第04話 月と海と星と壁
――拉致事件。
牢屋で意識を取り戻して、門番であろう大男との交流を諦めてから、武蔵は落ち着いて考えてみる。
武蔵だってニュースくらいは見る。
自分がそんな目に遭うなんて思ってもみなかったけれども。
ランニングをしている際に、何者かに攫われた。
そして異国の地まで連れてこられて――。
「女風呂に放り込まれた?」
あり得ないだろうな。
拉致をする目的が身代金くらいにしか思い浮かばない武蔵だったけれども、少なくともわざわざ女風呂に放り込むために拉致するなんて馬鹿げているとしか思えない。
再度、小窓の向こうの月を見上げる。ちょうど半分に欠けていたが、それでもその存在感をアピールするに十分すぎるくらいに明るく輝いていた。
「月――」
石畳から体を起こし、小窓に近づく。ちょうど武蔵が背丈のやや上に設置された小窓は、どう考えても人が通り抜けられるようにサイズではなかったけれども、辺りを見渡せるには十分だった。
背伸びをして、牢屋の外を見る。
「海――」
ヤシの木らしい木々の先に海が見えた。
やや遠いところにあるので波の音は聞こえないが、月明りを反射して輝いているそれは間違いなく海であろう。
再び空を見上げる。
「綺麗――」
そこには満点の星空が見えた。
こんなに綺麗な空は見たことがない。
辺りに街灯らしいものが見当たらない。きっと、そのためだ。月明り以外に余計な光がないのだろう。
「月と海と星……」
それらは武蔵が知ってるそれと同じものであるとも、違うものであるとも感じた。
「地球……で、いいんだよな?」
――神隠し。
誰かに連れ去られたというより、そんな突拍子もなさを思う。
ここが海を隔てた異国の地だとしたら、帰る方法はきっとある。警察を探すのか、大使館を探すのか。いずれにしてもきっと帰る方法はある。
それがもしここが地球ですらないとすれば。
――俺はどこにもいかないよ。どこにもいなくならない。
真姫は今どうしているのか気になった。
もし武蔵がいなくなったことを知ればどう思うのか。
もし武蔵が行方不明になったとわかればどうするか。
「――帰らなくちゃ」
呟きと同時に甲高い音が響く。
振り返ると大男と目が合った。
甲高い音は大男が鉄格子を叩いたのだろう。
そして武蔵が振り返ったことがわかると、ゆっくりと手を向ける。武蔵のいるところから石畳のほうへ。
小窓から脱走しようとしていると思われたんだろうか?
大人しくそれに従い床に膝を下すと、大男はそれでいいとばかりにニカっと笑い再び武蔵に背を向けた。
見た目の印象と違い案外ひょうきんな男のなのかもしれない。
話さえできれば、なにかわかるかもしれない。
「あの、すみません、エクスキューズミー、ニーハオ、ボンジュール」
再度、会話できないかチャレンジする。
とにかく知っている言語を片っ端に並べてみて、大男に話しかけてみた。
大男も面倒くさそうな表情をしながらだが振り返った。
面倒くさそうな表情が感じ取れるということは、恐らく感情が表情に出やすいタイプなのだ。だったら会話ができなくてもジェスチャーでコミュニケーション取れるのでないだろうか。
「ここっ! ヒアっ! プレイスっ!」
必死に地面を指差す。
大男もなにかを伝えようとしていることに気付いたのか、眉を寄せて地面と武蔵を交互に見つめてくる。
「どこ!? ウェア!?」
ここで問題が発生。
疑問をどうジェスチャーで伝えたらいいか思い浮かばない。
武蔵は咄嗟に首を傾げながら、こめかみに指を当ててくるくる回してみた。
劇的に反応があった。
大男の眉が徐々に吊り上がっている。
――あ、やばい、怒らせた。
本当に表情だけは読み取りやすい。その顔は明らかに怒りの形相に変わっている。
そして腰の剣に手を当てて――。
「す、ストップ!!」
咄嗟に武蔵は右手のひらを突き出したのだが、それが止めになった。
大男の怒りの形相は頂点に達して、剣を鞘毎振り切り、鉄格子に勢いよく叩きつけた。
「いっ――っ!?」
鉄格子が拉げて、耳鳴りがするほどの大音響が牢屋内に木霊した。思わず耳を塞ぐ。
そんな武蔵を睨みつけながら、大男は剣を腰に携えなおして改めて背中を向ける。
もう何度話しかけても振り返ることはないだろうと、それだけはわかった。
「……なにがいけなかったんだ?」
思いも寄らずに相手を怒らせてしまったことにショックを覚えながら、そんなことを呟き、武蔵は床に突っ伏した。
――コミュニケーション、難しい。