第76話 無力なものたち
「んだよ、久しぶりに帰ってきたってのに、歓迎はなしか?」
寺院の最奥、祭壇のような場所。
以前からサラスとヨーダが密談を交わしていた場所。
相変わらず上半身は裸で、隆々とした筋肉を見せつけながら、ヨーダは胡坐をかいて待ち構えていた。その身体にどこにも傷らしきものはない。抉り取られたはずの左肩は、まるであの光景が夢だったと錯覚させるほどに以前のままだった。
唯一、傷らしいものがあると言えば、左頬が赤く腫れているくらいである。
「カルナは久しぶりの再会に感極まって平手打ちだったぜ?」
事情を知らないカルナには、この大事なときに、ヨーダはただただ行方不明になってしまったという認識だ。それがいきなり帰ってきたとあれば、それは嬉しいやら腹立たしいやらでそうなる。今、この場に参加させてもらえなかったことも含めて、恐らく当分つんけんした姿が見られるだろう。
しかし、左頬を摩りながらニヤニヤと笑うのを見て、武蔵は思わず毒気を抜かれてしまう。
ここのところの張り詰めた空気を思えば、本当ならそのやり取りは涙が出るほど表情が緩みそうなものだったが、今はどうしても聞かなくてはいけない。
「……腕は、もういいの?」
その気持ちはサラスも同じだったようで、武蔵に代わって聞く。
「治るまでは帰れねぇ。カルナにはくれぐれも内緒な」とロボク村が未だ魔法の杖の脅威に曝されているなか、勝手な行動に出たヨーダ。「カルナには」と協調していた手前、サラスには報告した。サラスはヨーダの腕のことは既知だったようで、今も同様に大して驚くこともなく事態を受け入れていた。
しかし武蔵は素直に受け入れられない。
「――あんた、アンドロイドだったんだな」
「ちげぇよ。手足だけだ。
なんつってたかな……さい、さい、さいこーだ?」
「……サイボーグ?」
「おう、そいつだ」
「……………」
義手や義足というものは見たことがある。しかしヨーダのそれはそういった類のものとは一線を画している。衣服で隠してしまえば、それは実際のそれと判別できないようなものもあると知っているが、しかしヨーダの場合は裸体の状態でどこからがそうなのか全くわからない。この国でそんなものを作れるわけがない。
「どこで治した?」
「んなもん、わかり切ってんだろ」
その返答に、武蔵は初めてヨーダに対して苛立ちのような感情が芽生えた。
なまじこの一ヵ月、サティの修理に心血を注いだだけに、あっさりとした態度が気に入らなかった。
「んな噛み付きそうな顔で睨むなよ。こっちは病み上がりだぜ?」
「……………」
「――まっ、いろいろ聞きたい気持ちもわかるし、オマエには感謝してっから。だから、あとでなんでも答えてやんよ。
今はその前に話さなきゃなんねぇことがあるからな」
「――っ」
ヨーダは一気にそのおちゃらけた雰囲気を崩すと、今まで見たことないほど怖い表情でサラスを睨んだ。それに対抗するだけの気概は今のサラスにはない。怯えた様子は隠しきれていない。
「――サラス。オマエ、カルナを犠牲にしようとしたな?」
今にも襲い掛かりそうな様子に、堪らず武蔵もその間に割って入る。
「……おい、あんたにそれを責める権利はないんじゃないか?」
カルナが無事だとわかったとき、彼女にしがみ付いて泣いているサラスを武蔵も近くで見ていた。
それを見ていたからこそ、そのことを責めるのは筋じゃないと感じた。ましてその場にいなかった人間に責められたくない。
「……いいの、武蔵。それは事実だから」
「だけど――っ」
「オレ、言ったよな? それは弱いヤツの選択だ」
「……………」
ヨーダはまるで武蔵がいないものとして、話を続ける。
「何かを犠牲にしてもいいって考えるやつは、これから先もっと大きな犠牲だって許容しようとする」
「私は……」
「そんなやつに、王たる資格はねぇよ」
「ヨーダっ!!」
それはサラスがすでに悩みに悩んでいることだった。この一ヵ月のサラスの逡巡を見ていればこそ、そんなことは言えないはずである。
しかしお前は黙っていろと言わんばかりに睨みつけられる。
間近でのその迫力に、武蔵は一歩足が下がる。
「……………」
「オマエには、王様の資格はねぇよ。
だからよ、こっから先はオレが指揮する。
オマエはせいぜい次の国王を生むのに専念すりゃいい」
「……はっ?」
ヨーダの言ってることがわからず、思わず素っ頓狂な声を出す。
「ちょうどいいのがここにいんだしよ」
「――はぁっ!?」
つまるところこれはサラスの頭に触れてしまった下りの続きだ。
下世話な仲介人よろしく、ヨーダは仕切りにサラスと武蔵をくっつけようとしている。その姿はこんなときでさえ持ち出してくるほど強引だ。武蔵としては「こんなときに」とも言いたくなるようなタイミングだが、
「……それもいいかもね」
なんてサラスが言うので、武蔵は思考停止一歩手前まで追いやられる。
一歩手前で済んだのは、あくまでサラスが「それもいい」なんて表情をしていなかったからだ。俯き加減で、長い黒髪が表情に影を落としていた。
「……ちょっと、考えさせて」
そう言ってサラスは、とぼとぼと部屋を後にした。
その後ろ肩があまりにも華奢に見えて、砕けて落ちてしまいそうに見えた。その肩を支えてあげたいという気持ちから自然と口が開く。
「……今回のことで、一番無力感に苛まれてるのはサラスだよ」
「そりゃ違うな。今回のことで、一番無力感に襲われてんのはオレだよ」
「えっ?」
「先代が裏切者のオレを許す条件が二つあってよ。
一つはこの国のために尽くせってヤツで、もう一つはアイツに普通の幸せを与えて欲しいってヤツだ」
「それは……」
「普通の幸せってなんだよ。クッソむずいな。オイ」
ヨーダが武蔵とサラスをくっつけようとしている理由をなんとなく察して――察してしまって、頭を振り回したい衝動に駆られる。そんなもの聞かされて、そんなこと期待されて、どうしろって言うのか。
「カルナのことは、アイツに非はねぇよ。
オレの判断ミスだ。オレがアイツらのそばを離れたせいだ。それでアイツらにツライ選択をさせちまった。まさかヤツがサラスに直接被害を与えるなんて思わなかったし、なによりサキにそれを伝えてないなんて思わなかった。
全部、オレがミスっちまった。今回はオマエのお陰でどうにかなったけど、それはホントに運がよかったってだけの話だ」
「なぁ、師匠」
大人の泣き言を聞かされるのは、まるで将来が暗くなっていくような気分で辛い。頼もしく感じて、師匠と慕った人からではなお辛い。
そんな姿を見せるなという苛立ちも含めて、武蔵は聞かなくてはいけないことを聞いた。
「――師匠は魔王の手下だったのか?」
「……………」
『オレは、帰る場所をなくしちまったんだ』
以前ヨーダが口にした言葉だった。自身を『裏切者』とも呼んだ。手足が機械化されているのも含めて、間違いようのない事実だろう。加えて――
「……あんた、カルナの母親を殺したのか?」
「―――――」
追い詰められた獣がどんな顔をするのは、初めて知った。
先ほど睨まれたのなんて、猫に威嚇された程度に感じるほど、それは恐ろしい形相で――それでも武蔵は聞いておかないといけないと思った。
それは聞かなければ、いつかカルナとヨーダの間で徹底的な間違いを犯す気がしたのだ。
幸いには、その恐怖は一瞬で、ヨーダは冷静さを取り戻すと、
「……誰から聞いた?」
「誰からでもないよ。カルナから母親が殺されたって話を聞かされて、その相手がどう考えてもヨーダにしか思えなった」
「……そうか。……そうかよ」
そう呟くとヨーダは機械の腕で自分の顔面を握り潰さんする勢いで掴みかかった。それは涙を堪えてるようにも見えた。
いつまでそうしていただろうか。しばらくして、ヨーダはそのまま表情を隠したまま、口にした。
「――そうだ。オレがアイツの母親を殺した」
「……なんで、だって……あんた、奥さんを……」
「……それは違うな」
「――?」
「そうだな――強くて、カッコよくて、奥さんになって欲しかったヤツだが、そうじゃなかった」
「えっ……でも……」
カルナはヨーダのことを「お父さん」と呼んでいた。
「オレはスルヤを――カルナの父親が殺されるのは目の前で見て、んで怖くなってヤツに寝返った。
そのせいで好きだった女性を殺してしまった、誰よりも無力な男だ」
どうしてカルナが「お父さん」と呼んでいるのはわからなかった。
しかしそんな疑問をぶつける前に、ヨーダはさらに衝撃的なことを口にする。
「――それは今も続いてる」
「えっ?」
「オレは、今だって、魔王の手下だ」
「……………」
腕をどこで治したかの問いに「んなもん、わかり切ってんだろ」と答えた。
そう、そんなこと本当にわかり切っていたはずなのに、武蔵はその告白にただただ立ち尽くすだけだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
怪我の治療に一ヵ月も要した。どうしてそうなったのか、サキにはわからなかった。
核爆発を記録してから、一ヵ月間が空白になってしまっているため、サキの認識はその期間を怪我の治療に使ったということにした。
空白なのは別に構わなかった。
しかし問題なのは一ヵ月間も家を空けてしまったという事実。
――”あの人”はさぞ心配なさっているはずです。
こんなにも長いこと”あの人”と離れたことはなかった。
どれだけ心配をされているか、想像するだに胸が締め付けられる。
しかしサキの心は疑問が占める割合のほうが多い。
――どうして探しに来て下さらなかったのでしょうか?
そしてそれ以上を占有する不安。
――バレていないでしょうか?
言わずもがな、武蔵のことである。
ウェーブの実験場では、彼の痕跡は核実験の失敗と言う形で無理やり消し飛ばした。これでもかと言うくらいの出力で、万が一にも証拠品が残らないように、最大火力で整地した。
今回もそのつもりだった。
少なくともプリムスとマリウスの行動ログはどんな手段を使ってでも完全消去しなくてはいけなかった。
しかしその二体はすでに無くなっていた。
誰が持ち帰ったのかは容易に想像ができる。あの二体が壊れた場所にいた人物はサキを除いて三人しかいない。うち”あの人”と接触の可能性が薄い二人が持ち帰ったのであれば、まだいい。
しかし、ヨーダが持ち帰っていたとなれば――
夫婦に隠し事は付き物である。
しかし文字通り核爆弾級の隠し事の発覚の可能性は、サキの心にもそれ相応の風を吹かせている。
その風に急かされながら、無骨な我が家へと帰り着く。
「……ただいま、戻りました」
もしかしたら、長いこと留守にしていたことを怒られるかもしれないと、そんな可愛らしい不安と、そしてちょっとした期待も場違いながら感じていた。
二人はまだ夫婦喧嘩というものもしたことがなかった。
「やあ、遅かったね」
しかし”あの人”は、待ち合わせの時間にほんの少し遅れてきた相手に対してするように、軽い挨拶を返してきた。
「……はい、申し訳ございませんでした」
ほんの少しどころの騒ぎではないはずである。その反応があまりにも簡素なもので、サキは少なからずモヤモヤしたものが胸に広がるのを感じた。
しかし同時に、そのいつもと変わらぬ穏やかな態度に、安堵する気持ちもなくはない。
――気付かれてはいないということでしょうか?
”あの人”の態度に不満がないことはないが、それでもそれは最良であった。
この生活が続く限りは、多少の不満は付いて回っても、それでもサキは心穏やかに過ごせる自信があった。
「あの、長いこと留守にしてしまい、大変お腹を空かせてしまったのではないでしょうか?
すぐに食事のご用意をさせて頂きます」
早くいつも通りの生活に戻りたい。そんな焦りが多少なりともあった。
「いいや、大丈夫。私のお腹が空くことはないよ。
そんなことよりも、君がいない間に、とても素晴らしい発見をしたんだ」
しかし、そんな焦りは、二度と戻らないところに転がっていく。
「ぜひ、一緒に見て欲しいんだ」
”あの人”が持ち出してきたのは小型のモニター付き再生機だ。
――ああ。
まだ真っ黒い画面だけを映す画面に、これから何が映し出されるのか、見る前からわかってしまった。
だってそれは、自分が見てきた光景だったからだ。
――終わり、なのですね。
涙は流れなかった。
ただ、流れるような感覚だけは、サキのなかで確かにあった。
そこに映し出されたのは、よく知るアンドロイドが片足でどうにか立ち、両手を広げている光景。十字架のようなその姿は、しかしサキに贖罪を聞き届けたりはしないだろう。
思わず目を閉じる。しかしサキに必要なのは耳を塞ぐことだった。
次の瞬間、響く声は、その再生機の限界もあって、サキにはまるで悪魔の産声に聞こえた。
曰く、
『聞けえええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ、アンドロイドオォォォォォォォォォォォ!!
俺はあぁぁぁぁ、異世界から来た男だあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
そこで映像は止まった。
もうその先は必要ないと、”あの人”が止めたのだ。
”あの人”はとてもとても清々しい顔をしていた。まるで何十年来の友人と再会したような、そんな表情だった。
「この声、このアンドロイドの声じゃない。では、一体誰の声だろう?
そこでこのアンドロイドの姿を引き延ばしてみた」
――ああ。
再度、心の中で呟く。
「この子が、この声の人物だね」
”あの人”が指を指したその先には、サキもよく知る日本人の姿があった。
――終わり、なのですね。
終わりの始まりだった。




