第82話 バリアンの運命
炎天下の下で意識が陽炎のように散りそうになるのを必死に耐えようと心構えるも、かと言って具体的な方策があるわけでもなく、
「あっ――」
「きゃっ!」
気付いたときには武蔵は落馬一歩手前で、思わず正面に座るカルナにしがみ付いていた。ビキニアーマーで隠すにはやや窮屈すぎる胸を鷲掴みにしてしまい、そのデジャブ感のある感触に武蔵は甲冑の上からボコボコにされた衝撃と共に思い出される。
「あっ! ごめん!!」
落馬したほうがまだマシだったと思える凄惨な暴力の予感に、慌てて離れれば、その反動で今度こそ落馬しそうになる。
「あぶなっ!?」
それをカルナは後ろ手で器用に抱き寄せて回避。
たださらに密着する形になり、ただでさえ太陽に熱せられた頭がもう何度か上昇していくのを感じた。
「危ないから、もう少し引っ付きなさい。叩き落すわよ」
――おや?
覚悟していた暴力はなく、それどころか以前と似たような台詞を全く逆でつむぐカルナに違和感を覚えながら、それでも体勢的に無理のあったことは事実だったため、カルナに身を寄せることにした。
「……あと、腕を回すんなら、せめて胸じゃなく、お腹とかにして欲しいんだけど」
「……はい」
叩き落された記憶が脳裏にちらつきながら、武蔵はおずおずとカルナの腹回りに腕を回す。程よく引き締まった腹筋は、武蔵が手を這わすと一瞬だけビクンと震える。恰好としてはこのほうが正解なのだろうけど、武蔵としては固いアーマーに守られた胸部よりもむしろ生肌に触れてしまうこちらのほうがより気恥ずかしさを感じた。
この世界に来てからと言うもの、急ぎの移動はほとんどカルナと二ケツというのが基本になっていたが、それ自体がどうなんだろうと考えてしまう。
「なあ、俺もそろそろ乗馬を覚えたほうがいいんじゃないかな?」
「必要ないわ」
「なんでさ?」
「……………」
聞こえなったのだろうか。武蔵の疑問には答えず、海岸線をひた進む。
武蔵としてもこの方が楽なので、まあいいかと、カルナの許可が出たのもいいことに彼女にさらに強くしがみ付こうとして――
「オイ、テメェ、人の娘になに気安く振れてんだ、アァン?」
「えっ、わっ、ちょっ!?」
襟首を強引に引っ張られて、引き倒される。あわや落馬すると背筋が凍り付くが、覚悟していた浮遊感は訪れず、そのまま宙ぶらりんにされる。
「危ないな、師匠! なにすんだよ!?」
バランスの悪い馬上ながらもその片腕の膂力だけで自分を持ち上げるヨーダに、武蔵は抗議の声を上げる。
「危ないのはテメェだ! 気付けば女をとっかえひっかえしやがって! あまつさえカルナにまで手を出しやがったな!! テメェは全モテない男の敵だ!!」
「そんなんじゃない! 事故みたいなもんだろ!
なんだよ、全モテない男って……」
「オレのことだ!!」
堂々と男らしく宣言するヨーダの姿に、なぜか武蔵のほうが切なくなってくる。
「とにかくカルナだけはオレが許さねぇ! 絶対にだ!」
そして今まで見せたことがなかった父親っぷりまで発揮する。カルナがどんな表情をしているのか気になるところだったが、彼女はこの騒ぎに振り返ることもせず、それどころかやや距離を取って無視を決め込んでしまっていたので、武蔵はただただ大人しく項垂れる他なかった。
「そんなに他人の胸に興味があんなら、オレの胸筋でも揉めばいい」
「嫌だよ……」
「おう、オレもイヤだ」
なすがままにヨーダの後ろに座らされた上に、そんな嫌味のような言葉も投げかけられたので、結局武蔵はヨーダにしがみ付くこともできず、危険なロデオは継続することになる。
「ちなみにな、オレはまだ優しいほうだぜ。
後ろの二人が先に動いてたら、ホントに引き倒されてたぜ」
「後ろの二人……ぉぉぅ」
振り返ればそこには炎天下の熱さも忘れてしまうほど凍える視線を投げつけてくるサラスとパールの姿があった。
「ちなみにムングイを出たときからあんな顔してたぜ。
アレを無視し続けてきたオマエの神経の図太さには恐れ入るぜ。
オマエなんで自然とカルナの馬に乗ったんだ? 下心あったってんなら、あの二人に差し出すぜ」
たぶんもう彼女と乗馬するのが三回目だったからだろう。
カルナから「行くわよ」と声を掛けてきたのもあって、武蔵も特に考えなしで同乗していた。
「――なあ、本当にいいのか?」
そんなことを話せばさらにヨーダの責め苦が続きそうだったので、武蔵は話題を変える意図も含めて聞く。
「なにがだよ?」
「全員で魔王の城へ乗り込もうなんて、正気の沙汰とは思えないんだけど」
今向かっている先がそこである。
魔王が行方不明と聞かされたサラスは「じゃあ、行ってみよう」と軽く言い出したのだ。
当然これもヨーダは反対したのだが、それこそ魔王に会いたいと言い切られたときと同じように押し切られたのだ。
そうしてそれこそ散歩にでも出かけるような気軽さでもって、気付けば武蔵たち一行は魔王城を目指していたのだ。
「……まっ、サラスが一度言い始めたことは、とことん曲げないからな。
あーあ。甘やかして育て過ぎたかね、まったく」
「甘やかして育て過ぎたって……」
今日は父親な気分の日なのだろう。ヨーダの呑気な言葉を半ば呆れたように繰り返した。
いや、実際、先代の国王――サラスの父親から彼女を任されてからは、父親代わりのような心持なのだろう。
「――まあ、甘やかすくらいで十分過ぎるくらい、ホントはもうアイツは役割を果たしたんだけどな」
「どういうこと?」
思わず疑問を差し挟まずにはいられなかった。
それは王として勤めようとしていることではない。まるでもう終わったことのようだった言葉だった。ヨータの言葉にはもっと別の憐憫のようなものも感じた。
「――バリアンってのは、この国の象徴であって、本来は王様じゃねぇ。国の未来を占う呪術師であって――そもそも王様になんてなれねぇんだよ。なんせ、その力を使ったら最期、その魂は天に召されちまう。残るのは抜け殻のような肉体だけだ」
「それって――」
以前パールがいた施設のゾンビたちを思い出す。あれはレヤックの力によって魂を抜かれた存在だった。
「確かにアレに似たような感じだな。
歴代のバリアンは一度だけ国の命運を左右する出来事を占う。それでお役目終了だ。残った肉体は生き神様のように扱われながら、次のバリアンや国王を生むための母体になる。アイツの母親も、その母親も、みんなそうやって役目を全うしてきた」
「……………」
国の象徴と呼ばれていることがどういうことか、武蔵が考えていたこととあまりにも掛け離れていて、思わず言葉が出なかった。
「サラスはその力をもう二回――いや、三回かな――使ってる。はっきり言って、アイツがああやってまだ普通の人間みたいにしてるのは、歴代のバリアンからしてみたら奇跡みたいなもんだせ」
振り返ってサラスの様子を見る。
先ほどの冷めた表情はどこへやら、今は同乗しているパールを正面に抱えて、イタチのような動物の親子を見つけたと、二人で笑い合っていた。
「それで普通の幸せか……」
サラスの父親がヨーダに託した想いがどのようなものなのか、武蔵にもようやく理解できた。
「――だったら、なおのこと、魔王の城へ行くのはよくないだろ。危険すぎる」
「だぁから、オレは反対しただろ」
「もっと強く出ろよ。大切なら、叱るべきところは叱るべきだろ」
「知ったようなことほざくな。だいたい、パールの甘えっぷりからして、テメェも人のこと言えねぇだろ」
心外だった。むしろパールに対して自分が戒めていることを口にしたつもりだったのだが。
「それにな、危険かどうかって意味じゃ、このメンツじゃサラスが一番安全だぜ。
オレからしたら、なんでパール連れて来たんだって話よ」
「仕方ないだろ。カルナまで護衛でこっち付いて来てる以上、パールをあの城に独りにしておけないだろ」
ロポク村に出向いたときと同じ理由である。魔王の娘とはまだ知られていないが、それでもレヤックを厄介者扱いする人は多い。
本当はサティとウェーブも連れて来たかったくらいだ。
「そういうとこが甘いんだよな……人のこと言えねぇけど」
「ところで、なんでサラスが一番安全なんだ?」
魔王のスパイでもあるヨーダを除けば、危険性では全員等しく平等のはずである。むしろ魔王からしてみれば、サラスなんて敵のリーダーみたいな存在だ。それが自分の城に乗り込んで来たとあれば、いの一番で捕虜にしたいと考えそうなものである。
「――それは行きゃわかるさ」
それははぐらかしたような言い方ではなく、ヨーダ自身もよくわからないという意味が見て取れて、武蔵は首を捻るのだった。
◇
ムングイ城を後にして凡そ丸二日。
富士山もかくやというほどの山を迂回した後、島の海岸線に沿って西に移動。
サラス曰く、この島の最西端に位置する沿岸。その小高い丘を越えた先に魔王の居城があった――いや、それは武蔵の知る城とは明らかに様相を逸していた。
「―――――」
「見えたぜ。どうだ、言葉も出ないだろ?」
ヨーダが言う通り、武蔵はその光景に言葉を失った。しかしそれはヨーダが意図していたものとは多少違っていただろう。
丘から見えるその全景に、武蔵は見覚えがあった。
その光景はこの世界の人たちから見れば、城と呼ぶ他なかったのかもしれない。
鉄塔、煙突、貯蔵タンク――それら目に見える全てを総称して、武蔵ならこう呼ぶ。
コンビナート、と。




