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第79話 片足のロースム

 サラスの大きな決断を前にして武蔵がしたことと言えば、ムングイ城から逃げ出し、少し離れた海岸まで出て、そして盛大に胃袋の中身をぶちまけることだった。


 これでは全く格好つかない。

 しかし無理をして辛さで痛めつけた胃は、この責め苦にのた打ち回り、とうとう根を上げた。そのままサラスの前で見苦しい姿を曝さずに済んだことだけでも、褒めてもらいたいと武蔵は思う。


 ――いや、ちっとも褒められたもんじゃないよな。


 偉そうに「やり遂げれば、いつか報われる」なんて言ってはみたものの、それが一番できていないのが自分自身だということを、武蔵は自覚していた。

 結局のところ、武蔵はまたサラスから逃げてきたのだ。


 胸を縛るような鎖の感触は、未だに存在感をアピールしていた。忘れないでと、真姫にそう言われているように、ジャラジャラと武蔵の鼓膜に響いている。

 もう現実の世界には帰る場所がないかもしれないと怯える一方で、それでも枷のような絆はどうしても武蔵の心から剥がれないでいた。諦めて下さいと言われても、そう簡単に諦めらめてはいけないと、呼びかけてくる。


 サラスに帰りたいと訊かれて、武蔵は『今はまだ』と答えた。

 帰りたいでも帰らないでもなく、保留にしたのだ。

 だからサラスに『魔王のしてることを止める』と言われて、武蔵は戸惑ったのだ。

 魔王のしていることが許されることではないとわかりながら、心のどこかでは期待している。

 もしかしたら、帰れるんじゃないか。止められたら、困ると――。

 そう思ってしまっている自分が、サラスと一緒にいていいのかと思って――そんな自分に対してサラスががんばると言ってくれたことに、耐えられなくて、武蔵は逃げたのだ。


 ジャラジャラとまた鎖が武蔵の心を締め付ける。

 それが苦しくて、


「――うっ」


 再び武蔵は嘔吐する。

 気持ちが悪くて仕方がない。

 それはもう辛さのせいではなくて、自分が考えていることが許し難く、いっそゲロと一緒にそんな考えも全て吐き出せたらと思う。


「大丈夫かな?」


 何度も嘔吐している武蔵の姿を見かねたのか、そう若い男の声が聞こえた。

 単純に心配してくれてのことだろうが、今はそれが鬱陶しく感じて、


「ああ、はい、大丈夫ですので」


 声をかけてくれた人に一瞥もくれずに、武蔵は立ち去ろうとした。


「無理に動かない方がいい。それだけ嘔吐を繰り返せば、脱水症状になる可能性も――おっと」

「えっ?」


 急いで立ち去ろうとした武蔵を引き留めたのは、重いものが倒れる音だった。

 振り返れば、武蔵に声をかけてくれた青年が倒れていた。


「え、ちょっと、大丈夫ですか?」


 心配して声をかけてくれた人に対して、そのまま武蔵も無視して立ち去るわけにもいかず、助け起こそうと手を伸ばし――そこで武蔵は、その男性にあるべきものが欠けていることに気付いた。


「いやいや、すまない。心配して声をかけたはずなのに、逆に心配をかけてしまったね」


 戸惑う武蔵を無視して、青年は一人で立ち上がろうとするので、武蔵は慌てて肩を貸す。


「すまないね。ついでで悪いのだが、そこに落ちている杖も拾ってはもらえないかな?」

「はい、それはいいんですが……大丈夫なんですか?」


 半ば砂に埋まってしまっていた杖を手渡しながら、武蔵は失礼と思いながら、青年の足を見つめてしまった。本来ならそこに二本なければいけないものが、片方欠けていた。


「ああ、これは昔からでね。慣れれば大したことではないさ。ただ足場の悪いところを歩くと、たまにこうしてバランスを崩すこともあるけれどもね」


 わざわざ武蔵を心配して、砂浜まで降りてきたのだろう。

 それなのに無視して立ち去ろうとしていた自分に少し自己嫌悪する。


「君のために砂浜を歩いて来たわけではないよ。海を見るのが好きなんだ。海岸を歩くのが、私の日課でね」


 武蔵が自己嫌悪していることにも気付いたのか、青年はそんなフォローを入れてくる。若く見えるがそれに相反した紳士的な雰囲気に、武蔵はすっかり信頼感を覚えていた。だからだろう、


「私はロースムだ。よろしく」

「あ、はい、俺は武蔵って言います。よろしくお願いします」


 ロースムと名乗る青年と、気付けば自然と握手を交わしていた。




      ◇




「君はどうしてあんなところで嘔吐していたんだい? 酒に溺れるには、少々年齢も時間も早いと思うがね」

「ちょっと刺激物を食しまして……」


 一生懸命作ってくれたであろうサラスのことを思えば、少し心苦しくなる言い分ではあったが、彼女を知らないロースムに嘘をついても仕方がない。


「うむ。まだ調子がよくないのなら、薬を調合しようか? こう見えても人体の仕組みには多少の心得があってね」

「あ、いえ、もう大丈夫ですんでっ」


 砂浜を抜けるまで杖だけでは心もとなく思い、武蔵はロースムに肩を貸していた。

 初めて会ったはずのロースムとは、不思議と気兼ねのようなものを感じず、自然と話をすることができた。恐らく彼の落ち着いた物腰がそうさせるのだろう。


「医者の先生なんですか?」

「そんな偉いものではないよ。ただ時間と学術書の類だけはたっぷりとあってね。ちょっと詳しい程度だよ」


 この国で武蔵が思う医者という職業の者を見たことがない――というよりも、その役割を担っているのがバリアンであるサラスだった。

 以前カルナに斬られた肩を「男の子なんだから我慢しなさい」と麻酔もなしに縫われたことがある。後遺症のようなものは出なかったが、それでも武蔵の肩には一生消えないであろう傷と、針に対して少しばかりのトラウマが残った。それどころかサラスはちょっとやそっとの怪我や病気なら「そのくらい我慢しなさい」と追い返したりもする。ロボク村のような魔法の杖の被害を見ていれば確かに「そのくらい」なのかもしれないが、それでもサラスに対して医者という印象が薄くなる。

 それに比べてすぐに薬の用意をしようとするロースムの方が、武蔵の知る医者のイメージにぴったしだった。


「もったいないですね。絶対に向いてると思うんですけど」

「私がかい? 私はどちらかと言えば、医者の世話になる人間だよ」


 足のことを言っているのだろうか。笑いながら言うロースムだったが、武蔵にはややブラックジョークにも思えて、返す言葉が見つからなかった。代わりに別の話題を振ることにする。


「じゃあ、普段はなにをされてるんですか?」

「海を見ているよ」

「いえ、今日の話ではなくて……」

「いやいや、本当に最近は海ばかり見ているよ」


 足のこともあるから、働くのも難しいのかもしれない。

 この国の人たちは大概が畜産や農業に属している。ムングイ城のほとんどの兵士でさえ、日中は農作業の手伝いに出ている。

 ロースム自身は人に気を遣わせない性格をしているが、もしかしたらプライベートを聞くのは少し遠慮したほうがいいのかもしれない。


「……………」

「生産性のない人間だと思われたかな?」

「……いえ、それを言えば、自分も普段はなにもしてないなと思いました」

「では、私たちは似たもの同士だね」

「ですね」


 二人して思わず噴き出して笑い合う。

 年は十近く離れているだろうが、武蔵はなんとなくこのロースムという男と仲良くなれそうな気がしていた。ロースムも同じことを思ったのだろうか、


「君も私と一緒に海でも眺めないか?」


 まるで遊びに連れ出すような調子で誘われる。


「眺めるだけでしたら、ちょっと……。泳いだり、釣りしたりしたくなると思うます」

「若いね。

 だけど、海を眺めながら物思いに耽るのも、楽しいものだよ」


 そう言って、ロースムは少しずつ離れ出した水平線の先に視線を向ける。太陽の反射する水面が少し眩しそうだった。


「例えば、君は海の向こうがどうなっているか考えたことはあるかい?」

「海の向こう?」


 この世界がどうなっているのか、武蔵はこの島のこと以外を知らなかった。

 海の向こうに別の国があるかどうかなんてことも考えたことがなかった。

 ここに来たばかりの頃は、海を渡れば日本に帰れるんじゃないかと考えたこともあったけれども――


「別の、知らない世界がある、んじゃないですかね」


 この世界が武蔵のいた世界と地続きの場所だとはもう思えなかった。

 魔王の異世界転移実験が一番の決め手だった。この世界が地続きであれば、わざわざ『異世界』に『転移』しようとはしないだろう。


「ふふふ」


 そんな武蔵の憂鬱とは裏腹に、ロースムはさぞ嬉しそうに笑う。思わず怪訝そうな顔を返すと、


「いや、失礼。私と同じ考えをするので、ついね」

「同じ考え?」

「私もね、まだ別の世界が残っているんじゃないかって信じてるよ」

「……残ってる?」


 不思議な表現だった。それではまるで、元々は別の世界があったけど、今はなくなってしまったかのような言い方だった。


「ああ。あの海の先――”世界の果て”と呼ばれる壁の向こうは、まだ滅んじゃいないさ」

「――世界の果て? 滅んだ?」


 しかしロースムはそんな武蔵の疑問に答えてはくれず、さらに武蔵が混乱する言葉を投げ掛けてきたのだった。

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