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第78話 辛い食卓

 ムングイ王国は香辛料が豊富な国である。調理法が焼く、炒める、煮るというシンプルなものがほとんどであるが、必然的に多用される香辛料が、日本人の武蔵からしてみれば味がキツイと感じる料理も多かった。

 そのなかでも一際サラスの作る料理は強烈だった。唐辛子のようなものを甘い果汁で煮た料理は、武蔵が今後の人生で最も口にしたくない料理だ。これにはさすがのカルナも口を挟まずにいられなかったようで、以後サラスが調理中には必ず立ち会うようになったわけだが、


「サラスが調理場に立つと、神隠しが起こるのよ……。気付けば調味料が次々となくなっていくのよ……」


 彼女のこの発言の真相を解明しないことには、恐らく舌を味覚毎抉りにくる料理の数々からは逃げられないだろう。


 目の前に置かれたトン汁ような食べ物が、武蔵の知るそれとは違って鼻孔に突き刺さる香りを発している。食べる前から強烈な辛さを主張している。


「……二人でご飯食べるのって、そういえば初めてね」


 逃げ出したいと思うのは、そんなチャレンジ料理に挑まなければいけない状況に対してもあるが、サラスから発せられる気まずい雰囲気にも要因がある。

 二人でご飯を食べるどころか、そもそもサラスと二人切りになるのがロボク村から帰ってきて以来初めてだった。


『帰ったらいろいろと話をしよう』


 すでに帰ってきてから二ヵ月も経過してしまっている。

 サラスが憔悴っぷりにとても話なんてできそうにないと言い訳して、先延ばしにしてしまった。そして気付けば彼女は不慣れな料理まで作ろうと躍起になっていた。それが誰のためなのかも明らかだった。

 真姫のことを話そうと思っていた。そして改めて帰りたいという気持ちをぶつけようと思っていた。しかし――


「……ありがとう」

「――えっ?」


 不意打ちのような感謝の言葉に、何のことだかわからずに間抜けな声を上げてしまう。


「ずっと、言えなかったから。

 ロボク村のことも、カルナのことも、ムサシに助けてもらったのに。

 私はずっと自分のことばかりで、よくないなって思ってたの」

「それは、その……たまたま、運がよかっただけだから」


 しおらしく、それでいて真っすぐに伝えられる言葉がくすぐったくて、思わずヨーダの言葉を借りてしまった。


「……それでも、もし、あのままカルナが死んでたら、私は立ち直れなかった」

「……………」


 後悔が後を追う。

 カルナに魔法の杖を運ばせたのはサラスの指示だ。カルナがそのよう仕向けたんだとは言っていたが、それでも彼女を死なせていたかもしれないことをサラスが指示したのだ。それを運がよかったから助かったとは、さすがにあんまりの言い草だった。


「私ね、人の気持ちがわからない王様なの。自分の気持ちさえわからなくて、カルナにあんなことさせて……させてから後悔して……。だから王様失格なの」


 武蔵はそうは思わなかった。

 彼女は確かに自分の気持ちがわかっていないところも多いのかもしれないが、それは国の象徴として他人を重んじてばかりいるせいだと思った。そしてそれは恐らくサラス以外の全員がわかっていることだと思う。町でサラスを取り囲む子供たちの姿が思い出される。あれだけ親しみ慕われる人間が、王様失格なはずはない。


『普通の幸せってなんだよ。クッソむずいな。オイ』


 しかしヨーダの想いを知っているからこそ、そんなことはないとも武蔵は口にできないでいた。

 サラスがこのまま王様でいる以上、『普通の幸せ』からはほど遠いところにいるような気がしてならなかった。


「だから、ムサシにね、正直に答えてもらいたいことがあるの」


『帰ったらいろいろと話をしよう』

 これはそのときの話なのだと思った。しかしサラスから訊かれたのはさらに一歩進んだ質問で、


「ムサシは、やっぱりまだ、元いた場所に、帰りたい?」

「―――――」


 武蔵は口を噤んだ。


『武蔵君に、元の世界に帰る手段なんてありません。

 ですが、もうこの世界で帰る場所があるじゃないですか。それはとても幸福なことです。

 それでいいじゃないですか?』


 サキに投げかけられた言葉に、武蔵は未だに答えが出ないでいた。

 すでにこの世界に来てから半年が経つ。すでに現実の世界に武蔵の帰る場所なんてないのではないかと考えてしまう。

 確かにこの世界に幸運にも居場所ができた。それでいいじゃないか?と聞かれれば、それでいいと答えてしまいそうな自分を否定できなかった。


「ムサシをこの場所に連れて来たのは、やっぱり私だと思うの。だから、ムサシが帰りたいって言うなら、私が帰る方法を――」

「今はまだっ!」


 なにか決定的なことを言われそうで、武蔵はサラスの言葉を遮った。


「今はまだ――帰れない。

 サティのことも、あのままにしておけないから……」


 嘘ではなかった。

 仮に元の世界に帰る方法が見つかったとしても、サティが直らないままでは、きっと武蔵の後ろ髪を引く。一生、彼女を殺したかもしれない罪悪感に苛まれながら生きていくことになる。そんなのは耐えられないと思った。

 しかしそれ以上に単純な恐怖もあった。

 現実の世界でも帰る場所なんてとっくになくなってしまっていて、そしてこの世界でも居場所がなくなってしまったら、自分はどこに帰ればいいのだろう。


「……そ、そうだよね。ムサシが、サティをあのままにして帰るわけないものねっ。パールのことだってあるしっ。

 あははは。なに聞いてるんだろう。

 早く、ご飯、食べちゃおうよ―ーげほげほっ」

「サラス!?」


 豪快に器ごとトン汁モドキをあおってサラスは、そのまま豪快にむせていた。


「な、なにこれ、すっごく辛い!?」

「なにこれって、サラスが作ったんでしょ!?」

「うん、そうなんだけど……また失敗しちゃった……」


 匙で器を混ぜてから再度一口咥えるサラスの表情は再び涙目になる。ちゃんと混ざってなかったのかと思ったのだろうが、マグマのように赤い汁はちょっと上に香辛料が溜まっているというレベルの問題ではない。


「やっぱり駄目だね……さすがに食べられるものじゃないね、これは。

 なんでだろうね、ちっとも、うまくいかないのは……」


 それは料理に対してに限らない話だろう。

 それは王様失格だと自己嫌悪に陥っているときと同じ表情で――どうやっても試合に勝てなかったときの武蔵自身とも重なって見えた。


「え、ムサシ!?」


 先ほどのサラスに習って器をあおる。

 大き目の具材も含めて一気に口に掻き込む。


 ――あ、これヤバイ、本当に辛い。


 ちょっとカッコつけようと思ったことを後悔しながら、むせ返りそうな喉と引き付けを起こしそうな胃を無視して、どうにか完食する。

 空になった器を見せつけるようにサラスの前に置いて一言。


「サラスっ、これっ、すっごい辛い!」

「そう言ったじゃない! だからそんな無理して食べてくれなくても――」

「すっごい辛かったけど、でも、最初に食べたあの甘さと辛さの大戦争みたいなのよりマシ!」

「えーと、それってこれと同じ料理だったと思うんだけど……?」

「だったらなおさら! 少しずつよくなってるってことだろ。

 失敗しても、やり遂げれば、いつか報われる。頑張ってれば、料理だってそのうちうまくなるだろ」


 そう思わなければ、武蔵はとっくに剣の道を諦めていた。

 負け続けても諦め切れずに、頑張り続けてきたのが、宮本武蔵だった。


「――やり遂げれば、いつか報われる?」


 しかし改めて相手の口から同じように返されると、我ながらにくさいことを言ったなと気付かされて、恥ずかしくなる。それでも、


「うん――そうかもしれない」


 サラスが少しだけ明るい表情を取り戻せたので、良しと思えた。

 例え、胃がひっくり返るほど痛く、冷や汗も止まらず、きっと後でトイレで後悔することになっても、今は本当にやり切ってよかったと思うようにした。


「――あのね、ムサシ、もう一つだけ聞いてもらいたいことがあるの」


 本当を言えば、聞いてあげる余裕は全くなかった。

 今すぐにでも立ち去ってトイレに駆け込みたかった。


「私、魔王に会おうと思うの」

「え――」

「魔王に会って、本当に、異世界転移実験を諦めたのか確認したいの。

 もし、まだ諦めてなかったら、今度こそ、本当に、魔王のしてることを止める。

 王様として、最後に、これだけはやり遂げたいと思うの」

「―――――」

「それで、王様として、それを最後までやり遂げられて……それでもムサシが、まだここに残ってくれるなら……今度は、ムサシのために、料理がんばるの、やり遂げたいの」


 最後の言葉に、どんな想いが込められているのか、気付けないほど武蔵は鈍感ではない。

 やり遂げれば、いつか報われるとけしかけたのは武蔵である。

 だから、武蔵は――


「――サラス、ごめん……。……さっきの料理、本当に辛くて……だから、ちょっと、限界!!」

「えっ?」


 胃袋が中身を上へ上へと押し上げるのを懸命に堪えながら、彼女の前から逃げ出した。

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