第66話 白呪術
「それで、どうするのよ、これ?」
眠るパールを抱えたカルナが、半球状の物体を顎でしゃくった。
パールに村人の混乱を治めてもらったはいいけれども、それからどうしたらいいかはこれから考えるとも言えず、サラスは魔法の杖をただ無言で睨んだ。
魔法の杖の中央で絶えず動いているの数字の羅列は、魔法の杖が発動するまでの残り時間だろう。
一秒で一ずつ減っていく数字から、ざっくりまだ四時間程度はあることだけは計算する。
四時間で村人全員を避難できるか考えて、難しいだろうとサラスは結論付けた。
健常な人は走って逃げればあるいは魔法の杖の効果範囲から逃げ延びれるだろうが、この村には怪我人や病人が多い。騎士団が全員残っていれば人手も足りただろうが、すでにその大半をムングイ城に帰してしまっている。今から呼び返すにしても時間が足りない。
逆に魔法の杖自体をどこかへ運び出すことも考えるが、ちょっとした小屋程度もあった桶から出てきたそれは、桶が吹き飛んでもなお大きく見える。四時間で村に影響が出ない場所まで運べるか疑問だった。
なにより確実に一人犠牲を出す結果になる。
『誰か一人を犠牲にしても、全員が助かればそれでいいって思ってるだろ?』
ヨーダの言葉を思い出してしまう。
自分を見つめるカルナの視線から、なにを待っているのかわかってしまい、余計にサラスはその結論を出せないでいた。
ヨーダがいればあるいはとも思わなくはない。ここに来てサラスは、自分がムサシにかまけていたことを強く痛感する。
自分がムサシのことばかり心配していなければ、ヨーダはこの場に残っていたはず。ムサシのことばかり気にかけていなければ、この給水車が一体どこから来たのか考えが及んでいてもよかったはず。
どうしても後悔ばかりが頭を過る。
「サラス、あたしは大丈夫だから」
なかなか言葉を発しないサラスに、じれったいものを感じたのか、カルナがそう背中を押してきた。
パールが静めた村人たちは遠巻きから不安そうにサラスの決断を待っていた。せっかくパールが頑張ったのに、このままではまたいつ混乱が生じるかわかったものではない。
「――なにが大丈夫なの?」
「……サラス?」
「カルナ、なにも心配しなくていいの。
見くびらないで。カルナが犠牲になることなんてないんだから。
私はバリアンなの。このくらいどうにかするのなんか簡単なんだから」
「それは……どうやって?」
カルナが疑りの眼差しを向けてくる。自分を犠牲にしたくがないために、サラスが強がりを言っているのだと思っているのかもしれない。
事実、サラスにはこのくらいどうにかする手段はあった。
――そう、これは私が王様としての覚悟が足りなくて招いてしまったこと。
――犠牲が必要なら、それはカルナじゃなくて私でなくちゃ駄目。
「皆さん、安心して下さい!
今からバリアンの力で魔法の杖を止めます!
ですから、どうかそのまま落ち着いて下さい!」
全員に呼び掛けてから、サラスは半球状の物体に近付いていく。
物体の全長を把握して、能力の効果範囲を定める。
ひんやりと冷たい物体に手を触れて、そして祈る。
――止まって。
人に対して作用する呪術がレヤックだとすれば、世界に対して作用する呪術がバリアンである。
正確に言えば、人の感情を読み取って操ることのできる呪術がレヤックだとすれば、世界の情報を読み取って操ることができる呪術がバリアンである。
しかしサラスは生まれてこの方、その力を使ったことが一度しかなかった。
世界の情報を読み取るとは、文字通りありとあらゆる情報が一個人の頭に叩き込まれていくことであり、その膨大な情報量は人一人で到底処理し切れるものではない。
歴代バリアンのほとんどはどこか精神を病んでいたか、壊れた人形のようで、サラスの母親もそうだったと言う。
世界から読み取った情報を絶えず口から垂れ流し、いつしかそれは予言のように扱われた。
幼いサラスもまた、バリアンの力を行使して、そしてやはり壊れた。意識があるのかわからない状態のまま一日呆けて過ごし、ときどきうわ言のように予言めいたことを口早に告げ――そしてこの国を無謀な戦いへと駆り立てた。
その状態から回復したのは、単に奇跡としか言いようがなかったそうだ。
サラスとしてもそのときの記憶のほとんどは忘却の彼方だったが、それでもただ恐怖だけは強く残っている。
自分が自分でなくなる恐怖。
それは死ぬことと何も変わらない。
その恐怖を決して表情には出さず、サラスは今、極局所的にではあるが、バリアンの力を使おうとしている。
それも読み取るだけに留めず、操るところまでである。
――お願い。止まって。
ひたすらに祈る。
魔法の杖に対して、まるで時間に干渉するように、祈る。
その祈りが届くという自信はあった。
――誰か一人を犠牲にしても、全員が助かればそれでいい。だから。
――お願い、止まって!
◇
「……………?」
気付けばサラスは空に放り出されていた。
圧倒的な浮遊感。身体中でなにかが蠢いているような異物感。嫌悪感さえ覚えそうなそれらの感覚は、しかしサラスに不安感は与えず、どこか愛おしいような気分にさえさせる。
――ここはどこなの?
足元には踏みしめるべき大地はない。しかし見下ろせばそこに、これでもかと言えるほどに大きさを主張する青い星が見える。天を仰げば飲み込まれるような夜空と太陽が見える。夜に太陽が昇っているなんて不思議な気分だった。でも――
――この景色、見たことがある。私はこの場所を知っている?
「あら、こんにちわ」
「―――――っ!?」
まさか話しかけられると思っていなかったので、その呼び声にサラスは驚く。
しかし身体を動かすことができず、その声の主を見つけることもできなかった。
その女性のような声の人物は、サラスの困惑を他所に、さらに話を進めていく。
「七日振りくらいね。まさかこんなに早く、しかもまた会えるなんて思わなかったわ。
今までの巫女だって大体一回しか会いに来てくれなかったのに、三回も来てくれたのは貴女が初めてよ」
「……七日振り? 三回?」
親しみを込めて話をする彼女だったが、サラスにはその声に聞き馴染みすらない。
「あら、やっぱり覚えてないの? 確かにこの前、会いに来てくれたときは、私のことなんてほとんど眼中になくて、あの少年に夢中だったしね。
一年前に会ったときは、貴女まだ小さかったし」
「……あの少年? ……一年前、小さかった?」
彼女の言葉はわからないことばかりで、このまま話続けてもますます混乱するばかりのように思えた。
「あの……貴女は?」
姿の見えない女性の正体と、この場所がどこなのかを確認するため、サラスは聞いた。
女性は面白いことを聞かれたとでも言うように、弾むような声で答えた。
「私はラトゥ・アディル。貴女方が女神と呼ぶ存在よ。
さて、せっかくここまで来てくれたんだもの。女神らしく、貴女の願いを一つだけ叶えてあげるわ」
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
サラスが魔法の杖に手を置いた。
それで劇的になにかが起きたというわけではなかった。
ただ一つ、魔法の杖が稼働していることを唯一示していた数字の羅列、その動きが止まっていた。
あまりに呆気なく、ささやかな変化である。それで救われたのだという実感がすぐには沸かなかった。
「……と、止まった?」
「止まった……のか?」
「助かったのか……?」
「……助かったんだっ」
「助かった!!」
村人から村人へ、魔法の杖が止まったことに対する安堵感が少しずつ伝播していく。
時間が止まったような錯覚は溶けていき、徐々に徐々に歓声が広がっていく。
「……サラス?」
その中で一人だけ時間の檻に取り残されたかのように、サラスだけが動かない。
カルナは慌ててサラスに駆け寄る。
「ちょっと、サラスっ! だいじょうぶ!?」
「……そー、ゆー、こぉとぉ、なぁのー?」
しかし時間の檻に取り残されたように見えたのはカルナの勘違いのようだ。やや間延びした返答だったが、それでもサラスは確かにカルナの声に反応した。
「もう、驚かさないでよね!
なにかあったかと思ったじゃない」
サラスは緩慢な動きで首だけを動かして、ゆっくりと口を開く。その声もどこか呂律の回っていないような、
「……うーん、だい、じょーぶ。……だいじょーぷ。……だいじょうぶ。……うん、大丈夫。
ちょっと……時間が、あわ、あわなくて……意識が、おいて、きぼりな……」
「……ホントにだいじょうぶなの?」
「……うん、ちょっと……疲れた、だけ」
大きく、ゆっくりと深呼吸を繰り返すサラス。
それで少し落ち着いたのか「もう、平気」と笑って見せた。
「なら、いいけど……。
……これ、ホントに止まったの?」
恐る恐る魔法の杖に触るも、それは見た目通りの冷たい感触を返すだけだった。中で動いているのか止まっているのか、カルナには判断できない。
「……止まった?
ううん、これは光になって、動き続けて――」
そこでサラスは口を噤み、目を瞑ってこめかみを抑えた。頭痛がひどいようで、奥歯を噛み締めて、なにかに耐えているようだった。
「……違う。
うん、うん、大丈夫。もう、止まってるように、見えてるから」
「……サラス、これがほんとに止まったって言うなら、一度休みましょう。今のあんた、やっぱどっかおかしいわ」
眠るパールを背負い直して、カルナはサラスの腕を掴もうと手を伸ばす。
しかしサラスはその手をやんわりと拒絶する。
「カルナ、その前に、やらなきゃいけないこと、あるでしょ?」
「やらなきゃいけないこと?」
「この水が、誰の指示で、運ばれて来たの? 誰が、運んで来たの?
アンドロイドが、持って来たなら、まだいいの。
でも、もし、協力している人がいるのだったら、話を聴かないといけないでしょ?」
「……………」
給水車の中で魔法の杖が見つかってから、カルナ自身もずっと気になっていたことだった。
この給水車を運んで来たのはアルシュナである。
彼女は魔法の杖の存在を知って運んで来たのか?
サラスはアルシュナのことを知らない。単純に彼女は国のリーダーとして、魔王に協力している人間がいるのであれば、その経緯を確認して、必要であれば処罰を与える。そう考えたのだろう。
「……サラス、これを運んで来た人物なら、あたしが知ってるわ。
彼女からはあたしが事情を聴く」
「そう……。
だったら、私は村長と話をしてくる」
決して彼女のことを庇ったわけではない。
ただ、カルナ自身も知っておかなければいけないと思ったのだ。彼女を天国に一番近い場所に置き去りにしてしまったことが、今回の件と関わりがあるのだとすれば、カルナ自身にも責任がある。
――もともと、もう一度アルシュナと話をするって、約束だったしね。
夕焼けの中、意地悪く笑う少年の顔を思い浮かべて、さもすれば逃げ出したくなる自分を奮い立たせる。
こんなことは望んでなんていない。理不尽だと思う。だけど、そう思うから、戦うのだ。




