第47話 恋のはじまり
武蔵達が救援のためにロボク村に訪れてから一ヵ月以上が経過していた。
ここまで時間が経過すると、村人の様子も少しずつ変化が生まれてくる。
未だ悲しみから抜け出せず塞ぐこむ人も多いが、前を向いて村の復興のために動こうとしてくる人たちも次第に多くなってきていた。
その一方で、サラスたちに対して、あからさまな嫌悪を示す人たちも少なからずいた。それは一ヵ月以上も経つのに事態は好転せず、未だに新しく病気を患う人が出てきているからでもあった。
だからいつかはこんなことになるだろうと誰もが予感していながら、それでも誰もがどうしていいかわからずにいたからではあった。
サラスが村人に石をぶつけられたと聞き、武蔵は大慌てで彼女の寝床にもなっていた簡易診療所へと駆け付けた。未だに多くの病人が寝ているその場所は、毒がうつるという理由でその家族でさえも近付かない人がいるなか、サラスはあえて居場所に据えていた。
昼間にも関わらず蚊帳を下ろした簡易診療所は薄暗い。喚起はいいのか屋内でも風が吹いて少し涼しいくせに、どこか鼻に着く臭いが漂う場所だった。病人の隙間を縫って奥に進めば、申し訳程度に簾で仕切られた場所で、他の病人と同じように藁敷の布団で横になるサラスがいた。すぐ横にはパールが心配そうに彼女の手を握っていた。頭に巻かれた布が少しだけ血に滲んでいた。仮にもこの国の象徴と呼ばれる人物の扱いに、武蔵は憤りを覚えた。
「ケガは大したことないわ。それよりも大分疲れが溜まってたんだと思う。ある意味よかったのかもしれない。ずっとちゃんと寝てなかったようだし、これで休む口実もできたでしょ」
「いいわけないだろっ!」
付き添うように近くに座るカルナが近付いてきた武蔵に気付いてそんなことを言うので、武蔵は堪らず大声を出してしまった。
「ムサシ……ちょっと……」
「どうしてサラスがこんな目にあわなきゃいけないんだっ! こんなにみんなのために頑張ってるのに、誰がこんなことをしたっ!?」
「ムサシっ! 黙ってっ!」
カルナが大声で怒鳴られ、それで武蔵はここがどんな場所か思い出した。
「おれたちだって……なんで、こんな目にあわなきゃいけないんだ……」
簾の向こうから、微かにそんな声が聞こえて、武蔵は思わず口を噤んだ。
誰かが悪いわけじゃない。ここにいる人たちもみんな被害者だった。
「……私が、悪いの。……私が、不甲斐ないから」
そんな弱々しい声はサラスのものだった。
彼女は傷が疼いたのか、包帯を押さえながら、それでも上半身を起こした。
それを慌ててパールが支えていた。
「サラスっ、だめだよ、まだ寝てて」
「……あんたのせいで起きちゃったじゃない」
はぁと、溜息を着きつつカルナは立ち上がり、サラスから離れようとする。
「あ、待って、カルナ」
顔を背けて決してサラスの顔を見ようとしないカルナだったが、それでも彼女の呼び声に応えて足が止まる。
「あの……カルナ、ずっと、怒ってるよね? ごめんなさい……」
「――あんたたちは、どうしてもあたしを怒ってることにしたいのね」
再び溜息が聞こえた――いや、深呼吸だろうか。俯いて、肩を落とすカルナの背中は、武蔵にはなにかに耐えているように見えた。
そして一拍、二拍と呼吸を繰り返して、そしてカルナは続ける。
「サラス、あたしたちにたくさん隠してることあるわよね?」
「――それは……」
「勘違いしないで。だから怒ってるわけじゃない。
あんたはお姫様なんだから。隠さなきゃいけないことくらいいっぱいあるでしょ。
それは仕方ないことよ」
「……………」
「あたしはね、ただ悔しいのよ。あたしがもっと強くて頼りになれば、そんなに隠し事しなくて済むはずなのにっ。そんなに自分を追い詰めないで済むはずなのにって」
「カルナ……」
「あたしは、団長を超えるわ。ムサシにも負けない。お母さんみたいになる。
だから、それまで踏ん張んなさい――ごめんね」
「……ううん。ありがとう」
ちょっとだけ振り向いたカルナの目元は少しだけ濡れた跡があった。また泣いていたのかもしれない。
だけど垣間見えた表情は、どこか吹っ切れたような笑顔だった。
そして「団長に目が覚めたこと伝えてくるわ」と、今後こそその場から立ち去った。
その後ろ姿から武蔵は目が離せないでいた。カルナはカッコいいなと、そして凄いなと感じていた。
核兵器の恐怖を見せつけられ、母親を奪われ、そして自分のことを弱いと口にしながら、それでも迷いなくサラスの助けになるために前を向き続けている。
それは武蔵にできなかったことだ。
怖くないのだろうかと、武蔵は思い――そしてヨーダから言われた言葉を思い出す。
――魔法の杖なんて、ホントは全然怖くない。ホントに怖いのはアレになにかが奪われること、か。
カルナはわかっているのだ。
本当に怖いのは、かつて母親を奪われたように、サラスたちを奪われることだ。
だから奪われないように戦うのだ。
サラスもきっとそうだ。
奪われた者たちに謝るサラスを見た。奪う脅威に怒りを浮かべるサラスを見た。
サラスは、この国の人たちを奪われることに、悲しみ、怒り、戦っている。
残された人たちがせめて奪われないように戦っている。
宮本武蔵はどうなんだと考える。
帰りたいから戦う――それがすでに自分のなかで理由として弱いことに気付いている。
だけど、サラスを、そしてそのサラスの手を再度強く握り締めるパールを見る。
「わたしもっ、サラスの頼りになるようにがんばるっ」
――あ、先越されてら。
その言葉に笑顔でお礼を言うサラスと、それにサラスに笑い返すパールを見て、武蔵は思わず苦笑する。
そして愛おしいなと感じる。
大変なことばかりだったけれども、サラスも、パールも、カルナも、こちらで知り合った人たちが現実に置いてきてしまった真姫達同様、大切に感じていることに気付く。
もし真姫がここにいて、核兵器の脅威に曝されて、命を脅かされてるのであれば――それは嫌だ。
それはサラス達に対しても同じように感じた。
この世界はいつか武蔵にとっては去る世界かもしれない。
だけどだからってこの世界で暮らす彼女たちがいなくなってしまっていいわけではない。
平和で、健やかに、生きていて欲しい。
それが奪われるのは――嫌だ。
「サラス、俺も戦うよ」
この一言に、サラスの大きな瞳がみるみる見開かれて、
「……ほんと?」
仕舞いにはポロポロと大粒の涙が零れだした。
「サラス、あの、ちょっとっ?」
事の顛末がわからないパールは、訝しむような目で武蔵を見つめてくる。どういう理由がわからなくても、とりあえずサラスを泣かせたことだけは間違いないと判断して、暗に武蔵を責めている。そんな目をされても武蔵も困る。武蔵もまさか泣かれるとは思わなかった。
「本当に、いいの? 私、無謀なこと頼んでるのよ?」
――無謀だとは思っていたのか。
どこか無鉄砲なところを感じるサラスだったが、それでも本音では怖がっていたことを今更ながら気付く。
だけど今更無謀だと言われても、武蔵もとっくにそんなことは気付いていて、そして悩んで出した結論だった。
「無謀でも、サラスは戦うって決めたんだろ。だったら勝つ気で俺も戦うよ。
この”勝利の加護”がどれだけ効果があるかわからないし、本当に勝てるかどうかわからないけどさ」
「ううん。こんなに強い加護持ってるんだもの。大丈夫、ムサシがその気になれば、絶対に勝てるよ。
言ったでしょ、私はミヤモトムサシを信じてるの。
ありがとう、本当に――ありがとう」
そう言って、サラスはさらに泣きじゃくる。
今まで見たことのないサラスに、どれだけサラスが魔王と戦うことに対して重圧に感じていたことか、武蔵は推して知る。
その重圧を今度は武蔵が背負うことになるわけだが、それでも今は少しでもサラスに安心を与えられたことを嬉しく思う。
「ああ、もう、本当にそんなに泣かないで、サラス」
こんなときしてあげられることを、武蔵は一つしか思いつかない。
思わずサラスの頭に手を伸ばして、
「あっ――」
頭を撫でる。
驚くほど効果的だったそれは、サラスの涙を一瞬で引っ込めてしまった。
「――?」
サラスの様子がややおかしいことに気付いて首を傾げる。
彼女の目線はゆっくりと上を向き、武蔵の手がどこに伸びているのか確認。そして改めてゆっくりと武蔵の顔に視線を戻すと、
「きゅぅ」
小動物の悲鳴のような声を上げてそのまま後ろに倒れてしまった。
「えっ、ちょっと、サラスっ!?」
慌てて立ち上がって様子を見れば、サラスは完全に目を回していた。その特徴的な白い肌はのぼせたように真っ赤で、なにか突発性の病気かなにかか心配される。
「大変、パールっ! ちょっと誰か呼んできて!! って、パール?」
慌ててパールに指示を飛ばせば、そのパールの様子もおかしいことに気付く。
おかしい――というよりも怖い。
かつて武蔵が誰からも向けられたことのない、例えるなら深淵を覗き込むようなそんな暗い昏い目をしていた。
「ムサシくん、これはどういうことかな?」
なにがと口に出すのも怖い。問いは問いの体をなしておらず、脅迫染みたそれは一切の返答も許さない気迫を携えていた。さながら剣道で有段者と対面したようで、とても十歳程度の少女が出せるような気迫ではない。
「ムサシくん言ったよね? わたしのこと嫌いにならないって。なのに、これはどういうことかな?」
じりじりとにじり寄ってくるパールに、武蔵は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
確かに、パールにはそう言ったが、それとこの状況とどう関係しているのかわからない。
「それとも、わたしのこと嫌いにならないって言ったのはうそなのかな? うそつき。うそつき。うそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつきうそつき――」
――やだコレ怖い。
「パ、パール、ちょっと落ち着こう。なにか勘違いしてるようだからさ」
少しずつ近づいてくるパールが、死の宣告のように見える。
同じだけ少しずつ距離を取ろうとするも、すぐ壁に背中が当たり、逃げ場を失う。
思わず出入口の位置を確認するも、それはパールの向こう側である。
と、突如視線を向けた出入口から、サティが簾をかき分けて顔を出した。
「サラス様がお目覚めになられたと伺いましたが――あら?」
パールの動きが止まるも、以前、武蔵に昏い眼を向けていた。
サティはその状況を見て、さらに顔を真っ赤にして倒れるサラスを確認、最後に壁際に追いやられる武蔵を見て、
「私のご主人様は少々女遊びが過ぎるようです」
この状況をどう解釈したのか、武蔵に対してそう評価を下した。
「いや、違う! 俺はなにもしてない!」
「いいえ、恥ずかしがらなくても大丈夫です。ご主人様が性に飢えていることは、私はよく存じ上げております。寝ている私の大切な部位に指を入れてきたではありませんか。お望みでしたら、私は今からダッチワイフのサティとなります」
「パールの前でそういうこと言うの禁止!!
――って!? あのときのこと覚えてるの!?」
あえて忘れようとしていた記憶を掘り起こされるだけでなく、サティが覚えていたことに、武蔵もまた羞恥と罪悪感で火が出るのではないかと思うほど顔面が火照る。
それを見ていたパールはとうとう耐えられないとばかりに、
「ムサシくんの、ばかーっ!!」
泣きながら部屋から飛び出して行った。
「ご主人様? 今晩は丑三つ時にでも伺いますね」
「なんで幽霊みたいに現れようとするの? そういうの本当にいいから、パールのフォローに行って。
あとあのときのことは忘れて、お願いだから」
「承知致しました」
サラスと二人っきりになってしまった部屋で、とりあえず武蔵はサラスがちゃんと息をしているのかだけ確認して、彼女の身体にシーツをかけて上げた。
未だ上気した顔のサラスにいささかドキリとしながら、武蔵は自分の手を見つめる。
この世界に来てから三か月以上が経過していた。言葉はもうほとんど困らなくなっていたが、ここに来て久しぶりに指を差しては怒らせ、こめかみに指を当てては怒らせていた頃を思い出していた。
思い返せば、サラスは何度となく、パールの頭を撫でる武蔵を注意していた。人前でそういうことしない方がいいと。
久しぶりにやらかしてしまったかもしれない。武蔵は異世界コミュニケーションの難しさを改めて痛感していた。
隙間風が抜けていく。さざ波を立てるようなその風はいったいどこに抜けていくのか、武蔵は現実逃避をするかのように無意味な思考に耽るのだった。




