第06話 特に理由のない暴力が武蔵を襲う
――どうしてこうなった?
牢屋から場所を移して、ここは恐らく道場――のような場所なんだと勝手に判断する。
板張りの床は剣道場を思い出させる。
そこで何人かのギャラリーに囲まれて、武蔵は女戦士と相対している。
お互いの手には木刀が握らされている。
普段握りなれた竹刀とは違う、僅かな重みが違和感を与える。
――どうしてこうなった?
大男は審判役だろう。武蔵と女戦士の間に立ち手刀を突き出していた。
恐らくその手刀が切られれば開始の合図だ。
武蔵と女戦士は決闘をさせられる。
――どうしてこうなった?
女戦士はこの決闘が不服なのか、それとも手にある獲物が真剣ではないのが不服なのか、不機嫌そうに木刀をくるくると弄んでいた。
――どうしてこうなった?
その問いに唯一答えられるサラスを見る。
しかし彼女はその疑問に答えてはくれなかった。
◇
お互いの名前を確認しあった後、サラスが何事か大男に告げたかと思うと、大男はすぐに牢屋の扉を開いたのだった。
――出てもいいんだよな?
恐る恐る牢から出ると、大男は何事か告げながら武蔵の背中を叩いて笑いかけていた。たぶん「よかったな」と、そう言ったのだと思う。あまりにも力強い一撃だったので、一瞬ミンチにするために追い出されたのかと思った。つい直前には激昂して、鉄柵をひん曲げた男のやることと思えない。随分と感情の起伏が激しい男だ。
一方、女戦士のほうはと言えば、終始、武蔵のことを睨みっぱなしだった。
牢から出てすぐにどこかへ行ってしまった大男とは違い、武蔵の後ろをぴったりと付いてきていて、武蔵はずっと落ち着かない気分だった。
快く思っていないことは間違いない。
そもそも、突然、女湯に現れた男を快く思うほうが無理だろうが。
牢から出された武蔵は、サラスが「ついてきて」と言うような身振りをしたので、ただついて行った。
なにか事情説明してもらえるのを期待したのだ。
サラスからしてみれば、武蔵はただ自分の裸を覗き見た変質者だ。
それなのに武蔵のことを警戒する素振りを全く見せず、それどころか快く受け入れている節すらある。
思えば"ココ"に来た際、目の前にいたのがサラスだった。
ならば、武蔵がここに来た理由はサラスにあるとしか思えない。
「ねえ、サラス。君が俺をここに連れてきたの?」
思わずそう聞いたが、サラスは困った顔をするだけだった。
演技ではなく、本当にわからないのだろう。
日本語は通じない。
彼女にいろいろ聞くには、まず、彼女たちの言葉を覚えないといけないのだ。
――何ヵ月かかるんだ?
小学校五年生から英語の授業を受けるようになり、三年が経つ。それでも英語なんて全く喋れる気がしない。時間を作り、辞書を引き、推敲を重ねてようやく会話できる程度だ。
なのに何語かもわからない言葉を喋れるようになるなんて、一体どれだけの年月が必要になるか想像もできない。
――冗談じゃない。
真姫の顔が思い浮かぶ。何か月も帰らないわけにいかない。
先ほどサラスと名前を呼び合い、通じ合えたことに感動した。それは間違いない。
英語が嫌いだった武蔵が、帰ったらもっと外国語を勉強して海外に出ていくのも悪くないと思う程度には、それは武蔵の価値観を変える出来事だった。
ただ、それとこれとは話が別だ。
日本語の喋れる人を探すしかない。
それが一番現実的な解決策だろう。
「ねえ、サラス、俺と同じ言葉を喋れる人を知らないかな?」
サラスは武蔵の言うことに、一々顔を向けて、困ったように首を傾げてくる。
それが一々可愛くて、武蔵はそれ以上の追求ができなくなるのだった。
ずいぶんと長い距離を歩かされた。
牢屋から出て、一度外に出て、あまりに鬱蒼としている木々にびっくりして、次に連れてこられた巨大建造物でさらに驚かされた。
城――というより、寺院と呼ぶべきだろう。
ここまでの道のりで見てきた景色も、町や村というより、遺跡のようだった。
現代日本ではなかなかお目にかかれない石造建築物に、すでに日本ではないと薄々感じていた武蔵の予感を確固たるものにした。
――本当に、どうやって帰るんだよ……。
歩けば歩くだけ異国の地にいる実感が強くなり、それに比例して不安感も強くなっていくのだった。
寺院のなかに入ると、何人かの人とすれ違った。
ずいぶんと多くの人が暮らしているようだったが、みんな大男や女戦士のような恰好をしていた。恐らくここの警察か警備か軍隊か、そんな役割を担った人たちなのだろう。
――この女戦士もサラスの護衛なんだろうな。
女戦士へ振り向く。
目が合うとますます眼光が鋭くなる。苦笑いを浮かべながら、正面へ向き直るしかなかった。
◇
そうして連れてこられたのが道場だった。
警察か警備か軍隊かの人たち数名が、各々木刀を振ったり筋トレに努めたりしている。
そのなかで大男が木刀を杖にして待ち構えていた。
どこかへ行ったかと思ったら、どうやら先回りしていたようだ。
武蔵達がやってきたのに対してニカッと笑いかけた。
思い思いに鍛錬をしていた人たちも、それに気付いてこちらに注目し始める。
一体なにが始まるのか――。
「えっ?」
教えてもらいたいと思っていた矢先、大男が木刀を武蔵に差し出した。
切っ先ではない、柄のほうを向けて。
「いや、あの、これは……」
受け取ることを躊躇していると、大男は押し付けるようにしてきたので、思わずその柄を掴んでしまった。
サラスもどこからか木刀を持ってやってくる。
そしてそれを何事か告げて、女戦士に差し出す。
差し出された女戦士はなにか非常にショックを受けたような表情をしたあと、今まで以上に怒気を孕んだ視線を武蔵に投げかけてきた。
目尻に涙の影が伺えた。それが何によるものか武蔵にはわからなかった。
女戦士は乱暴にサラスから木刀を受け取ると、武蔵と向き合うような位置へ移動してきた。
――これは、つまり。
女戦士が木刀を構える。剣道で言うところの正眼の構えだった。
――試合をしろと?
いや、ルールが明確でない以上、決闘と呼ぶべきだろう。
いや、そもそも武蔵になにも事情説明がなされていない。
古代ローマではコロッセオで罪人を殺し合わせていたらしいが、これはそれと同じようなものじゃないのか。
牢を出されたことをもっと深く考えるべきだったのではないか。
これはつもり、覗きの罪による公開処刑。
「え、そんな流れだったっけ?」
助けを求めるようにサラスに見る。すでに彼女には二度助けてもらったわけで、そんな彼女にさらに助けを乞うのは情けなさの極みではある。
しかし、先ほどの牢での交流はなんだったのか。
あの感動は武蔵により強烈な絶望を叩きこむために用意されたものだったとしたら、あまりにも惨すぎる。
そしてサラスはそんなことをするような人間には見えない。
しかし、サラスが武蔵に向ける視線は、これから起こることを羨望するような熱い視線だった。
武蔵はそれを知っている。
宮本武蔵が試合場に上がる期待。
それらと同じ視線だった。
途端恐ろしくなる。
自分が全敗の剣士であることを思い出してしまう。
「あのっ! ちょっと待って!!」
武蔵が叫ぶのと、大男が手刀を切るのは同時だった。
そして女戦士が驚くほど見事なすり足で武蔵に肉薄する。
完全に風呂場の光景の焼き直しだった。しかし今回はそこに割って入る人はいない。
武蔵は情けなくも木刀すら構えることができず、女戦士による面打ちをもろに受けた。
痛みを感じる時間すらなく、武蔵は本日二回目の失神を起こすのだった。