になって、三人の母親にしてもらったことを、ムサシとの子供にしてあげたかった。


 海水は覚悟していたよりもずっと冷たかった。

 太陽に熱せられた水はもっと温かい印象があったはずなのに、一歩一歩進む度に身体は少しずつ水に浸かり体温を奪う。少しずつ死が近付いてくるのを感じる。


 ――ああ、これが死ぬってことなんだ。


 海に流した遺骨は海の向こうの壁へとぶつかり、やがて帰って来るという。

 しかし悪いことをした人間は壁を通り抜けて二度と帰って来ない。

 壁の向こう――ニッポンへ行けば、もしかしたらムサシといつかまた会えるのではないかと思っていた。ムサシはニッポンへ帰りたがっていた。彼と一緒にニッポンへ帰るために一生懸命にニッポンゴの勉強もした。


 全て無駄だったと悟る。

 死ぬということは、どこかへ行くとか、そんな簡単な話ではない。


『もうどこにもいません』


 それは、消えてしまうということだ。

 何もかもなくなってしまうことだ。


 パールはそれに気付いて、そして今更、怖くなった。


 もう海底に足はつかない。

 気付けば海面は頭の上だった。

 息が出来なくなることが、こんなに怖いことだと知らなかった。


 ――ムサシくん、わたし、死にたくない!


 慌てて腕を伸ばす。辛うじて動いたそれは、しかしすでに何かを掴んでいて、ただ空しく海中を掻いただけだった。それはとても大切ななにかのような気がして、さらに強く握り締めて――パールの意識はそこで途切れた。

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