第45話 絶望することしかできなくても
爆発の影響で吹き飛んでしまったのか、それとも最初からなかったのか、サラスが入っていった建物には扉がなかった。だから中を覗き見ることは容易で、武蔵はとりあえず入り口の影に隠れて中に入ることを遠慮した。何人かの人物で話し合いをしているようで、部外者が入り込める雰囲気ではなかったのだ。
「一度、お城のほうへ避難して頂くわけにはいかないのでしょうか?」
相手に詰め寄って声を上げているのはサラスだった。
「ここの土地は既に毒に侵されています。土壌もそうですが、何よりも水源がとてもではありませんが怖くて使えません。給水車も手配はしてますが、とても村人全員を賄える量に満たしません。どうか今一度避難を検討して頂くわけにはいかないのでしょうか?」
「……………」
サラスが切迫した表情で声をかけている人物は、聞く耳を持たないという雰囲気で目を瞑り、苦い表情でただ押し黙って椅子に腰掛けている。年老いたその人物はこの村の村長だと言うことは、武蔵もこの村に訪れた際に伺っている。
「何度も言いますが、この土地の人々の大半は先の戦争で両親や夫を亡くした人か、毒に侵されていると風評被害に追われて来た人たちばかりです。
今更、ムングイに戻ってやっていけるとは思えません」
押し黙る村長に代わって発言するのは、村長の後ろに立つ二十半ばの青年だった。男の割に綺麗な長髪のその青年が、村人たちを時に励まして、時に叱咤しながら、陣頭指揮を取っているのを武蔵は目にしていた。名前は確かナクラと言い、実質この村のリーダーのような人物だった。
その他に部屋にはもう一人、サラスの後ろにヨーダが控えていた。部屋全体を見渡せる壁面にもたれ掛かり、大きな腕を組んで様子を窺っていて――一瞬、武蔵の方を見て苦笑いを浮かべた。武蔵もそれに気付いたが、ヨーダが何も言ってこないのを見るに、場所こそ違えど彼も武蔵と同じような立ち位置なのだろう。
「ロボク村の方々の生活は私たちが保証します。不自由な思いはさせません」
「五年前にそれができていたら、我々はここにはいなかったでしょう」
「それは……」
「当時まだ幼かったサラス様に、我々を庇うことができなかったことは重々承知しておりますし、それを悔いて当時の官職を皆遠ざけていることも知ってはおります。しかし、それでも貴女と先王を恨む人は多い」
「……………」
「そして何より、今の貴女の周りにいる人物はどうにも怪しい人物が多すぎます。
サラス様が連れて来たあの機械人形は一体なんなのでしょうか?」
サティのことを言っているのだろう。
この村に入った際に村人が偉く怯えていたのは鮮明に覚えている。もっともサティはそんなことを一切気にせず、瓦礫の撤去やら物資の運搬を、人間では到底できないような力業でもって黙々とこなしていた。村人もそれを見てサティのことは一旦は棚上げにしているようだった。
「レヤックの娘も暗躍しているようですし、サラス様が出自もわからない少年を飼っているとの噂もあります」
――飼っているって……。
出自のわからないという点においては言い訳もしようがないが、飼われているなんて自覚が一切ない武蔵としては、他人から見たその評価は意外でもあり多少のショックもあった。
「そして、どうしてその男が現騎士団長なんですかっ?」
ナクラはその切れ長の目でヨーダを睨む。しかし凄まれたヨーダはそれを屁とも思わないようで、肩を竦めて、
「妬むなよ、ボウズ。オレのほうが強かっただけの話だろ」
「戦場から逃げ出した男が、どの口で強いなんてほざく。貴様がいれば、スルヤ様もクリツ様も死なずに済んだかもしれないのに。どうして今更戻ってきた」
スルヤ様とクリツ様――その名前が出て、ヨーダの目付きが変わる。触れられたくない部分に触れられたようで、ナクラ以上の凄みを利かせて睨み返す。
「ヨーダ、止めて」
それをサラスが一言制すと、一触即発だった雰囲気はとりあえずは霧散するが、ナクラもヨーダもわだかまりは消せないまま顔を反らしていた。
「とにかく、今のサラス様は信用できないのです。
貴女は、もしかして、もう一度戦争を起こそうと考えているのではないのですか?」
「……………」
サラスは何も答えない。
口を閉ざして押し黙る様は、そのままそれが肯定であるようだった。それはナクラも同じように感じたようで、
「五年前に先王が魔王に挑んだことで、一体どれだけの人が犠牲になったか、まさか忘れてはいませんか?」
「――では、私たちは、いつまでも魔法の杖に怯えて、いつか滅びる日を待てと言うのですか?」
「サラス様、しかし――」
「そのほうがいいだろう」
柔らかな、どこか掠れて消えてしまいそう、そんな声がサラスとナクラの間を割って入る。
武蔵は、続いて村長の口が開くまで、それが誰から発せられた言葉かわからなかった。
「五年前、我々は、魔王を恨み、無謀な戦いに駆り立てた国を憎み、同じ憎しみや恨みで繋がった同士として、それが誇りと絆として、この村を興した。しかし、再び魔王の攻撃に見舞われて村の半数近い人が亡くなってしまった。そして憎んでいたはずの国に助けられている。もう誇りも絆もない。もうこの村はお終いだよ。
この村だけの話じゃない。魔法の杖は、恨みや憎しみにさえ届かない。あるのは絶望だけだ。挑むだけ無駄と言うものだよ」
年老いた村長は、遠い眼をしながらも、今にも消え入りそうな雰囲気で、だけど絶望だけは断言した。
――あたしたちは弱いんだてこと、よくわかるわよ。
カルナが言っていた通り、よくわかった。
核兵器が簡単に飛び交う世界のなかで、せめて恨み憎しむほかに生きる活力が見出せないのだ。でなければ、あの村長のようにもう絶望するしかない。
しかし、サラスはそれに対して珍しく苛立ちのような声を上げた。
「私は、絶望だけだとは思いたくありません」
「……君は父親と同じ道を歩くのだな」
「――父が間違っていたとは思えません。
希望はあります。希望は間違いなく、あります」
サラスの言葉を受けて、ヨーダがチラリと武蔵に視線を送る。サラスの言う”希望”とやらが、まるで武蔵のことだと言うように。
いや、実際その通りなのだろう。
――私はミヤモトムサシを信じてる。
サラスがそう言っていたのだ。
あの核兵器を持った魔王を倒すために、サラスが武蔵を呼んだのだ。
サラスに見つからないように、こっそりと部屋から離れる。
誰もが恨んだり憎んだりしないでいられないとカルナは言った。
だけどそう言ったカルナは納得なんてできないとも言った。だから戦うのだと。
絶望しかないと言われたサラスは、そうじゃないと言った。希望はあると。だから戦おうとしていた。
自分はどうだろうと武蔵は考える。
武蔵は未だに頭を下げたサラスに対して何の返事も返せていなかった。
「この世界が怖い」
かつて真姫が口にした言葉を、武蔵もまた実感を伴って口にする。それもまた恨みや憎しみにすら届かない、絶望の言葉のように思う。
もしかしたら武蔵はもう真姫や家族、友人たちを失っているのかもしれない。
あの核爆発を見て以降、武蔵は積極的に帰りたいと思えなくなってしまった。
帰る手段が本当に魔王を倒すことだとして、じゃあ自分に倒すことができるのか――。
そもそも本当は帰る方法なんてどこにもなく、だけど確信も持てないでいて、恨みや憎しみにすらならないで、ただとっくに絶望していて、逃げているだけなのかもしれない。
逃げている限り、勝利の加護は発動しない。
それは既に実験してわかっていた。
だからこのままではサラスの言う希望になんて武蔵はなり得ないのだ。
宮本武蔵として勝利を望まれている。
しかし武蔵の人生において、ただの一度もそれに応えられたことはなかったのだから。




