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第85話 魔法の杖の毒

 サラスからパールとの面会謝絶を言い渡されてから、武蔵の胸騒ぎは止むことがなかった。


 抱きかかえたパールの身体は驚くほど熱かった。

 慣れない長旅に、疲れが出たのだろう。しばらく休めば治る。

 ――そんな風には思えなかったのは、診察に当たったサラスがロボク村でも見せたことない痛切な表情を浮かべていたからだ。


「ここじゃ薬が調合できない――今すぐ戻ろう! 早く!!」


 そう言って魔王城から一睡もすることなく、往路の実に半分の時間でムングイ城へ帰って来た。


 サラスからはパールの詳しい容態を教えてもらえなかった。

 医学がまだそこまで発展していない時代は、風邪をこじらせただけで亡くなることも珍しくないとは聞く。

 武蔵はただただパールの部屋の前で、彼女が良くなることを祈って待つ以外なかった。




 人の気配を感じて目を覚ます。

 眠れない日が何日も続いたせいか、気付けばパールの部屋の前でうたた寝をしてしまっていた。

 隣に目を向ければ、サラスが膝を抱えて蹲っていた。

 いつか見た光景だった。それがいつだったか思い出そうとしていると、表情を隠したままサラスが先に声をかけてきた。


「……熱は下がったよ」

「本当に!?」


 喜ばしい報告――のはずなのに、サラスの声はどこか沈んでいた。表情が見えないがために、その声をますます重々しく感じられた。


「……良くなったんだよな?」

「……………」


 無言で顔を上げるサラス。その目が赤く腫れていて、泣いていたんだということがよくわかる。

 どうしようもないほどの不安が口の中を乾かしていく。いますぐにパールのところに駆け寄りたかったが、サラスのその感情を押し殺した表情からどうしても目が離せなかった。


「……ムサシ、これは全部、魔王が悪いの。他は誰も悪くないの。

 だから、ムサシは自分のこと責めなくていいの」

「……どういうこと?」


 なにを事前に警告されているのか、全くわからない。理解したくない。

 それがすでにサラスが自分のことを散々に責めた後に出た言葉だなんて、理解したくない。


「……パールは、魔法の杖の毒にかかってる。

 ……もう、助からない」


「――モウ、タスカラナイ?」


 サラスがなんて言ったのか、反復すること数秒。

 それを頭のなかで日本語で翻訳するのにさらに数秒。

 もう一度サラスの言葉がなんと言ったのか考えるのに数秒。

 それを理解するのに数分。


「――なんでっ!?」

「……私は……私は、魔法の杖の毒に侵された人を、何人も、診たの……。

 ……だから、間違いない……」

「そうじゃない!? なんだよ、毒って!?」

「……わからないの。

 だって、毒としか、言いようがなくて……。

 魔法の杖が、使われた、近くにいた人は……元気そうにしてたのに、突然、倒れるようになって……」

「そうじゃない!! なんだよ!! なんでだよ!! だって、あれからもう、三か月で、ホウシャノウだって、もうとっくに――」

「……ごめんなさい、ムサシ……わからないの」

「―――――……………」


 今更になって、武蔵は自分がサラスの腕を強く掴んでいたことに気付いた。

 震えるその手をゆっくり離せば、サラスの白い腕にはくっきりと自分の手形がついてしまっていた。

 口が乾いて「ごめん」が言えない。

 だけどサラスを傷付けてしまった事実より、パールが「もう、助からない」と言われた事実のほうが重く圧し掛かる。


「放射能……」


 ただ自分の発したその言葉に、真姫が放射線障害の影響を調べてもらっていたときのことを思い出す。

 遺伝的な影響――子供が産めるのかどうかをえらく気にしていた真姫に対して笑って問題ないと言っていた女医の先生が、むしろ心配していたのが身体的な影響――つまりは癌。取り分けそのなかでもよく話をしていたのが、


「白血病――」


 被ばく者が罹る病気としては有名なものだ。

 以前は不治の病と言われていたものだが、先生があえて話をしてくれたのはそれではなく、今では十分に治療できる病気なんだと言う話だった。


「サラス!! 抗がん剤!! それから、放射線治療なんて――」


 しかしここは日本じゃない。


「……毒に効く薬は、ないの」


 サラスのなにを言っているかわからないという顔と、なんとか絞り出した返答は、そのことを思い出すには十分過ぎた。

 パールに罹った毒は、不治の病なのだ。

 それは武蔵のいた世界では、何十年と研究して治療できる病気になったものだとしても、この世界では不治の病であることには変わらないのだ。


「なんで……どうして……」


 嘆いても、あるはずの治療方法や薬は武蔵の知識にはない。


 理不尽なことへの憤りが過ぎると、あとに残るのは悲しみと、そして後悔である。

『だから、ムサシは自分のこと責めなくていいの』

 今更気付いた。

 被ばくしたばかりのロボク村へパールを連れて行ったのは武蔵である。

 一人にしておくのは心配だからと、あえて放射線がどれだけ残っているかもわからない中に連れて行ったのだ。


「……そうか、俺が、パールを、連れ回したからか……」

「そうじゃないの! 悪いのは、全部、魔王だから!」

「だけど……俺は、パールのこと、頼むって……ウェーブにも、サティにも、頼まれてたのに……なのに……」

「ムサシ……」


 泣いて許されるわけがない。

 泣いて嘆くのは、武蔵に許されたことじゃない。

 それでも「もう、助からない」という言葉が現実味を帯びていると気付き、武蔵はただただ泣くことしかできなくなってしまった。




      ◇




 少しだけ落ち着いたところで、サラスに促されてパールの部屋に入る。

 サラスが言うに「私たちにできることはない」のだそうだ。

 本人に自覚症状がなければ、普段通りに過ごす他にない。パールが望む限り、普段通りに遊んで、普段通りに食事をする以外にできることはないそうだ。そして今回のように発熱が出たり、あるいは手足に痛みを感じていたら、その都度対処する他ないとのこと。


 思い返せば、ここのところのパールはよく転んでいた。食欲もあまりなかったように思う。

 もっと早く気付けていたらと思う反面、気付けていたところで何ができたんだとも考えてしまう。


 実のところ、サラスに促されなければ、武蔵はパールに会えなかった。

 パールがこうなった原因を作ったのは武蔵だ。そして今後、彼女に対してなにもしてやれることがない。

 ただただ死んでいくパールを見送るしかない。それが耐え難く、実のところパールから逃げ出したかった。


「パール……」


 武蔵が近付いて来ていることに恐らく気付いているだろうに、しかしパールはベッドに腰掛けて窓の外を見たまま動かなかった。

 怒っているのだろうか。泣いているのだろうか。


 パールはもうすでに自分が魔法の杖の毒牙に罹っていることを知っている。

 それはサラスが告げたのだ。レヤックであるパールに隠し事はできないからと、サラスは嘯いていた。本当はきっとサラスか武蔵のどちらから告げなくてはいけないことだとわかっていたから、あえて自分が先に話をしてしまったのだ。


 だからこそ余計に、武蔵は続く言葉が見つからなかった。

 熱が下がって良かったとも、元気かとも言えない。

 こんなときにかける言葉を武蔵は知らない。だけどなにか話しかけなきゃと思った。こんなときだからこそ元気付けなきゃと思った。


「ムサシくんは悪くないよ」

「えっ……」


 しかし先に声をかけてきたのはパールだった。

 それも武蔵を気遣うような言葉に驚いていると、パールは振り向いてはにかみながら軽く舌を出して、


「ごめんね、心読んじゃった」

「―――――っ」

「わっ」


 耐えられなくなった。どのみち彼女には隠し事が通じない。だから武蔵はパールに抱き着いて、そして再び泣いた。


「――ごめん、ごめんねっ!!」

「どうしてムサシくんが謝るの? 謝ることなんてなにもないのに」

「俺がっ、パールを連れ回したからっ、俺が、パールを、病気にさせてしまったっ!」

「ムサシくんは悪くないよ。むしろいつも一緒にいてくれて、嬉しかった。

 これはきっと罰なんだと思う。わたしはいっぱい人を殺したから。命を大切にできなかったから。だから罰が当たったんだよ」

「違う! そうじゃない!」


 罪深いのは事実だとしても、それでも今のパールにそれが罰だとするならば、それはあまりにも残酷過ぎる。パールが子供らしく駄々をこねたのは、あのとき一回限りなのだから。


「あのね、わたし、死ぬことは怖くないよ」

「えっ……」

「ムサシくん、前に言ったよね。

 誰かの代わりなんてなれない、だから誰かがいなくなると悲しい、壊れるくらい悲しい。だけど、それをつらいことだって投げ捨てて、代わりを手に入れるなんて、間違ってるって」


 パールがレヤックの力で暴走していたときのことだ。

 まだムングイ語がうまく習得できていなかったから、細部で片言になってしまっていたが、それでもパールには十分届いていたのだ。


「きっとね、ムサシくんは、わたしがいなくなったら、凄く凄く悲しんでくれる。壊れるくらい、悲しんでくれる。だけど、きっとそれでわたしのこと投げ捨てたりしないって。きっとムサシくんのなかではずっと大切にしてくれるって信じられるから」

「―――――」


 悲しくなって、さらにパールを強く抱き締める。

 あのとき、確かにそういうつもりで言った。その言葉に嘘はない。

 だけどパールはまだ生きているのだ。

 こんなときまでパールに気を遣わせてしまっている。すでに自分を故人のように扱って、武蔵を慰めようとしている。

 思い返せば、彼女は初めて会ったときから気を遣って、涙する武蔵の頬に優しく触れて来た。

 人の心がわかる分、パールはいつだって他人に気を遣っていた。


「わっ」


 それが無性に悲しくて、切なくて、恋しくて、武蔵はパールの頭に触れた。


「……久しぶりに撫でてくれたね」

「……ああ」

「……それ、結婚して下さいって意味だよ」

「……知ってる」

「……そっか……そっかぁ……」


 ジャラジャラとした何かが武蔵のなかで弾けたような気がした。

 だけど今はそんなことどうでもよかった。


 今はただ、この他人のことばかり気遣う彼女を、どうにか現世に繋ぎ留めておきたいと、強く抱き締めるのだった。

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