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第62話 少女たちの不安

 パールはその日、朝から大変ご立腹だった。


 ムサシの様子が昨晩からおかしかった。人の心を読み取るレヤックの能力をできる限り自制しているパールではあったが、その能力を使わずともムサシがひどく失望しているのがわかった。

 そういうときこそ支えて上げるのが将来の奥さんの役割だと思っていたが、抱き締められて、背中を摩られているうちに気持ちよくなって眠ってしまった。目覚めればムサシはサティと一緒に出掛けた後だった。


 むかむかする。非常にむかむかする。

 こういうときこそ支えて上げなきゃいけないのに、それができない自分にむかむかする。


「私たちがついてなくても、サティが一緒だから大丈夫だよ。だから今はムサシの無事を祈って待ってるの。ねっ?」

 なんてサラスは言うが、それもまたパールとしてはむかむかの要因であった。

 なんだかわかり合ってる感じがする。とても余裕そう。


 サラスの心は、パールがレヤックの能力を自制する以前から全く読めなかった。

 元々人の感情を読み取れても、それが「気持ち悪い」とか「怖い」とか負の感情ばかりだったパールからして、感情が読み取れず、それでいて優しく接してくるサラスは、サティと同じくらい、特別な存在だった。


 確かに、いざムサシがサラスに求婚している場面を目撃したとき、パールはそれが不快で、不愉快で、とても悔しいと思ったけれども、よくよく考えて、ムサシが自分もサラスもどっちも奥さんにするというのなら、それはそれで良しと考えた。

 夫婦は死ぬまで一緒にいるものだ。ムサシがパールもサラスも奥さんにすれば、パールはムサシともサラスとも死ぬまで一緒にいられる。それはパールとしてはとても幸せなことだと考えた。


 ――それでも、どうしてかな、サラスからムサシのこと聞くと、むかむかする。


 人の心を読み取る能力に長け、人の心の機微に敏感な少女は、未だに自分の気持ちが理解できないでいた。




 むかむかを抱えたまま、村の広場に出てしまったことを、パールは後悔した。

 冷静さを欠くと、どうしてもレヤックの力を制御できないでいた。


 人の心は醜いものばかりでないことは、パールはもう十分理解している。優しくしてくれる人もいるし、好きだと言ってくれる人もいる。

 それでもやっぱり異質な力を持っているパールは嫌悪感に曝されることが多い。


 気持ち悪い。怖い。こっちに来るな。こっちを見るな。


 普段は最初から意識の外に持ってきているそれらの悪意も、一度気付いてしまえば無視するのが難しい。それどころか普段は意識していなかっただけに、日常的にこのような目を向けられていたことに気付くと、その恐怖はレヤックの力を日常的に使用していた頃の比ではない。


 悪意が怖い。

 悪意しか向けられていない自分が怖い。

 敵愾心が耐え難い。

 誰からも好かれていないという孤独感が耐え難い。


 パールは耳を塞いで蹲る。だけどそれで悪意が届かなくなるわけではない。


 ムサシやサティやサラスにどれだけ支えられていたか改めてわかる。

 彼らがこの場にいたら、どれだけ救われただろうか。

 だけど今は誰もいない。

 誰も味方になってくれる人がいない恐怖と絶望感に、パールは指一本だって動かせなくなる。


「だいじょうぶ?」


「――え?」


 声をかけられたことに驚いたわけではなかった。本心で心配していることを感じられて、パールは驚いて顔を上げた。


「――パティ?」


 蹲るパールに合わせるように、しゃがんで顔を覗き込んできたのは、この村で知り合った少女だった。

 その後ろで、同じように心配しているシュルタの姿も見えた。


「どうしたの? お腹いたいの? ――って、わっ」


 思わずパティに抱き着いてしまう。


「ちょっと、パール、ほんとにどしたの? だいじょうぶ?」


「――うん、大丈夫。ありがとう、ありがとう」


 泣き出しそうになるのを必死で堪えながら、パールは何度も感謝の言葉を口にした。


『人の心は、貴女が思っているよりもずっと複雑で、大切にしなくてはいけないものなのです。それを簡単に踏みにじるような子のそばになんて誰も近付いては来ない』


 かつて母親が言っていたと、もう一人母親に聞かされた言葉だ。

 パールはようやくその本当の意味を少しだけ理解できたような気がした。


 ――お母さん、わたし、もう独りぼっちじゃないよ。


 今はもういない二人の母親に、パールは心の中で報告した。




 しばらくパティに抱き着くことで、ようやく落ち着きを取り戻したパールは、まだ周りの人の感情が一部入り込んできていたが、それでもそれを無視できるくらいまでには回復していた。


 聞けばパティとシュルタは、水汲みに出掛けた帰りだと言う。


「おかあさんに頼まれたのよ」


「おかあさん?」


 パティの母親は亡くなったと聞いていた。

 パールが首を傾げていると、シュルタが捕捉した。


「オレのお母さんのことだよ」


「あのね、シュルタのおかあさんがね、もしよかったら母親って呼べっていうから……変かな?」


 淋しさと罪悪感が入り混じった感情をパールは確かに感じ取った。

 その気持ちはパールが一番理解できる。


「お母さんが二人いるっていいね」


「――うんっ」


 パティはパールと同じような過ちを犯さずに、生んでくれたお母さんのことを大切にしながら、新しいお母さんも大切にできるような気がした。自分が間違えてしまったことだけに、パティの笑顔に眩しいものを感じつつ、それでも純粋に「よかったね」と思うのだ。


「頼まれたのはいいんだけど、ちょっとは手伝えって」


 一人重たい水桶を抱えて、シュルタが訴える。実際に少年の体格には不釣り合いなくらい大きい水桶は、簡単にバランスを崩しかねない。


「あら、力仕事は男の仕事だって言ったじゃない」


「確かに言った! 言ったけど、こんなでかいの渡されると思わなかったんだよ!」


 ロボク村では魔法の杖の被害以来、水不足で悩まれされてきた。

 それが昨日突然現れた超巨大給水車によって改善されたばかりである。ちょっとした小屋くらいある給水車は、なんでも村長が手配したものらしく、今後定期的にやってくるとのことだった。それでも長く水不足に悩まされた村人たちは、自分たちの生活水はなるべく確保しようと各自水桶に貯めているというわけだった。


「男の子なんだから、もうちょっとがんばりなさい。

 シュルタ、将来は騎士団に入るって言ってたでしょ? 騎士の人たちは、もっと重そうなものも持ってたわよ」


「へぇ、シュルタって騎士団になりたいの?」


「最近、そんなこと言い出したのよ。

 でも、ちょっとわかるわ。騎士の人たち、なんかカッコいいじゃない? 憧れるわ」


「えっ、そ、そうかな、えへへ」


 ムサシも騎士団の一人だ。パールとしては将来の夫が褒められているような気がして、悪い気はしない。


「でも、騎士団に入るとしたら、この村から出ていかないといけないじゃない? そうしたらシュルタとはお別れよね」


「はぁっ? なんでっ? 前まではお城の生活って憧れるって言ってたじゃんか!」


 すかさず声を上げるシュルタ。少しバランスを崩して水桶の水を溢しながら、それでもパティに詰め寄る。


「でも、パティはこの村好きだし、はなれたくないかな。おかあさんのお骨だってまだちゃんと流せてないし」


 亡くなった人の肉体は火葬した後、遺骨を海に流すのがこの国の習わしだ。しかし毒の影響が完全に消えたとは言えないため、ここの村人の遺骨はまだ海に帰さずに安置している。


「でもよ、それが終わったあとだって!!」


「そもそも、どうしてパティがシュルタについていくことになってるの?」


「―――――っ!?」


 本当にショックを受けたのだ。シュルタの気持ちもなんとなく察していたパールからしても、可哀そうに思えるほどに本心のその言葉は、シュルタを大きく動揺させて、そして、


「うわっ!?」

「きゃっ!?」


 バランスを崩したシュルタは、そのまま近くを歩いていた女性に水桶をぶつけてしまい、女性諸共派手に倒れたのだった。


「わっ、なにやってんのよ、もう!!

 ごめんなさい、だいじょうぶですか?」


 びしょ濡れにしてしまった女性に謝りながら、助け起こすパティに習って、パールも慌てて女性の腕を掴む。


 ―――――?


「ああ、いいっす、いいっす、大丈夫っすから」


 赤毛を編み上げた女性は、子供の手を借りるのに気が引けたのか、パティとパールの手を優しく振り払うと自力で起き上がった。


「それより、こっちこそ悪かったっすね。ちょっと急いでたもんで、避けれなかったっすよ」


「いいえ、ぶつかったこいつが悪いんです。ほらっ、シュルタもあやまって!」


 パティに叱られるも、シュルタはまだ先ほどの発言のショックから立ち直れないのか、心ここにあらずという雰囲気で尻餅をついたままだった。


「ああ、本当にいいっすよ。

 それより――うちの顔になんかついてるっすか?」


「あ、いや、そういうわけじゃないです」


 じっと女性を見つめていたパールは、慌てて首を振った。


「お嬢ちゃん、その格好――それにどこかで――」


 しかし今度は逆に女性のほうが観察してきたかと思えば、


「――まっ、いいっす。んじゃ、急いでるんで!」


 本当に急いでいると言うように、走り去ってしまった。


 パールはその走り女性の後ろ姿を見ながら、女性の腕に触れたときに流れ込んできた感情を反芻した。


 ――哀れみ、憐み?


 たまたま見えてしまった程度では複雑な感情は、そう解釈する他なかった。

 ただ、それがレヤックとして知ったパールに向けられたものというよりも、この場にいる全員に対してのものであったことに、少し違和感を覚えた。


 ――ごめんなさい。


 胸中で謝罪をして、パールは女性の心境に手を伸ばした。

 人の心を暴くことはよくない。だけど、それ以上によくない予感がパールを駆り立てた。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※




 太陽が高い位置を超えてしばらくが経つ。

 時計がないので時間間隔をそれでしか把握できないためか、サラスは空ばかり確認していた。

 武蔵とサティが出発したのが日の出すぐ。目算ですでに八時間は経過していた。サキが示した場所まで馬の脚であれば往復四時間程度で帰って来れる。途中休憩したり目標がなかなか発見できなかったことを考慮しても、そろそろ帰って来ないとおかしい。目標位置が本当に正しかったのか、サキを問い詰めたくても、彼女もすでにここを発っていた。

 


『私たちがついてなくても、サティが一緒だから大丈夫だよ。だから今はムサシの無事を祈って待ってるの。ねっ?』


 パールにはそう諭したサラスだったが、内心では不安で堪らなかった。ムサシになにかあったのではないか、そう思うだけで、祈って待っているだけではいられない。


 自分はおかしくなってしまったと、サラスは思う。


 凡そ三十万の人命を預かる一国の主である。十五という若さで預かるにはあまりに重い人命を背負い、そして魔王という脅威によって少なくない命を散らしてしまっても、なお彼女は懸命にその重圧に耐え、そしてより多くの人が安心して幸せに暮らせるように努めてきた。


 だと言うのに、たった一人の少年の命に対して、どうしてここまで深刻に感じてしまうのか。


 彼がこの国の命運を握る存在であるから――違う。すでにそんな一つの駒として見ていないことを、サラス自身は自覚している。

 サラスはすでに、ムサシのことを特別な、何者にも代え難い大切な一人であると思ってしまっている。


 それはサラスの考える一国の主としての心構えとして、凡そ最低な状況であった。


 国民三十万人、一人として代えがたい命である。でも、もし一人の犠牲によって国民が助かるのであれば、サラスはそれを命じなければいけない立場である。断じてロポク村約五百人の命を蔑ろにして少年一人の命を大切にしていいわけがない。ましてやムサシはムングイの国民ではないのである。

 だからサラスはムサシとサティに偵察を命じたことを間違いだと思わない。それなのにかつてない後悔がサラスを襲うのだ。


 原因はわかっている。ムサシから求婚を受けたからだ。

 それも本人にその自覚がないことを、サラスは重々理解していた。

 日常的にパールの頭を撫で回していたことからも、ムサシの暮していた国ではそれが軽い挨拶程度の意味合いしかないことはわかっている。


 そこまでわかっていても、サラスはムサシを意識しないではいられない。

 十五年間、同年代の異性というものに接してこなかったせいもある。同年代の同性でさえ、カルナしか交流がない。

 あまり大切なものを増やしてしまうと、いざというときの決断が鈍る。そう考えて必要最低限の人材しかサラスは自分の傍に置かなかった。

 その結果、遅れてやってきた思春期は、今になってサラスのなかで魔法の杖のような破壊力でもって爆発している。


『帰ったらいろいろと話をしよう』


 出発前にムサシが言ったことだったが、それはサラスとしても望むところだった。


 ムサシのことを意識しないように、ムサシの求婚を受けてからずっと彼を避けてきたが、それでは逆に想いを募らせるだけだった。


 だからこの際、もっとしっかりと話し合いをしたほうがいい。

 ムサシが自分の国に大切な人を残してきていることは、サラスは薄々勘付いていた。彼が帰りたいと強く願っているのも、それが理由であると理解している。

 ムサシがサラスのことを女性として意識しているわけではないと、求婚はただの勘違いだったとわかれば、自分のなかで爆発している感情も少しは納まるだろうと。


『俺のこと、いろいろ聞いてもらいたい』


 ――それはどういう意味なの?


 思わずニヤけてしまうのを抑えられなかった。もしかしたら、もしかしたらがあるのではないかと思ってしまった自分の浅ましさに嫌気が差す。


 そうしてその帰ったらがなかなか訪れず、心配と不安と期待と絶望でサラスは天を仰いでばかりになっていた。


「サラス、オレはそろそろムサシたちを探しに出るぜ」


 そんな折にヨーダがそう提案してきたのは、きっと自分の気持ちが伝わってしまったのだろう。


「――まだ、早いと思うの。せめて一日は待たないと、すれ違いになったらそれだけ村人の避難が遅れるわ。それにヨーダがいない間に、この村でなにかあったら、それこそどうしようもできなくなるわ」


「けどよ、もうオマエが限界だろ」


「―――――」


 顔面が真っ赤になる。ただただ恥ずかしかった。冷静に隠し通しているつもりでいた気持ちが、暗に駄々洩れだったと言われているようで、思わず顔を覆い隠す。


「――わたし、もう駄目なの。王様失格なの」


 さらには泣き言まで飛び出る始末である。さすがにここまで重症だったとは思ってもなく、口にして本当に自分はどうしようもなく駄目な王であるとしか思えなくなる。


「……オレはよ、いいと思うぜ」


「……ヨーダ?」


「サラスはよ、ちょっと人に対して淡泊過ぎんだよ」


「……わたしが、淡泊?」


 自分自身全く思ってもないことを言われて、サラスは思わず聞き返す。


「誰に対しても平等っつうか、みんな一緒っつうか」


「それのどこがいけないの? わたしは王様なんだから、みんな平等に扱うのは当然だわ」


「それってだれも大切にしてないのと、なにが違うんだ?」


「――ヨーダ、わたしもたまには怒るの。確かに、今はムサシのことほんのちょっと意識してるかもしれないけど、それでも国民全員のことを大切に思っているの」


「全員大切に思ってるってことは、誰も大切にしてないのと違わないだろ?」


「それは詭弁だわ」


「誰か一人を犠牲にしても、全員が助かればそれでいいって思ってるだろ?」


「……………」


 思っているとは、言えなかった。

 そうしなければならないときには、そうする必要があるだろうとサラスは思う。

 それこそまさに詭弁だったが、それでも誰か一人の犠牲を許容することは正しいことだとはサラス自身も思ってはいなかったからだ。


「それは弱いヤツの選択だ。誰かを大切に思ってるヤツはそんな選択はしないぜ。

 だから誰かを特別大切に思うことはいいことだってオレは思うぜ。それで人を大切に思うってことが、どういうことかわかんだろ」


「――それを、ヨーダが言うの?」


「……オレだから言うんだよ。

 んじゃ、探しに行ってくるわ」


 意趣返しに近い言葉だったが、それすらも躱してヨーダは出て行ってしまった。

 意地悪や恨み事でサラスは彼を責めたわけではない。

 ヨーダは、もしサラスの犠牲で、国民の多くが助かるなら、そのときは彼女を切り捨ててくれると思っていた。実際にそれに近い約束を交わした。

 だから只々ヨーダの言葉が意外だったのだ。


「――弱い人の選択」


 では、強い人はどんな選択をするのだろうか。

 きっとその答えはヨーダも持ち合わせていない。

 ヨーダだって決して強くないことを、サラスは知っている。


「カルナに甘えてる限り、貴方だって――」


「サラスっ!!」


「――っ!?」


 突然カルナが飛び込んで来て驚く。

 ヨーダのためにも、カルナのためにも、それはあまりにも聞かせたくない言葉だったからこそ、余計に青ざめる。

 しかしカルナはそんなことに気付ける余裕もない様子だった。


「大変っ!! 早くきて!! パールがっ!!」


「……パール?」


 カルナの剣幕にただならぬものを感じて、サラスもまた不安が募る。

 今はサラス側の主要な戦力が欠いている状態でもある。

 普通の健気な少女のように、ムサシの帰りをただ待っているだけにはいかない。サラスは改めて自分の立場を思い出して、パールのもとへと向かう。

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