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第77話 危険な地下室は千客万来

 母親を失った真姫の面倒を見ていた半年間。

 文字通りの意味で全ての時間を真姫と共に過ごしていた武蔵は、当然、彼女が通院の際も離れずにいた。診察の際も先生の話を一緒に聞いていた。そのお陰で二つのことに対して、同じ年頃の少年少女に比べて詳しくなった。

 一つがPTSD――心的外傷後ストレス障害と呼ばれる症状。


「わたし、おばあちゃんちが好きだった。

 それが、全部、流されてた。なにもわからないまま、夜になって。朝がきて……全部なくなってた。

 お母さんも、おばあちゃんも、おばあちゃんの家も、優しくしてくれた隣の家の人も、よく買い物に行った近くの市場も、全部、なにもかも、流されてた」


 真姫のトラウマは母親を失ったものだけではない。


「あんなにも、簡単に、なにもかも、なくなるものだって、知らなかった」


 真姫にとって第二の故郷とも呼べるその場所は、一瞬のうちに更地にされてしまった。そしてそこはそのまま避難区域に指定され、未だに戻ることが許されていない。 

 故郷を、帰る場所を失った喪失感が、真姫の心を壊したのだ。


 その気持ちを、当時の武蔵にはわかってあげることはできなかった。

 武蔵の人生において心が壊れるほどの大きな喪失という経験はない。

 武蔵は黙って彼女の手を握ってあげることしかできなかった。


「俺はどこにもいかないよ。どこにもいなくならない。大丈夫だから。大丈夫だから」


 その約束に嘘がないという気持ちを手のひらに込めるしかできなかった。


 そしてもう一つ、真姫の通院に付き合って詳しくなったことが、放射線障害だ。


 地震により誘発された原子力発電所の事故は放射性物質を流出させた。放射能による汚染で日本中が戦々恐々としていた、その足元に真姫はいたのだ。

 真姫の通院には、被災に遭った他の人々と同様に、放射線被ばくの検査も含まれていた。


「……つまり、大丈夫かどうか、わからないということですか?」

「平たく言うと、そういう話ね。

 広島や長崎で被ばくした人には何十年も経ってからがんになった人もいるわ。それが被ばくによる影響なのかわからないけれども、がんになる人の割合は確かに高い傾向よ。

 でも、真姫ちゃんの場合は大丈夫よ」

「その根拠は?」

「今、問題ないからよ」


 真姫の検査を請け負った先生は、具体的な話で怖がらせておきながら、そのくせ根拠もなくそんなことを言っていた。


「今、問題ないのは大事なことよ。病気なんていつどこで何がきっかけでかかるかわからないんだから。

 気持ちで病気しちゃうことのほうが、ずっと多いのよ」


 それは真姫のPTSDも含めての話だろうか。


「……赤ちゃん」

「うん?」

「赤ちゃんは、産めるの?」


 真姫はお腹を摩りながらそんなことを聞くので、武蔵は驚きを隠せなかった。赤ちゃんがどうだなんてもっと先のこと――というよりも考えもしてなかった。それを真姫の口から聞かされて、武蔵はなぜか妙な緊張感を感じた。

 それは先生も同じだったようで、


「まだ早過ぎるわよ?」


 となぜか武蔵に向けて言っていた。


「あと五年我慢しなさい。

 でも、五年したら元気な赤ちゃんを産んだらいいわ」

「……うん」


 真姫もなぜか武蔵に向けて頷き返してきた。

 武蔵は口を開けは心臓が飛び出そうで、何も言うことができなかった。ただ、久しぶりに見れた嬉しそうな真姫の表情だけは脳裏に焼き付いて離れなかった。


「……これは、きっと我慢できないわね」


 先生のその感想も、そのときはもう右から左に聞き流すほどに――ジャラジャラと真姫に絡めとられていく自分を感じていた。




      ◇




 ムングイ城の地下はとても涼しくて居心地がいい。

 熱帯雨林気候を有するムングイ王国において、清涼感を得られる場所は限られている。そういった環境のなかで、日の差さない地下は比較的過ごしやすい場所である。もともとは食料保管庫として利用されていたようだが、今ではすっかり誰も寄り付かない。その理由は部屋の中央に鎮座した巨大な窯が原因だった。


 ロボク村に持ち込まれた二つの魔法の杖――核爆弾の一つ。

 それがムングイ城に持ち込まれたのは、実質的にこの国の指揮を取るようになったヨーダのよるものだ。


「こんな危険なもの、海にでも捨てればいいだろ」


 今は動いていないタイマーがいつ動き出すかもわからない。

 危険性を考えれば人がいない場所でかつ魔王にも回収できないような場所に廃棄するのが一番である。


「なに言ってんだオマエ、海なんかに捨てたって、戻ってくんだろ」

「戻ってくる?」


 ヨーダの言っていることはよくわからなかったが、とにかく海に捨てるのは却下されてしまった。

 だからと言って、城に持ち込むのも狂気の沙汰としか思えなかった。それに関しては他の城内の人間からも同意を得られたが、それでもヨーダが押し切ってしまった。


「師匠はなに考えてんだ?」

「一つはコイツを使って魔王を脅せねぇかなって」


 つまるところヨーダは、魔王の武器である魔法の杖を逆に理由して、魔王を倒そうと考えているのだ。


「……暴発する可能性のが高そうな気がするんだけど」


 サラス曰く、魔法の杖は「止まっているわけじゃない」らしい。

 動かしたら衝撃を与えることで爆発するかもしれないとのことだった。

 そもそもロボク村からムングイ城へ運び込むこと自体、リストのあることだった。


「だろうな。まっ、そっちはあんま期待してねぇよ」

「そっちは――ってことは、他に理由があるのか?」

「ああ、エレクトリカルパワーが欲しい」

「エレクトリカルパワー?」

「ヤツらがそう言ってたぜ」


 エレクトリカルパワー――語学力の乏しい武蔵でも、そのくらいの英語はわかる。

 つまりヨーダが欲してるのは――


「電気か」

「オマエ、わかんのか!?」


 興奮したヨーダに掴まれた肩が、ミシミシという聞こえてはいけない音を奏でた。


「痛い!! 師匠、痛い!!」

「ああ、わりぃ……。

 でも、そうだよな、オマエもヤツらと同じとこから来たんだよな。

 だったら知ってても不思議じゃないよな」

「同じとこ……」


 自分の身体を抱くように両肩を摩りながら、武蔵はその「同じとこ」という言葉の違和感に首を傾げた。


 サキは自分が日本人だと名乗り、日本語を話していた。しかしサキは明らかに人間ではなかった。本人は否定していたが、ほぼ間違いなくアンドロイドと考えてよさそうだった。そうなれば日本語が話せたサティやウェーブと同じである。

 ヨーダの話も含めて、彼女たちの普段使用している言語は、この国の言語ではなく、英語と考えて間違いないだろう。それなのにどうしてアンドロイドは日本語もしゃべれるのか――一つだけ武蔵には思い当たる可能性があった。


「なあ、オマエ、エレクトリカルパワーがどうやってできてんのかわかるか?」


 ヨーダの問いに一時的に考えを中断させられる。


「ヤツらは魔法の杖と同じ仕組みでエレクトリカルパワーを作ってるらしい。

 だから、コイツを調べれば、なにかわかるかもしんねぇって思ったんだが、オマエが知ってんなら話は早い。

 前のサティにも聞いたんだけどよ、アイツ、あんときは声が出なかったから、よくわかんなったんだよ」


 パールとサティを迎え入れた理由は、それもあったのかもしれない。

 そんなことを思いながら、武蔵は特に出し渋る情報でもないと、理科の授業で習った記憶を賢明に掘り返した。


「……コイルと、磁石を……」

「待て、こいるとじしゃくってなんだ?」

「えー……コイルはバネみたいな……」

「おい、ばねってなんだ?」

「えーと……こう、鉄の棒をくるくる巻いたやつがコイルで、磁石は鉄の棒で……鉄の棒をくるくる巻いた鉄の棒の真ん中に通す」

「…………………………んで?」

「えーと…………………………以上」

「……え、エレクトリカルパワーってまじないかなんかの類かよ?」

「いや、そうじゃないけど……」

「魔法の杖って、こんなかでっけぇ中に、鉄の棒が入っているだけだったのかよ!?」

「いや、たぶんそいつは違うぞ!?」

「じゃあ、これの中身どうなってんだよ!?」

「待って師匠!! 興奮して魔法の杖をバンバン叩かないで!!」


 衝撃を与えれば爆発するかもしれないと言われている核爆弾を、何のためらいもなく馬鹿力で叩くヨーダに戦慄を覚えながら、武蔵はどうにか魔法の杖から彼を引き離す。

 そもそも魔法の杖と同じ仕組みで電気を作っているというのは、恐らく原子力発電所のことを言っている。根本的に原子力発電と原子爆弾では全く違うのではないかと思う。


 ――違うよな?


 明らかに学の足りていない武蔵に、そもそも発電所がどういう仕組みで電気を作っているのかすら知らなかった。


「んだよ、知らねぇなら最初から素直に知らねぇって言えよ……」


 そう文句を言いながらヨーダは地上へと戻っていった。

 コイルに磁石を通せば確かに電気はできる。それは間違いない。それだけは一言物申したい武蔵だったが、しかしそれで電気が作れる理由がわからないのは事実であり、結局武蔵は自分の底の浅さを思い知るだけだった。


「……うん?」


 ヨーダもいなくなった地下室で、なにかが動いたような気がした。

 目の端が捕らえていたであろうそこには、魔法の杖しかない。


「……………」


 パールの黒呪術は人に対して作用する呪術だが、サラスの白呪術は世界に対して作用する呪術とのことだ。

 サラスはその白呪術によって魔法の杖を止めたようだが、サラスの言葉をそのまま持ってくると「止まってるように、見えている」とのことだった。衝撃を与えれば爆発するかもしれないとも言っていた。では、魔法の杖は今どんな状態になのか? どうして魔法の杖は止まっているのか?


 窯の中央にはタイマーが備え付けられており、その時刻が「03:52:48」で止まっていた。

 しかし武蔵の自分の記憶をどうにか辿る。この場所に運び込まれたときには「03:52:49」だったような気がしてならなかった。


「……これ、本当に止まってるよな?」


 どうしても気になる武蔵は、魔法の杖に触れてみようと手を伸ばし――


「ムサシくーん! って、わわわわわっ!?」

「――っ!?」


 けたたましい音を立てながら、文字通り転がり落ちて来たパールによって中断された。


「ちょっ、えっ、パール!? 大丈夫か!?」


 一歩間違えれば大事になりかねない勢いだったパールを助け起こす。


「えへへっ、踏み外しちゃった」


 派手なスタント張りの様相だった割りには、痛む様子も見せずに照れて笑って見せるが、それが強がりだとすぐにわかる。顔面を強打したのか、鼻血が垂れていた。


「なにやってんだよ、本当に。痛くないのか?」

「ううん、大丈夫」


 鼻血を拭いてあげるのかくすぐったいのか、それとも恥ずかしかったからか、首をブンブンと振るパールは、確かにそれほど痛がっている様子はなかった。


「あっ……やっぱり痛いっ。ムサシくん、なでてー」

「すでに拭いてあげてるだろ」

「そこじゃなくてっ! 頭! 頭ぶつけたの! 痛い!」


 上目遣いでねだるパールの様子は、すでに痛みでどうこう訴えている姿ではなかった。

 この国で頭を撫でることの意味を知ってから、武蔵は以前のように気安くパールの頭を撫でなくなっていた。そのことがパールには不服のように、こうしてなにかを理由にしては「頭なでてー」と強要してくるのだ。


「俺、嘘つく子は嫌いだなぁ」

「ごめんなさいっ」

「はい、素直でよろしい」


 頭を撫でる代わりに、最近では武蔵はパールの手を握ってあげることにしていた。そうしているとパールも満足そうに笑うので、武蔵もすっかり心がほだされるのだ。最早ほとんど父親のような心境だった。


「それにしても、最近よく転ぶよな」

「んー、そうかな?」


 出会った当初は本の虫という雰囲気で、活発な様子を見なかった。そもそもあの本が積まれた部屋で半ば軟禁状態に近かったこともあってか、ロボク村から一時避難しているパティやシュルタといった子供たちと一緒に遊んでいる姿を見てても、明らかに体力不足だと感じた。


「元気なのはいいことだけど、さっきみたいに危ないのは、心配だな」

「心配してくれるのっ?」

「そこで喜ぶ子は嫌いだなぁ」

「ごめんなさいっ」

「はい、素直でよろしい。鼻血も止まったかな?」


 押さえてあげていた鼻頭を離せば、もう何事もなかったように治まっていた。


「少しは気をつけなよ?」

「はーい」


 本当にわかったのか不明だが、それでも手を上げて元気よく返事をするパールに癒される気持ちを感じていると、今度は怪訝そうな顔をしたカルナがやってきた。


「ちょっと、遅いわよ、二人とも。てっきり逃げたかと思ったじゃない」


 普段は閑散としている地下室に千客万来なのと、カルナがなにを言っているのかわからないのとで面を食らっていると、カルナから逃げるように武蔵の後ろに隠れたパールがボソリと呟く。


「あのね、ムサシくん、ごはんできたって……」

「よし、パール、今から市場に行くぞ!」


 パールの消え入りそうな声に、大よその事情を察した武蔵は、咄嗟に彼女を抱えて地下室から逃げ出した。


「ダメよ。パールはいいわ。でもあんたはダメ」


 しかし、回り込まれてしまった。


「なんでだよ、被害は最小限でいいだろ」

「なら被害者はあんただけね。あたしがパールと市場に出かけるわ」

「カルナは料理の先生だろ。生徒のミスは先生がフォローしろよ」

「あれはあんたのために作ったのよ。それをあんたが食べないなんて、人間のクズだと思わない?」

「人間のクズでも、食べた瞬間に人間として生まれてきたことを後悔するよりマシだろ」

「私の料理は、人間として生まれてきたことを後悔するような味なの……?」

「――っ!?」


 白熱するカルナとの言い合いで、地下室への最後の来客者に武蔵は気付かなかった。

 振り返れば、そこには半泣きの状態で突っ立っているサラスの姿があった。


「あ、いや、違うぞ、サラス! 人間として生まれてきたことを後悔するってのは、つまりあまりの味に昇天するというか、これが人間が食してもよかったのかという感銘を受けるというか、人生でこんな味に巡り合えるなんてという感動のあまりというか、そういう類のやつ!」


 今にも大粒の涙が落ちそうで、武蔵は言い訳に成り切れてもいない言葉がしどろもどろだ。自分でもなにを言っているのかわからない言葉は、それでも辛うじてサラスには届いたようで、


「……私の料理、食べてくれるの?」

「うんうん、食べる。食べる」

「よかった。ありがとう」


 泣き笑いのような表情に思わずドキリとさせられる。

 本来、感謝をするのは武蔵のほうだ。少なくとも料理を作ってくれる人には感謝するべきだ。それがどれだけ破滅的な味だったとしても。


「んじゃあ、みんな、サラスのご飯を食べに行こう――って、誰もいない!?」


 振り返れば、そこにはカルナどころか、いつの間にか小脇に抱えていたはずのパールですらいなくなっていた。


「みんなお腹空いてなかったのかな? さっきヨーダもそう言ってたし」


 ――いや、みんな裏切ったんだろ。

 とはさすがに口に出せないでいると、さすがのサラスも勘付くものがあったのか、


「……みんな、私の料理食べたくないの?」

「あー、なんかすごいお腹空いたな! 俺がみんなの分も食べちゃおうかな!」


 再びの湿り気を感じて、咄嗟に心にもないことを口にしてしまった。


「本当に? じゃあ、早くご飯にしましょう」


 後悔しかないが、それでもサラスに泣かれるほうが何倍も心が重くなる。それ以上に足元が重くなっているようにも感じたが、それでも武蔵はサラスの後に続いた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




「……ムサシってさ、やっぱ優しいわよね」

「そんなの当たり前。ムサシくんは優しい」


 隠れてムサシとサラスのやり取りを見ていたカルナに、パールがそこ当然でしょと言わんばかりの言葉を返してきた。


 当たり前。そう、当たり前なのだ。

 だからこそ、二人の時間を作ってしまえば、きっとサラスはムサシに対して抱えた悩みを打ち明けるのではないかと思う。


「……いいの?」

「いいでしょ。あとはサラスの問題なんだから。あたしにできるのは時間を作ってあげるだけよ」

「そうじゃなくて、カルナはいいの?」

「……………」


 パールは人の心を読む。多少の抑えは利かせているとの話だったが、それでも耳を塞いだって聞こえてくる音はある。

 カルナはパールのそういうところが苦手だった。まるで自分でも忘れてしまった封印を覗かれるように気持ちにさせられる。


「……そういうパールはいいの?」

「……よくわからない。だけど、サラスには今まで通りになってもらいたい」

「じゃあ、あたしと一緒よ」

「……カルナも、優しい」

「……ありがと」


 ただパールの能力は苦手だが、パール自身に対してはそうでもないと感じてきていた。魔王の――母親の敵の娘ではあるが、それでも少しだけ距離を縮めてもいいのではないかと考える程度には、パールのことを知ってみようと思ったのだ。


「なにか食べに行きましょうか? 食べたいものある?」

「えーと……サラスの料理以外で」

「……あんた、ホントに、素直になったわね」

「えへへ」

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