第50話 少女へ
慌てて追いかけた武蔵だったが、あまりにも呆気なくその後ろ姿を捕捉できてしまったので拍子抜けしてしまう。いや、簡単に追いついてしまったことよりも、むしろその後ろ姿があまりに幼い女の子のシルエットだったことに一番気勢が削がれてしまったわけだが。
あまり運動が得意というわけではなかったのだろう、少し追いかけたところで女の子は膝に手をついて深く深呼吸していた。
「えっと……大丈夫?」
あっという間に追いついてしまった女の子の顔を覗き込むように確認すると、女の子も追いかけてきた相手だということを考える余裕もなくなってしまったのだろう、
「だ、だいじょうぶ、です」
と丁寧に返事を返していた。
水筒でも持っていればよかったのだろうが、生憎水不足で一人当たりに配られる水の量も制限されているなか、武蔵も持ち合わせの水分は持っていなかった。
困ったなと頭を掻きながら、ただひたすら女の子が落ち着くのを待つ。
二つの結われた髪がどこか子供っぽく見えるが、身長を鑑みるにパールと同い年くらいだろうか。そういえばと、この村で暮らす一ヵ月間で何度か見かけたことがあることに気付いた。同い年くらいのやんちゃそうな男の子とよく二人で一緒にいるのを見かけて、パールといい友達になれないかと思ったことがあった。
――こんな子供がサラスに石をぶつけたのか?
ちょっとした悪戯のつもりであれば、子供のしたこととは言え、許されることではない。ただ、男の子のほうであればいざ知らず、ややも気弱そうに見える女の子が、果たしてそんなことするのかと武蔵は頭を傾げる。
そうしていると、
「パティをいじめるなっ!!」
「ぐぇっ!?」
背中に強烈な衝撃。完全に油断していたため、受け身も取れずに武蔵は大地に接吻することになる。
「パティっ! 大丈夫かっ!?」
「シュ、シュルタぁっ、うえぇぇぇぇん」
砂利の混じった唾を吐きながら、顔を上げれば、女の子といつも一緒にいた男の子が、泣き出した女の子の背中を摩ってあやしていた。
「怪我はないか? ひどいことされてないか?」
「うぇぇぇぇぇん」
「よし、とりあえず村長ところ行こう。それでこの変態男にひどいことされたことを報告しよう」
「ちょっと待て!!」
今にも走り去ってしまいそうな子供二人。このままでは変質者にされそうだと武蔵は大慌てで起き上がり、シュルタと呼ばれた少年の襟首を掴んでとりあえず逃亡を阻止した。
「離せこの変態!! お前が小さな女の子にしか興味のないことは知ってんだぞ!!」
「ちーがーうー!! それは誤解だ!! つーか、こっちが加害者だ!!」
パールの頭を撫でたことの影響がこんなところにまで出ていることに少なからずショックを受けながら、暴れるシュルタを必死で抑える。
こんなところを誰かに見られたらと思うと更なる誤解も招きそうで、早急に事態を解決したいと考えていた武蔵に、さらに誰かが近付いてくる気配を感じて、思わず身体が強張る。
「ムサシくんっ!?」
背後からの声にそれがパールだと気付いて若干安堵するも、その油断が命取りとなる。ちょっとした隙を見つけたシュルタは武蔵の腕を振り払うと、再びパティと呼ぶ少女に飛び付いた。
今度こそ逃げられると思った武蔵だったが、シュルタはパティを抱き締めるとそのまま武蔵たちを睨みつけてくる。
「クソっ、二人がかりなんて卑怯だぞ!」
ちょうど武蔵の背後がロボク村の中心に当たる。パールの登場もあって、思いがけず通せんぼの状態になったことに武蔵は感謝しつつ、それでも状況は硬直状態だった。パティは泣きじゃくるばかりだったし、シュルタは彼女を守ろうと必死にパティを抱き締めながらギラギラした目で武蔵たちを睨みつけている。
「とりあえずさ、落ち着こうか? ねっ?」
ここは年長者として冷静な態度で場の収拾に努めようと下手に出る武蔵だったが、
「うるさいっ、ムングイの犬! お前みたいなのがいるから、オレたちの生活が悪くなる一方なんだ!」
どこかの大人が使っていたものをそのままに使って吠えたとしか思えない暴言を吐かれる。
弱ったなと再度頭を掻いていると、パールが一歩前に出て来た。
「――どうしてサラスに石を投げたの?」
それは未だに泣きじゃくる女の子に投げかけた言葉だった。澄んだ心に入り込んでくるような声に、武蔵も思わずハッとなる。シュルタも同じように感じたようで、またその内容は初めて知ったようで、驚いでパティを見た。
しかしパティは変わらず泣きじゃくるばかりで返事はなく、そんな彼女を守るべくシュルタはうろたえた様な表情も浮かべながらも再度武蔵達を見た。
「サラス様が……サラス様が悪いんじゃないか! サラス様がしっかりしないから、魔王が魔法の杖なんて使うんだ!! パティのお母さんは、それで死んだんだ!!」
シュルタの叫びに、武蔵の背筋に電気のようなものが走った気がした。
サラスがどれだけ心を砕いてロボク村のことを考えているのか知っている。どれだけ苦慮しながら魔王と戦おうとしているのか知っている。
だけどこの子供たちにはそれが届いていない。そして仮に届いたとして、この子供たちにとってはすでに手遅れれだったことに他ならない。
『あたしたちはただ奪われるだけの弱者でしかないのよ。
だから恨んだり憎んだりしないでいられないのよ』
カルナの言葉を思い出す。
この子たちは弱者かもしれない。
大切な人を亡くした悲しみと憎しみを、何かにぶつけるしかない。サラスにぶつけられた石は、行先を失った悲しみと憎しみそのものだ。
だけど、その弱さを、いったい誰が責められると言うのか。
母親を失って泣く女の子と、それを抱き締める男の子。
その光景をどこかで見た気がして、それが自分と真姫の姿そのものだと気付いて、武蔵はこの場で二人の子供になにを話せばいいのかわからなくなってしまった。
なお睨みつけてくるシュルタに対して、武蔵は気まずく視線を反らすしかできなかった。
だけど、それは武蔵だけで、パールはなおもう一歩前に進み出ていた。
「ねえ、嘘泣きは、もう止めない?」
泣きじゃくる女の子の心を見透かすように――そして事実見透かしているのだろう――パールは冷静な声音でそう告げた。
女の子すすり泣くような声は、それでぴたりと止んだのだ。
「わたし、そうやって、甘えようとするのは、嫌い。大っ嫌い」
なお続けるパールの遠慮のない言葉に、パティはわなわなと震える。それはもう先ほどまでの泣きじゃくるものとは違っていた。
そしてどういうことかわからないで呆けているシュルタの腕を振り解いて、パールの前に躍り出ると、
「あなたにパティのなにがわかるって言うの!?」
癇癪を起したように、パールに対して怒鳴っていた。
「パティのお母さん、死んじゃったんだよ!! もう帰ってこないの!! どこにもいないの!!
この悲しみが、あなたにわかる!?」
「わかる」
「わからないわよ!!」
「わかる! だって、わたしのお母さんも死んじゃったから!」
「―――――っ!!」
「――わたしもずっとそうだったから。お母さんが死んじゃって、悲しくて、悲しくて。だから、わたしには誰かに甘えてもいいんだって思ってた。
それでお母さんが死んじゃったことに向き直らないのに、お母さんが死んじゃったことを利用して周りに甘えて――わたしにはその権利があるって、当たり前だと思ってた。だけど、そんなの失礼だよ。その男の子にも、死んだお母さんにも失礼だよ」
「……お母さんは……」
「うん。もういない。どこにもいないよ」
「そんなの……いやだぁ……」
「わたしも、嫌だよ。とっても嫌だ。
できればお母さんが死んじゃう前に戻って、なんとかしたいって思う」
「うん……うん……」
「だけど、そんなことできないから。
だから、やっぱり悲しいけど、お母さんのこと好きだったから、お母さんのこと利用しないで、生きようって思う」
「うん……お母さん……」
気付けば、パールはパティを抱き締めて泣いていた。パティも今までのものとは違う涙を浮かべていた。
シュルタはただ茫然とその光景を見つめていた。どこか置き去りにされてしまったと感じて、不安そうな色もそこには伺えた。
そして――武蔵もまた、シュルタと同じ顔をしているのではないかと思った。
――サティ、お前の気持ち、パールにちゃんと伝わってるよ。それに比べて――
サティが死んだ時。武蔵自身もあの場に立ち合っていたにも関わらず、サティがパールに伝えようとしていたことを、武蔵は今更気付いた。そして心の奥底に不安の影が過るのを感じていた。
――俺は、もしかしたら、真姫に、間違ったことをしてたんじゃないのか?
そんな不安を振り払うように首を振る。そして再び真姫に会って話をしようと、改めて心に決める。
それでも心の奥底に生まれたしこりのような感覚はいつまでも残り続けるのだった。




