第49話 頭ぽんぽんの代償
サラスはまだ寝ているだろうと踏んでいた武蔵は、真っ先に簡易診療所に戻ったが、そこにはすでにサラスの姿がなかった。ロボク村のために早くも起き上がってしまったのか、それとも武蔵と顔を合わせ辛くていなくなってしまったの。
気絶させたのは武蔵によるものだが、そもそもサラスは怪我をして休んでいたわけである。怪我に障るということもあるが、カルナの言う通りサラスはここ一ヵ月以上ろくに寝てもいない。こんなに早く動いていいはずがない。
――なにやってるんだろうな。
ロボク村は未だ復興の目途が立たず、村人たちは生活の不安や家族を失った悲しみからサラスたちに対して不満を持ち始めて、それでついにはサラスに危害を加えられた。サラスの心労も募るばかりの状況で、武蔵はただカルナのように彼女の支えになってあげたいと思っただけである。魔王と戦う決心がついたと伝えようとしただけである。
それがサラスにとっては不意打ちで告白されたようなものである。
それはただサラスを困らせてしまっただけではないのだろうか。
――なにやってるんだろうな、本当に。
なにか遺恨が残る前にちゃんと話し合わないとと、武蔵はサラスを探しに簡易診療所を出た。
「ムサシくんっ!」
出たところで突然、後ろから腰に巻きつく温かい感覚。小さな腕がちょうど武蔵の下腹部を抱き締めていた。顔が見えなくても誰だかわかる。
「パール……」
名前を呼んで改めてその存在を確かめて、鼓動が少しだけ跳ね上がるのを感じた。話をするなんて大見得切った武蔵だったが、殊パールに関してはどんな話をしたらいいのかわからなかったからだ。まさかヨーダに語ったことを、パールにそのまま話すわけにもいかない。
「パール、とりあえずいったん離れようか?」
身長差が身長差だけに、抱き着くパールの手の位置が武蔵の非情にデリケートな部分に当たりそうで、それもまた複雑な気分にさせる要因でもあった。
ついパールを引き離そうと彼女の頭に手を伸ばして、はたと気付いてそれをパールの肩へ軌道修正する。パールの頭はちょうど手を乗せやすいところにあって、驚きの吸引力を見せる。
「ムサシくん、わたし、まだ子供だから……」
肩に手が届く直前、パールの言葉にまたしても鼓動が少しだけ跳ねる。
まるで心を見透かされたようだと思って――気付く。パールは黒呪術師だ。人の心は手に取るようにわかる。パール自身はなるべく見ないようにと努力しているようだったが、それでも漏れ聞こえてしまうことはあるのだと言っていた。
「パール、ごめんっ。別に、パールが子供だからとか、そういうことじゃなくて、いや、パールのことは好きだよっ」
思わずしどろもどろな言葉を紡ぐ武蔵だったが、口が動けば動くだけパールには筒抜けなのではという猜疑心から、最後にはなぜか告白してしまう始末。
「ううん、大丈夫。わたし、わかったから」
妙に理解のいいパールに、武蔵自身がなんだかいたたまれない気分になる。
そう、パール自身はその力のせいで誰よりも他人から遠ざけられて育ったくせに、やっぱりその力のせいで誰よりも人の心に曝されて、それでも今では誰よりも人の心を考えて生きている。それを願ったのは武蔵自身でもあったが、我儘な話ではあるけれども、こうしてパールに気遣われるのはなんだか違うと思う。もっと年相応に子供であってもいいのではないかと思う。
「パール――」
またパールを傷付けてしまうかもしれない。でも、パールが武蔵の心を見えているのであれば、この気持ちがなんなのか、きっとパールはよくわかっているはず。だから武蔵は、パールの頭に手を伸ばして、
「男の人なんて、みんな子作りしたいだけなんだって」
「――――――――――はい?」
全く武蔵が考えてもいない気持ちがパールの口から代弁されて、武蔵は一瞬パールがなにを言っているのかわからなかった。
「パール、ごめん、なんて言った?」
「男はみんな子作りしたいだけなんだって!」
聞き間違いであって欲しいと思って確認したが、今度こそ聞き漏らすこともできない大声でパールはそう言った。
「パールっ、そういうことは大声で言わないっ!」
「ムサシくんが聞いたんでしょっ!?」
「そういう問題じゃないっ! 大体、それがどういうことかわかってないだろっ!?」
「わかってる! 男の人のココを、女の人の――」
「――っ!?」
そう言いながらパールの手が武蔵の下腹部を撫でるように動いたので、咄嗟に武蔵は彼女を振り解いて距離を取った。
あまりの素早い動きに驚いた顔をするパールだったが、恐らく自分の表情はパール比じゃないと武蔵は思う。パールがそういうことを知るのはまだ早い、ましてそういう行為に出るのはさらにもっと早いと武蔵は考える。
「どこで教わった!?」
「サティから」
――あのエロメイドっ!! パールの前でそういうこと言うの禁止って言ったのに!!
思わずサティに対して暴言が出そうだったところを、パールがいる手前、心の中で押し留めた。
サティは武蔵のことをご主人様と慕う癖に、武蔵の意向は忖度してくれない。地団駄を踏みたい気分だったが、これもまたパールの手前、我慢した。
「わたしがまだ赤ちゃんを産めないから。だから、ムサシくんがサラスに浮気するのは仕方がないんだって、サティが……」
だけど我慢の限界はすぐに迎えて、武蔵は構わず地面を踏みつけた。
確かにパールのフォローを頼みはしたが、武蔵の考えているフォローとは全く違うものだった。
「だけど、わたし、大きくなるからっ。すぐに大きくなるからっ!」
「パール、あのね、俺は別にそういうつもりじゃなくて――」
「あっ……」
なんて話をすればいいかとこめかみを押さえる武蔵の耳に、呆けた声が届く。
目の前のパールは困ったような、悲しいような、そんな複雑な表情を浮かべて、ちょうど武蔵の後ろに焦点を向けていた。
振り返る。
そこにはいつの間に戻って来たのかサラスが立っていて、武蔵と顔を合わせた途端、顔を赤く染めていた。
「サラス――」
「―――――っ!」
咄嗟に名前を呼べば、百八十度踵を返して全力で走り去っていくサラス。あれだけ全力で動いては、傷口からまた血が滲むのではないかと心配するものの、なんとなくそのまま追いかけることができず、武蔵はその長い黒髪がなびくのをただ見送ってしまった。
――本当に、なにやってるんだろう。
溜息を吐きつつも、なんだか一気に毒気を抜かれた気分で、どう話を続けたものか考えあぐねながらもパールに向き直る。
「……パール?」
しかしそのパールは、すでに武蔵のほうでも、サラスが走り去ったほうでもなく、簡易診療所になっている建物の角を見つめていた。そして、
「誰っ!?」
咄嗟に叫ぶパール。
慌ててパールが叫んだ方向を見れば、建物の影から誰かが何かを取り落としていた。
その人物が何者か見えなかったが、それでも建物の向こうから転がり落ちてきたものは、武蔵の足元まで転がってきた。それは――
「――石っ!?」
気付いたと同時に、何者かが走り去る気配を感じる。武蔵も慌てて追いかける。
サラスは村人の誰かに石をぶつけられて怪我をした。
今、追いかけている人物が犯人で間違いない。




