第68話 弱い者の選択肢
『五年前。
私は先王ラジャスに仕えた一人であった。
サラス様の――バリアンの予言を信じ、”勝利の加護”を持つ戦士を担ぎ、魔王に戦いを挑んだ一人だった。
後悔しかない。
私は誰よりも近くで魔法の杖の威力を目の当たりにしながらも、生き残った。
いっそ死ねればよかった。
たまたま飛んできた岩石によって守られた私は、熱波で蒸発していく仲間たちの姿を見た。
今にして私は思うのだ。彼らは運がよかったのだと。本当の地獄は、そのあとに訪れたのだから。
魔法の杖は全身の肉を焼き、それでも死ねなかったものは、決して引くことのない熱と乾きに苦しめられる。
魔法の杖の毒でやられた人間は――ひどいものは人間でなくなった。
全身が爛れて、血反吐糞尿を撒き散らし、鉄板の上で焼かれてのたうつ芋虫のようにして亡くなった。
私自身、岩石によって守られたとは言え、その場の熱で全身に重度の火傷を負った。毒の影響は少なかったが、それでも早く死なせてくれと、そればかりを祈っていた。
しかし私は不幸にも生き残ってしまった。
死にたいという思いは届かず、女神に見放された私に残ったのは、恐怖と、後悔と、絶望だけだった。
もう二度と、あのような光景は見たくない。
とにかく逃げなくてはいけないという気持ちに支配された私は、ただただ魔王から、そして魔王の脅威に曝されているムングイ王国から逃げた。
逃げた先での新しい生活は、しかし私に安寧をもたらすものではなかった。
本当はわかっていた。この島で暮す限り、魔王の脅威から逃れられる術はないのだ。
サラス様から「ここを魔王が狙っている」と忠告を受けたとき、潮時だと思った。
本当にこの場所で魔法の杖が使われるのであれば、無駄な抵抗などせずに、あの熱波で全員消え去ってしまったほうがいい。
私はサラス様の避難の申し出を断った。
しかし私の考えとは裏腹に、魔法の杖はこの村ではなく、この村の近くに使われた。
結果、訪れたのは、私がもう二度と見たくないと思っていた地獄だった。
思い知らされた。
どうせ死ぬのなら、苦しまずに、消えるように死にたいという願いすら届かない。
あの地獄から逃げることなんてできない。
この世界には絶望しかない。
魔王の使いと名乗る少女が訪れたのは、そんなときだった』
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「これが村長の残した遺書です」
「……そうですか」
慌てて筆を置いたという風に、突然に終わってしまったその遺書は、しかしその唐突の終わりがまた彼の恐怖と絶望を如実に伝えてきていた。
恐らく、筆を執っている最中に魔法の杖が発見されたのだろう。もしかすれば今にでも使われるかもしれない魔法の杖を前に、この世の最期の言葉も途中でに投げ出して命を絶ったのだ。
手紙に残された彼の血がそれを物語っていた。
サラスは彼の執務室で横たわる村長の遺体をもう一度確認する。
頭に風穴が開いているというのに、安らかな表情をしていた。
魔法の杖の恐怖を誰よりも知りながら、魔法の杖をこの村に持ち込んだ張本人にして、村人を全員魔法の杖の犠牲にしようと企んでおきながら、自分は別の手段で先にその恐怖から逃げ延びた。
「――卑怯だわ」
村の代表でありながら、その在り方とは真逆のことをしてのけた彼に対して、サラスは同じく人の上に立つ人間として、あえて侮蔑の言葉を投げる。
しかしそこにあるのはただただ悲しみだけだった。
記憶にはなくとも、父に仕えていた頃の彼の豪勇さを聞いていたからこそ、その彼を容易に変容させてしまうものが存在することを嘆かずにはいられない。
「サラス様、村長の持っていたこれですが……」
ナクラが遺書に続いて差し出してきたのは、ピストルと呼ばれる武器だった。
砲身の長いものであればムングイ城の武器庫にもあるが、その命中精度から使い物にならないと持ち出されることすら稀だった。しかしそれは片手でも簡単に扱えるほど小型のもので、恐らく狙いも正確に付けられるのだろう。
「……魔王が所持していた武器の一つですね。これで自分の命を絶ったのでしょう」
「それを村長が所持しているということは、本当に村長が魔法の杖を……」
「あの給水車を手配したのも村長です。たぶん、間違いないと思います」
「そんな……どうして……」
手紙から彼の心境は知れたが、それでも受け入れ難い部分は多い。できれば話をしたかったと、もう叶わぬ願いを胸の奥に押し込める。今にして思えば、給水車の話をされた時点でもっと問い詰めるべきだった。それは一体どこから手配したのか。あんなものを用意できる者など、この島では限られているというのに。
もっと早く気付いてもよかったことを、サラスは気付けなかった。ムサシに気を取られて考えていなかった。王様失格だと、改めて思い知らされる。
――ムサシ……。
それでも彼のことを考えてしまうのは、最早病気なのではないかと思う。
魔法の杖の問題はこれで一先ずは解決した。
サキの情報に間違いだった。ここを狙った魔法の杖がすでにロボク村にあった。であれば遠征に向かったムサシもとりあえずは無事だろう。ヨーダが迎えに行かずとも、いずれ帰って来る。
――いろいろと話をしよう、か。
それがどういう話になるか不安だった。ムサシが元の世界に大切な人を残してきてしまっているのは薄々気付いていた。それがどういう存在なのかわからないけれども、その人のために早く帰りたいと考えていることもわかっている。
なまじそれを約束事にしてしまったサラス自身が不安に思うのはおこがましいことだろうが、それでも状況は変わったのだ。
――ムサシが帰る方法、知っちゃった。
全て偶然だった。
だけどそれが偶然でも、必然的にサラスはいずれ選択に迫られる。
――選択?
それを選択と考えるのもおこがましい。王様である自分はどうすべきなのか、その答えはすでに決まっているはずなのに、ムサシのことを考慮にいれて考えている自分自身の弱さに驚かされる。
自分のせいでこの国を破滅一歩手前まで追いやった。父を死なせ、カルナを独りにして、大勢の人を悲しみと恐怖と絶望のもとに叩き落した。それだけの過ちを犯して、ようやく自分はそういう立場の人間なのだと自覚したというのに、たった一人の少年と国を天秤にかけている。
それは弱い者の選択肢だ。
本来、あげるべきではない選択肢だ。
そう、そんな弱いことを考えてしまうから――
――罰が当たるの。
「そう言えば、村長の持ち物でもう一つ見慣れないものがありまして――」
一人深刻な顔で立ち尽くしていたサラスは、ナクラが持ってきたそれを見て、思わず息を止めた。
「これはなんでしょう?」
はた目から見ても重量感のある歪な球形の鉄の塊。
見覚えがあるなんて言うのも躊躇われるそれは、先ほどサラスが止めたばかりの魔法の杖をそのまま小さくしたものだった。
サラスが止めたものと連動していたのか、幸い、数字の羅列は動いていない。止まっているのだろう。
しかしここで下手にナクラを驚かせて落としたとあっては一大事だ。なにがあって起動するかわからないのだからと、考えている矢先――
「The explosion sequence has been activated!
Repeat, the explosion sequence has been activated!
All employees proceed to the emergency shelter within 30 minutes!
Repeat, all employees proceed to the emergency shelter within 30 minutes!
Repeat――」
「――っ!?」
突如なり響いた大音量に、ナクラは驚いてそれを取り落とす。
サラスはどうにかそれを受け止めるが、それでも魔法の杖の想像以上の重さも相まって派手に転げてしまう。
「サラス様!? すみません! 大丈夫ですか!?」
ナクラの慌てた声は、すでにサラスの耳に届いていない。
本当は今すぐにでも放り投げたかったが、その気持ちとは裏腹に、サラスは魔法の杖をまるで大切なもののように抱えたまま動けなくなってしまった。
目の前で数値の羅列が動き始めているのが見えた。
それが三十分程度の時間しかないことを計算するのに、一分も時間を要してしまい、さらに絶望する。
もう一度、魔法の杖を止めることはできる。ただしその場合、今度こそサラスはここに戻って来れなくなる。
次にバリアンの力を使ったら最後だと――それが女神ラトゥ・アディルに教わったいくつかのことの一つだった。
サラスに選択が迫られる。




